2017年 和敬ニューイヤーコンサート開催しました

2017年1月14日、和敬ニューイヤーコンサートが開催されました。

今回で第4回目となり、王子ホールでの開催となりました。

 

首都圏支部から荒谷さんが応援に駆けつけてくださいました。

 

ロビーにも溢れかえるたくさんのお客様に来ていただき、盛況な演奏会となりました。

 

 

これからもよろしくお願いします。

 

首都圏支部
幹事長
古閑 善丈(H16北)

2016年 北悠会が今年も開催されました

今年も楽しく北悠会が開催されました。

その一幕をご紹介します。

また来年、元気にお会いしましょう。

北悠会いつもお元気な青木さんと中村さん、手羽先食べてる福田さん、そして山岸さん(青木さん横、弁護士)

北悠会

ダーキーさんと談笑する玉山さん、高村さん、堤さん

北悠会

宮下さんにご挨拶する齊藤さんと、またもや手羽先を食べる福田さん

北悠会

みんなで塾歌を熱唱!

北悠会

飲みすぎたにゃ(いつも)
記憶は14時頃からありません。。

それでは、また!!

 

H16北
首都圏支部
幹事長
古閑 善丈

2016年 塾友会首都圏支部 茶話会&忘年会のお知らせ

平成28年10月27日

和敬塾塾友会 首都圏支部
会員各位

和敬塾塾友会 首都圏支部
支部長 下荒地 修二

塾友会首都圏支部 茶話会&忘年会

 

今年は天候が不順で台風の迷走などもあり、季節感の薄い日々が続いておりますが、暦は着実に師走に向かっております。
首都圏支部恒例(12月第1土曜日)の茶話会&忘年会を次のように開催いたします。
万障お繰り合わせのうえご出席をお願いいたします。

日 時  平成28年12月3日(土) 午後4時~7時

茶話会 午後4時~午後5時10分

講  師  加茂田 信則氏

前川製作所 顧問
一般財団法人前川ヒトづくり財団21 顧問
元和敬塾専務理事

演  題 「前川製作所にみる生涯現役社会の実現」

忘年会 午後5時30分~午後7時

会 場  レストランアラスカ パレスサイド店 電話03-3216-2797
東京都千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル9階
※地下鉄東西線「竹橋駅」直結

会 費
茶話会&忘年会 7,000円
茶話会のみ   1,000円
忘年会のみ   6,000円

出欠のご連絡は、11月25日(金)までに下記首都圏支部までお願いいたします。

<お申込み・問合せ先>
和敬塾塾友会 首都圏支部
〒104-0033 東京都中央区新川1-21-1
茅場町タワー1806
電話03-3523-3467 FAX03-3523-3463
agenda-c@atlas.plala.or.jp

武貞達彦君(昭和59年南寮卒)高校生に向けてグローバル経済を語る

武貞達彦君(昭和59年南寮卒)高校生に向けてグローバル経済を語る

2015年3月19日(木)新潟県立五泉高等学校に、キャリア教育講演会の講師として、(株)海外交通・都市開発事業支援機構の執行役員・事業推進部長の
武貞達彦君を招いて、「日本と世界のつながり-グローバル経済の中で-」というテーマで、約440人の高校生に向けて熱く語っていただきました。

自らの50カ国以上に及ぶ海外出張の経験から、日本では想像できないようなエピソードの紹介や、日本経済が直面している現状や課題を分かりやすく説明していただきました。
最後に新潟という「裏」日本の、さらに地方であるが故の有利性、例として発展地域である東アジアに対する良質な農産物や手工業製品の輸出において可能性が大であること
(新潟県の米や野菜、燕三条の刃物・ハウスウエアーや五泉のニットなど)をお話しいただき、人口や産業の衰退が止まらない地方に居住する者に勇気をいただきました。
話の内容もさることながら、端々で滲み出てきた人間性に生徒達は大いに感銘していました。
どこでも誰とでも付き合える柔軟性、仕事で嘘をつかないという誠実さ、仕事は一生懸命やると

楽しいといった前向きさ。
これらは自身の生まれもってのものが大きいでしょうが、和敬塾での4年間の生活も大いに関係していると思われます。
武貞君ありがとう、そして和敬塾にも感謝します。今更ながら和敬塾のありがたさが身にしみました。
塾友の皆様、武貞君のように、高校生に対して講演をしていただける方、いらっしゃいませんでしょうか、おられましたら、五泉高等学校の増井まで連絡ください。ジャンルは問いません。

昭和59年南寮卒  増井 治(新潟県立五泉高等学校 教諭) [ mailto:masui.osamu@nein.ed.jp ]masui.osamu@nein.ed.jp

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その8~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その8

 

日本語の“国語”化への道 ~国語辞典「言海」出版~(2

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

本邦初の近代的国語辞典「言海」の誕生に至る経緯は前回に見てきた通りであるが、では言海がどのような意義・性格を持っていたか、という部分について概略を述べたいと思う。言海が成立した明治の20年代は、明治生まれの新世代がいよいよ若者として社会に進出を始めた頃と一致し、また日本が近代以降初の対外戦争である日清戦争などを通じて、国家というものの体を手探りながらも成しつつあった時代でもあった。

 

 

■“日本普通語”と国民の創成

 

 大槻文彦らの凄まじい苦労の末に刊行された言海は、その苦労に見合うように世評もすこぶる高く版を重ね、文筆家周辺のみならず一般家庭にも広く普及をしていった。これは、言海が一部専門家のための特殊な用語事例のみを収録した専門書ではなく、広く地域を問わず日本国民全体を読者としうるほどの普遍性・網羅性を有していたからであろう。それこそが江戸時代にもあった各種字引類との違いであった。

 

言海は地名や人名などの固有名詞ではなく、一般的な日本人が用いるであろう言葉(それを大槻文彦は日本普通語と呼んだ)が主となっておよそ四万語が収められた。現在の代表的国語辞典である広辞苑第六版の二十四万語と比べると少ない印象を受けるが、当時としては比類のない規模を誇った。

 

言海が必然的に読者としてその射程に捉えたのは、前述のとおり日本国民全体である。

 

江戸の時代、お国といえば庶民にとってはそれぞれの生まれ住まう地域を意味していた所、明治維新以降、廃藩置県や徴兵制、何より学校公教育の普及により、次第次第に一般庶民にも「我等は日本国の国民である」という意識が広がりを見せ始めたいた頃である。

日本国民が出身地域によらず同一の日本国民であれば、言葉もまた地域によらず同一性を確保されねばならない…。言海の示した「網羅的な日本普通語」の姿は、そういう理念の具現化でもあったのだろう。大槻文彦は述べる。

 

一国の国語は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる公儀感覚を固結せしむるものにて、即ち、国語の統一は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり。されば、国語の消長は、国の盛衰に関し、国語の純、駁、正、訛は、名教(道徳)に関し、元気に関し、国光に関す。

 

日本普通語、言い換えれば国語の統一こそが独立の証。民族統一の証。元来言語学の門外漢であった大槻がかくも精魂込めて国語辞典の編纂にあたったのは、男子の一生を賭すにふさわしい国事であるという認識があったからであろう。

 

五十音の採用 西洋志向と廃仏毀釈の影

 

言海に関して更に特筆すべきは、索引がいろはにほへとではなく五十音を採用したことだった。

 

江戸時代、寺小屋などで子供たちは読み書きを学習する歳、最初に教えられるのは、あいうえお…ではなく、いろはにほへと…のいろは歌であった。

 

いろはにほへと              色は匂へど
ちりぬるを                     散りぬるを
わかよたれそ                 我が世誰ぞ
つねならむ                     常ならむ
うゐのおくやま             有為の奥山
けふこえて                     今日越えて
あさきゆめみし             浅き夢見じ
ゑひもせす                     酔ひもせず

 

いろは歌は日本語を構成する47の基本的な発音を1文字ずつ重複すること無く使用され、しかもそれが一つの意味ある文章をなしている。日本人に馴染みの深い七五調のリズムも相まって唱和にも向いている。成立は平安時代中期頃と言われており、「我が世誰ぞ常ならむ」という言葉に象徴されるように、「この世に永遠のものなど無く、全ては変転していく」という仏教的な諸行無常の考えを説いている。

 

幕末に来日したスイス人のエメェ・アンベールは、この“日本のアルファベット”が寺小屋などで唱和されている光景に興味を覚え、内容を以下のように解釈し、驚きを持って紹介した。

 

「色も香いも、消えていく。われわれの世界において、何か永久的なものなどあり得るだろうか?今日の日は、虚無の深淵の中に消滅していき、そのはかなさは、夢のようである。それは、微細な不安すら残さなかった。」

 

アンベールは、このいろは歌がいかなる書物よりも雄弁に日本人の基礎的性格を表現していると評し、この諸行無常の価値観は、例えば日本の家屋は障子や家具の効果的な使用により、一つの部屋が応接間にも食堂にも寝室にも容易に変化する部分などにも表れているとした。いろは歌は生活・教育の両面において長い年月を経て日本人の血肉となっていたのである。

 

一方、現在の小学校の国語の授業は、まずは「あいうえお…」と五十音の暗唱から始まるのが普通であり、いろは歌は古典の授業で取り上げられることはあっても日常からほぼ姿を消したと言ってよい。教育の世界でその変化が決定的となったのは、言海の発行と近い明治20年代前後の事であったという。

五十音はまずは母音のあいうえおから始まり、いろは歌とくらべても非常に規則的、システマティックな印象を受ける。一方でいろは歌と違い、意味のある文章にはなっていない。

 

五十音もいろは歌と同じく、その原型は平安時代の頃に仏教における仏典の発音研究の過程で派生的に誕生したものらしいが、それを発音表として確定させたのは、以前も紹介した本居宣長ら江戸時代の国学者達だったようだ。

本居宣長は「漢字三音考」の中で、「皇国の古言は五十の音を出ず。これ天地の純粋の音のみ用ひて。混雑不正の音をまじへざるがゆえ也」と、五十音こそ古代の純粋な日本語の発音であるとの見解を、やや極端なな形で述べている。

彼は中国やインド由来など外来の文化や思想を漢(から)意(ごころ)としてしりぞけ、日本の純粋性のようなものにこだわりを見せたことは前にも述べたが、五十音の研究にはその辺りの事情も絡んでいたのだろう。いろは歌はあまりにも仏教的(≒からごころ)すぎる。(五十音も仏教との関わりの中で生まれたものだったのだが…)

 

明治維新を成し遂げた思想的な原動力は、西洋に習おうとする洋学の系譜と本居宣長以降に盛んになった国学の系譜が混ざり合っているが、その両者にとって都合の良いのはいろは歌よりも五十音であった。西洋を範とする洋学者の側からすれば、発音が母音と子音に分けられて規則正しく配列された五十音は合理的であり、日本のアルファベットとするにふさわしく思われる。そして国学者の側からすれば、五十音は天地開闢以来の古代日本の純粋な日本の発音と考えられたからだ。

 

 

更に教育の場からいろは歌が姿を消した理由の一つとして考えられているのが、当時の日本で行われていた文化破壊の蛮行、廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)の影響である。

日本では「神様仏様」というように長い年月をかけて神道と仏教が交じり合っていた所、神道の長である皇室をたてまつって発足した明治新政府は、神道と仏教の分離を試みた。結果、仏教を軽んずる風潮が生まれ、日本各地で民衆によりお寺や仏像が破壊されるという事態も明治の初期には頻発している。現存していれば重文国宝クラスになったかもしれない仏教遺産が多数破壊されたのだから、もったいなくまた罰当たりな話だが、以前も述べた通り、当時の知識人有力者の中にも旧来の伝統や遺産には何ら価値を見出さない風潮が強く、貴重な遺産の破壊や散逸を嘆いたのはむしろ西洋人達であったという。

実際の話、殖産興業・富国強兵を旨とする明治日本の基本方針に、諸行無常とか盛者必衰とかといった仏教的な価値観はそぐわぬ面があったのも事実で、さまざまな理由の中でいろは歌は次第に五十音に取って代わられていったものと考えられる。

 

こうして日本初の近代的国語辞典である言海には五十音が採用されたが、意外な人物がそれを批判した。大槻文彦と同じく明六社の主要なメンバーであった福沢諭吉である。

開明的な福沢諭吉が五十音よりいろは歌を支持したのは意外な話だが、福沢諭吉は何より実用性を重んじた。いろは歌は庶民の世界にまだまだ深く根付いていたため、五十音よりいろはの方が読者にとっては実用的であると考えたのだ。変にイデオロギーが絡んでいないあたりがさすがである。

 

まさに諸行無常を地で行くように公の場から姿を消していったいろは歌だが、大正年間の頃まで電話帳はいろは順で並んでいたというから、如何に民衆に染み込んでいたかという事が良くわかる。

 

近世と近代を結ぶ言海

 

文法、意味の特定、普通語、五十音…。ここまでの紹介だと、言海という辞典はどこかシステム的すぎて人間味に欠ける、あるいは近代日本の帝国主義的な欲望をぎらつかせているという印象を持たれるかもしれない。言海が持つその網羅性・システム性がかえって日本語表現の可能性を狭めたという批判もある。

 

一方で、言海は単なる辞典の枠を超えて多くの愛好者も生んだ。後年の作家であえる夏目漱石や芥川龍之介の作品内にも言海は登場し、戦後の作家の開高健も愛読していたという。現在も読書人の間では人気は高く、文庫にもなった他、古書店でも買い求められることも多いらしい。

 

言海の編纂の過程で、大槻文彦は東西古今の様々な文献にあたり、その中には江戸時代に編纂された雅語辞典や博物図鑑などの近世辞書も多く含まれており、用語の解説にそれら江戸時代の文献からの引用が多いことが近年指摘されている。近代的な体裁を持つ一方で、文章そのものは古典の味わいを併せ持っているのだ。そのあたりのギャップが独特な魅力となり、また明治前半期の日本語空間をあらわす一級のサンプルにもなりえているという評もある。

 

例えば、よく引用されるのが“猫”に関する記述。

 

人家ニ畜フ小キ獣、人ノ知ル所ナリ、温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ、然レドモ、竊盗ノ性アリ、形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル、毛色、白、黒、黄、駁等種種ナリ、其睛、朝ハ円ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復夕次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ、陰処ニテハ常ニ円シ。

 

文語で書かれているため現代の我々には読みにくい部分もあるが、「ねずみを捕ってくれるが盗み癖がある」とか「眠ることを好んで寒さを嫌う」とか「朝は体を丸めており、真昼頃には針のように体が張り、……、夜は再び玉のように丸まる」とか、情景が目に浮かんでくるようで何ともユーモラスだ。学術的でも体系的でも全くない。こういう味わいは近年の辞書にはあまり期待できない部分だろう。この記述にも大槻文彦のユーモアと共に、江戸期の博物図鑑の影響をみる研究もある。

芥川龍之介はこの記述を面白がり、随筆「澄江堂雑記」において、

「これをしも「竊盜ノ性アリ」と云ふならば、犬は風俗壊乱の性あり、燕は家宅侵入の性あり、蛇は脅迫の性あり、蝶は浮浪の性あり、鮫は殺人の性ありと云つても差支へない道理であらう。按ずるに「言海」の著者大槻文彦先生は少くとも鳥獣魚貝に対する誹謗の性を具へた老学者である。」

と、愛着込めて皮肉った。

 

言海そのものは日本の近代化の要請にこたえる形で成立したものだが、言海の中において近代以前と近代は決して断絶はしてはいなかった。その意味や意義については、今後も我々は考えていくべきであろう。

 

かな文字運動の方へ

 

洋学者の祖父、儒学者の父を持ち、和漢洋に渡る膨大な資料を駆使して言海を成立させた大槻文彦であったが、彼本人は明六社の他メンバーと同じく漢字廃止論に傾いており、明治十四年に発足したかな文字運動団体「かなのくわい」(假名の會)に参加している。

 

かなのくわいは皇族の有栖川宮 熾仁親王を会長にいただき、一時期は会員数も一万を超えるなどかなりの規模を誇ったようだが、かな文字の表記を伝統的な歴史的かなづかいとするか、現在我々が使っているものに近い表音的かなづかいにするかで意見が対立するなどまとまりには欠け、言海の初版発行位の前年の明治二十三年(1900年)頃にはほぼ活動停止状態となってしまった。かな文字運動のより本格的な再興は、後年のカナモジカイの発足を待たねばならない。

 

(続きます)

 

2014年秋季野球大会のお知らせ(11/9 Sun)

平成26年度秋季の塾友・塾生交流「軟式野球大会」を下記により開催しますのでご案内いたします。

同期会連絡網の活用や後輩への呼びかけにより、野球愛好の塾友に声を掛けていただくようお願いいたします。

 

 

1.日  時: 平成26年11月9日(日)  7時30分集合

・ 試 合  8時00分~10時00分

・ 懇親会 未定

 

2.場  所: 豊島区総合体育場野球場

(東京都豊島区東池袋4-41-30  TEL 03-3971-0094 )

 

3.会  費:  2,000円 (傷害保険料等に充当します。)

 

4.懇 親 会: 未定

 

5.そ の 他:

(1)雨天の中止の場合は、事前に参加者に連絡します。

連絡がないときは、7時30分に集合してください。

(2)マイグラブ、マイバットをお持ちの方は、ご持参いただければ幸いです。

 

以 上

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◇ 参加のご連絡は、塾友会ホームページのお問い合わせメール( wakei4world@gmail.com 、H16北 古閑)にお願いいたします。

 

 

10月25日はホームカミング大会です!

10月25日はホームカミング大会です!

 

第25回ホームカミング大会を10月25日(土)に和敬塾で開催します。

テーマは『和敬塾は「まほろば」、今一度 心に和敬塾を!』です。

 今回は、昭和59年卒の卒塾生が主幹事となって準備を進めております。

10月14日現在で出席の回答をいただいている皆様のお名前を掲載しますので、懐かしいお顔に再会するためにぜひ足をお運びください。

 

○ 当日の次第は、次の通りです。(予定)

受付開始 午前9時30分

第1部 式典開会  10時30分  大講堂

開会

物故者追悼

主催者挨拶   塾友会会長 柳川邦衛(S33南)

祝辞      和敬塾理事長 前川正雄

塾歌斉唱

第2部 記念公演  11時00分  大講堂

祝辞      和敬塾塾長 前川昭一

松坂慶子さん朗読劇「額田王と吉野」~和敬塾特別版

主演 松坂慶子さん

篠笛 鳳声智晴さん 又は 植松容子さん

解説 上野誠(S59北)

第3部 懇親会   12時30分  本館庭園

(雨天の場合は食堂、また雨天の場合は準備のため開宴が少し遅れます)

※式典終了後、講堂からそのまま会場にお移りください。

開宴

主催者挨拶   実行委員長 新保英樹(S59西)

来賓代表挨拶  和敬塾専務理事 佐藤一義

  乾杯

祝宴・抽選会

来年の決意表明(S60卒塾代表)

 

 

 

 

 

 

 

○ 第25回 ホームカミング出席予定者(平成26年10月14日現在)

北寮 南寮 西寮
石井健三 S34 伊藤栄彦 S32 松原達哉 S33
木内正二 S34 柳川邦衛(藤田) S33 新村鋭男 S34
鳥山英二 S36 片岡 隆 S34 竹内利夫 S34
小寺洋一 S36 飯塚文夫 S34 梅田 要 S35
高井 浩 S36 弓削純一 S34 西村正彦 S36
萩野隆市 S37 加島鐐司 S36 村山昌弘 S36
細谷昌平 S37 野末明世 S36 稲本義久 S37
古屋 力 S37 松本洋一 S36 比果雅次 S37
松崎松平 S38 小野勝男 S36 斎藤朋久 S39
三宅章介 S38 海鋒博茂 S36 北野克樹 S39
武田與光 S39 海崎弘之 S36 平島博行 S39
池田泰雄 S39 四宮義之 S37 工藤 晃 S39
紅林一彦 S39 山口剛弘 S37 津村勲夫 S39
岡安宏真 S39 中村陽一 S38 浦辺太郎 S40
中村隆輔 S40 岸上 澈 S39 野村俊彦 S40
栗原直武 S40 酒井陸紀 S39 丸茂博史 S41
石川信介 S40 関根健治 S39 石井利典 S42
青木邦夫 S40 綱島佑吉 S39 川崎清明 S42
青柳義雄 S40 近森 新 S39 平田春生 S42
槇野 彬 S41 阿部紀一 S39 阿部雄次 S44
能登 崇 S41 佐々木眞 S39 笠原 裕 S45
岸本堅太郎 S42 幡鎌武夫 S39 早川浩明 S45
立野嘉之 S42 吉岡豊秀 S39 加茂隆夫 S45
松浦 宏 S42 本庄昭郎 S40 長尾梅太郎 S49
岩城本臣 S44 岡本泰治 S40 堀江祐介 S49
瀬川隆生 S46 田丸道雄 S40 河野秀昭 S49
富田康行 S46 都筑 興 S41 島田元幸 S50
保坂幸博 S46 澤田 学 S41 田中 稔 S51
竹尾道助 S47 古谷徳男 S42 宮原洋一郎 S51
柴田恭秀 S47 笠原將敏 S45 仁志正樹 S52
高橋功二 S49 山本博之 S45 椎名 功 S54
畦地政信 S51 斎藤忠一 S45 宮川純一 S55
井上隆史 S51 下荒地修二 S45 山本 茂 S55
安川啓利 S52 守田俊介 S45 高西淳夫 S55
金子富雄 S52 渡辺 誠 S45 西崎真次 S56
吉海泰至 S53 前田剛志(剛) S46 瀬尾元一郎 S57
田中明彦 S53 田中省吾 S52 大澤 尚 S58
米村 哲 S56 楠 雄一 S53 新保英樹 S59
平見勇雄 S58 中岡宏友 S53 森本雅司 S59
松岡正樹 S58 横山 章 S55 玉井 裕 S59
山田泰司 S58 小田一秀 S57 藤 和彦 S59
松下浩一 S58 松本康広 S57 北村俊一 S59
田村幸永 S58 青井賢司 S57 柴田裕生 S59
吉宮由真 S58 小崎雅也 S57 堤 浩一 S59
上野 誠 S59 田中一朗 S57 大元宏朗 S59
岩田耕一 S59 久野哲男 S58 笠原敏弘 S60
竹下 努 S59 北浦正人 S58 井手博文 S60
武田佳典 S59 木村和敬 S58 山白 敦 S60
永井達也 S59 豊田茂穂 S59 阿部芳典 S60
前田裕造 S59 浅井政彦 S59 井出博文 S60
黒木 茂 S59 長崎耕三 S59 伊大知達也 S60
桜井浩志 S59 水野淳一郎 S59 沖垣佳宏 S60
鳴川雅也 S59 吉村 明 S59 小高得央 S61
柳沢 剛 S59 平岡宏一 S59 鈴木 昇 S62
西元 誠 S59 佐藤達夫 S59 立川哲哉 H01
早川雅司 S59 東家文生 S59 齊藤一郎 H04
立野裕一 S59 岩本隆一郎 S59
手塚経彦 S59 武貞達彦 S59
小古井武夫 S59 福本太一郎 S60
河島 巌 S60 松本裕敦 S60
東 貞成 S60 奥田 徹 S61
水上智幸 S60 兎束哲夫 S62
井手淳一 S60 伊藤栄彦 S32
池田拓郎 S60 柳川邦衛(藤田) S33
角銅剛太 S60 片岡 隆 S34
有賀文威 S63 飯塚文夫 S34
青木貴行 H06 弓削純一 S34
高木孝昌 H10 加島鐐司 S36
太田充俊 H10 野末明世 S36
向井佑輔 H15 安藤浩一 H03
寺田一智 H15 佐々木馨 H05
古閑善丈 H16 結城安浩 H06
黒田英佑 H18 鈴木啓央 H06
松浦 一 H06
新井琢也 H06
細谷岳男 H06
大内 啓 H07
小林秀顕 H08
塚内智洋 H24

 

~北寮集まれ!~ ホームカミング大会二次会『北悠会』のご案内

~北寮集まれ!~ ホームカミング大会二次会『北悠会』のご案内

 

今年もホームカミング大会終了後に、恒例の北寮卒塾者の集まりである「北悠会」の宴を下記により催します。

北寮OBの皆様、お誘い合わせのうえぜひご参集ください。

 

今回のホームカミング大会の主幹事は昭和59年卒の塾友です。

式典に続いて、女優の松坂慶子さんの朗読劇があります。

北寮の主幹事は、懇親会の企画と運営を担当しております。

 

北寮現役塾生の参加も歓迎しますので、参加をお待ちしております。

 

 

◇ 日時:  平成26年10月25日(土) 午後3時30分ごろから

※ ホームカミング大会終了後となります。

◇ 参加費:  4000円 (現地会場で徴収します。)

※ 北寮現役塾生は無料です。

◇ 場所:  お料理「いり江」

住所: 豊島区高田1-36-21

電話: 03(3981)5463

※ 和敬塾から、目白通りを目白駅へ向かって左側です。

< 「高田一丁目」の信号のすぐそば、「鬼子母神」参道入口の向かい側、目白駅方面のバス停「鬼子母神前」の近くです。 >

○ 連絡先:

・ 幹 事  富田康行(S46北) 携帯: 090-1582-4489

2014夏 塾友・塾生交流野球大会開催のご案内

平成26年7月吉日

 

塾友・塾生交流軟式野球大会開催のご案内

 

塾友会首都圏支部の行事として、平成26年度の塾友・塾生交流「軟式野球大会」を下記により開催しますのでご案内いたします。

平成21年までは本部の行事として年2回ほど実施しておりましたが、場所の確保ができず休催していたところ、ようやく会場が取れましたので久しぶりに開催いたします。

つきましては、プレーされる方はもとより、心強い応援が必要ですので老若を問わず奮って参加いただくようよろしくお願いいたします。

併せて、同期会連絡網の活用や後輩への呼びかけにより、野球愛好の塾友に声を掛けていただくようお願いいたします。

 

 

1.日  時: 平成26年7月20日(日)  7時30分集合

・ 試 合  8時00分~10時00分

・ 懇親会 12時00分~13時00分

 

2.場  所: 豊島区総合体育場野球場

(東京都豊島区東池袋4−41−30  TEL 03-3971-0094 )

 

3.会  費:  2,000円 (傷害保険料等に充当します。)

 

4.懇 親 会: 野球の試合終了後、和敬塾・会食室(学生ホール1F)で懇親会を行います。

 

5.そ の 他:

(1)雨天の中止の場合は、事前に参加者に連絡します。

連絡がないときは、7時30分に集合してください。

(2)マイグラブ、マイバットをお持ちの方は、ご持参いただければ幸いです。

 

以 上

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◇ 参加のご連絡は、7月16日(木)までに塾友会ホームページのお問い合わせメール( wakei4world@gmail.com 、H16北 古閑)または次にお願いいたします。

 

① 首都圏支部

(ア)Email: agenda-c@atlas.plala.or.jp または katsundo@mars.plala.or.jp

(イ)電話: 03-3523-3467

(ウ)FAX: 03-3523-3463

② 担当: 富田 康行(S46 北寮)

(ア)Email: qqsw72n59@sirius.ocn.ne.jp

(イ)携帯電話: 090-1582-4489

 

第27回和敬塾塾友会全国ゴルフ大会 in 長崎 ~その2~

◇ 長崎観光

1.九州・山口の近代化産業遺産群のひとつ「軍艦島」に上陸

平成26年4月13日、ゴルフ大会当日の日曜日、私たち観光組は、前夜祭の余韻も冷めやらぬまま、地元稲佐山観光ホテルの小林秀顕社長(H8南)のアテンドにより、早朝に長崎港をクルーズ船で出発した。

あいにくの雨となったが、眼前には長崎港を取り囲む濃い緑の山々があり、右手には日本有数の造船所のクレーン群が見える。

左手の南山手に建つ グラバー邸に見送られながら、私たちの船は港口に架かる女神大橋をくぐり、すべるように外海へと出た。

目的地は、通称「軍艦島」と呼ばれる端島。長崎港の南西約19キロメートルに位置する周囲わずか1.2キロメートルの小島だ。明治期から海底炭鉱によって栄え、昭和30年代には五千人を超す住民が暮らしていた。鉄筋コンクリート造りの高層住宅が建ち並び、その姿が軍艦のようなのでこの名がついた。

昭和49年の閉山とともに住民が去り、今は無人島となったが、明治期の産業遺産を地域の観光に活かそうと、島の南部に通路が整備され、観光客が上陸・見学できるようになった。

私たちは横なぐりの雨のなか、レインコートを着て廃墟となった島に上陸し、日本の近代化を支えた人々とその家族に思いを馳せた。軍艦島は平成21年1月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、ユネスコの世界遺産暫定リストに登録されている。

2.長崎中華街のちゃんぽんを堪能

長崎市内に戻ってからは、中華街と長崎歴史文化博物館を訪れた。

中華街では昼食に名物のちゃんぽんや皿うどんを賞味した。

ちゃんぽんは、明治の中頃、中国から日本に来た留学生に安くて栄養のある食べ物を提供しようと、当時の中華料理店の店主が考案したものだそうだ。

私たちはおいしい名物料理をたっぷり堪能した。

3.長崎歴史文化博物館で江戸時代にタイムスリップ

昼食後は行政書士の橋本剛氏(H4西)の案内で、長崎歴史文化博物館を見学した。

江戸時代の長崎奉行所があったところに瓦屋根の歴史的建造物が再建され、博物館として利用されている。その外観だけでも一見の価値がある。

館内に入ると、キリシタンゆかりの品やオランダとの通商時代の文献などが展示してある。この日は伊藤若冲の企画展が開催されており、稲佐山観光ホテル小林秀顕社長の計らいで期せずして江戸中期の奇才の逸品を楽しむことができた。

4.おわりに

今回の長崎観光では、地元長崎支部のみなさまにたいへんお世話になりました。特に、観光ルートの企画や訪問先の手配をされた稲佐山観光ホテルの林秀顕社長と小林央幸専務(H10南)、当日のアテンドをされた橋本剛氏には、参加者一同、心からお礼を申し上げます。

 田嶋典明(S53北)記

観光組集合写真

 

第27回和敬塾塾友会全国ゴルフ大会 in 長崎 ~その1~

 

◇   ゴルフ大会

オーガスタでマスターズの熱戦が繰り広げられていた4月13日(日)、長崎の地においても全国ゴルフ大会の熱き戦いが行われましたので、レ ポートいたします。

戦いの舞台は、パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ。大村湾に突き出た半島の中にあり、日本ではめったに味わうことのできない本格的なリンクスコースです。平成22年に日本プロゴルフ選手権が開催された、九州のゴルフ場ランキングでも常に上位に入る人気コースです。

あいにくの雨が降りしきる過酷な条件の中、10組37名の選手は1人のリタイアを出すこともなく、ラウンドを貫徹されました。改めて、和敬塾 の先輩方の精神力に感服いたしました。

パサージュ琴海と言えば3番ホール。173ヤード、海越えのショートです。哀れにも白球が海の藻屑と消えた方、ドンピシャに付けて見事ニアピ ンを奪った方など、悲喜こもごものドラマが待っていました。

優勝は昭和39年西寮卒の平島先輩。「帰りたい、帰りたい。」とボヤきながらも、しっかり優勝トロフィーを持ってお帰りになられました。

ベスグロは、昭和44年北寮卒の岩城先輩。賞品として、昭和33年南寮卒の柳川先輩からご提供いただいた、ご友人(!)のジャック・ニクラス氏直筆 のサインを獲得されました。

ゴルフのスコアについては、個人情報保護と参加者の名誉の観点から割愛させていただきます。

寺田俊章(H10南)記

 ベスグロ賞の岩城さんとジャック・ニクラウスの直筆サイン色紙と贈呈する柳川さん

スタート前の集合写真

第25回ホームカミング大会を10月25日(土)に開催!

ホームカミング大会は今年で25回目を迎えます。主幹事を昭和59年卒の塾友が務め、例年通り10月の最終土曜日、25日に開催します。

テーマは、『和敬塾は「まほろば」、今一度 心に和敬塾を!

素晴らしい場所、住みよい場所の意を、古語「まほろば」に込めました。

そして今年は、女優・松坂慶子さんに朗読劇を演じてもらうことになりました。額田王に扮した松坂さんが「古代の衣装」を身にまとい、大講堂に登場します。和敬塾向けの特別公演とすべく、準備を始めたところです。

松坂さんは、「和敬塾で、今回、朗読劇をさせていただく機会をいただき、ありがとうございます。愉しんでいただけましたら幸いです」と、目白台の和敬塾訪問と公演を楽しみにされております。

午後は、いつものように本館前庭でのガーデンパーティーを予定する。前回は台風接近という荒天のもと、大食堂で空間も時間も濃密なひと時だった。この秋はぜひ、爽やかな外気にふれる歓談の場となれば」と願っております。

日本を代表する女優の特別公演という華やかな催しが加わったホームカミング大会に、ぜひ、奥様や家族連れで参加してください。

また、59年卒各寮の皆さん、まさかの松坂慶子さんご来塾という展開に、人出が大幅に足りません。秋本番へ、お手伝いをお願いします。

森本雅司(S59西)記

○   朗読劇「額田王と吉野」(和敬塾特別版)とは…

額田王(ぬかたのおおきみ)の生年は諸説あるが、舒明・皇極・孝徳・斉明・天智・天武・持統の7代の天皇の時代を生き抜いた女性とされる。大化の改新から壬申の乱を経て飛鳥や藤原京の造営に至った激動の時代の宮廷歌人だった。

その晩年は、吉野行幸を度々繰り返した持統朝に重なり、宮廷歌人の地位は柿本人麻呂に取って代わられていた。

人生の苦楽、愛の気高さや移ろいやすさも知った額田王のもとに、吉野入りしていた皇子から手紙が届く。額田王は問わず語りに、自らの半生を語り出すのであった。

この朗読劇は、原作「額田王と吉野 古(いにしえ)に恋ふる鳥」(書肆アルス刊、著者は上野誠・奈良大教授・S59北)を、松坂慶子さんが演じている。

奈良県吉野町で初演、東京・よみうりホールで東京公演を行い、今年6月には愛知県豊田市公演などが予定されている。

本来は、朗読する松坂さんのほか子役、尺八、筝・十七弦などが脇を固める。ホームカミング大会では、松坂さんと、弦楽器の伴奏を予定しており、和敬塾公演の特別バージョンとすべく、準備を進めている。

 

松坂慶子さん

 

 

[ 写真は、奈良県吉野町教育委員会様からご提供いただきました。]

[ 松坂慶子(まつざか・けいこ)さん経歴 ] 1969年に映画デビュー。81年「青春の門」、「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。翌年「蒲田行進曲」で連続受賞。90年「死の棘」がカンヌ国際映画祭グランプリと国際批評家連盟賞の二冠に、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞も。
 近年の主な作品は、映画「犬神家の一族」(06年)、「武士の家計簿」(10年)、「綱引いちゃった!」(12年)、NHK大河ドラマ「篤姫」(08年)、火曜ドラマ「マドンナ・ヴェルデ」(11年)、土曜ドラマ「キルトの家」(12年)、ドラマW「チキンレース」(13年)、フジテレビ「長谷川町子物語~サザエさんが生まれた日」(13年)など。

◎  新保実行委員長ご挨拶 「記憶に残る大会に!」

第25回ホームカミング大会の実行委員長となりました。

来年は「塾父・前川喜作翁の生誕120周年」と「和敬塾創立60周年」という節目の年を迎えます。

その前年にあたり、年初の記念イベント「和敬ニューイヤーコンサート」を嚆矢として、秋のホームカミング大会も記念イベントの一翼を担いたいと考えております。

そのためにも、本年の実行委員は、「記憶に残る、元気の出る大会」にするべく、精一杯頑張っていきます。是非皆様のご支援・ご参加を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

第25回ホームカミング大会実行委員長 新保英樹(S59年西)

7月26日(土)に開催予定「全国囲碁大会(和敬囲碁名人戦)」

 

『塾友会・全国囲碁大会』のご案内

永世名人位争奪

第21回和敬塾囲碁名人戦

主管:塾友会本部  共催:首都圏支部

 

■ 日   時    平成26年7月26日(土) 午前9:45集合(受付、組合せ)

棋戦 10:00~16:00  表彰式・懇親会 16:30~17:30

 

■ 会   場    日本棋院・有楽町囲碁センター 

住所:(〒103-0028)東京都千代田区有楽町2-10-1 交通会館9階

JR有楽町駅 京橋口、中央口正面のビル

TEL:03-6269-9133

■ 参加資格    塾友・塾生・塾職員・塾関係者及びそのご家族などで主催者承認の者

 

■ 競技方法    【名 人 戦】オール互戦

【A クラス】有段者・ハンデ戦

【B クラス】級位者・ハンデ戦

 

■ 表   彰    理事長杯(持ち回り、レプリカ付き)、塾友会長杯、首都圏支部長杯 、

※他・賞品の寄付歓迎。

 

■ 永世名人  名人戦にて通算5回または連続3回優勝者を永世名人として表彰し、

永世名人杯を授与。

*現在、橋本誠介6段(36北)が通算3回の最多優勝者です。

 

■ 競技終了後打ち上げの清宴を行います。

■ 7,000円(当日、会場にて申し受け致します)

※ 会場費、昼食代、清宴代、賞品代など一切含みます。

 

■ お申込み    囲碁趣味塾友の方々に別途郵送にてご案内します。

また、同案内のない方も参加ご希望の方は以下の大会実行委員宛

ご連絡下さい。

 

◇大会実行委員

[塾友会本部・囲碁幹事]

桑原信二(46北) 携帯:090-4524-2757090-4524-2757

E-mail:snkuwahara@s07.itscom.net

〔首都圏支部・囲碁幹事〕

西村正彦(36西) 携帯:090-6300-2068090-6300-2068

小澤 拓(h2北) 自宅TEL:042-855-5211042-855-5211

E-mail:hiro-ozawa@jcom.home.ne.jp

 

以  上

塾友会中国支部総会(新年会)

塾友会中国支部総会(新年会)

 

1月26日に広島市内のエンジェルパルテにて、新年会を兼ねた総会を開催しました。今回は、久々の日曜日正午開催ということもあり、広島県東部の福山市、岡山県、そして山口県からも、近年では最も多い総勢18名が集いました。

総会は、冨永支部長の挨拶の後、決算及び事業報告が「簡潔に」行われ異議なく了承されました。

新年会は、中国支部初代支部長の永井顧問の乾杯発声でスタート。続いて富田塾友会副会長よりご挨拶をいただき、その後順次出席者から近況報告が行われました。

既に社会の第一線から退かれている方を含め、異業種でありながら、最大年齢差40歳の人たちが集える会というのも、和敬ならでは。初対面でありながらも、旧知の仲のような信頼感が心の奥底に芽生えてきます。先輩を前に、ビールは飲み干してから注いで頂く、そんな和敬時代の習慣に舞い戻ってしまうのも、楽しいひとときです。

そして宴たけなわの中、和敬塾に勤務している大谷氏によるエール、CD伴奏付きで塾歌の斉唱、最後に溝手顧問による中締めと、あっという間に2時間が経過しました。

この会の席上、中国支部のそれぞれの地域でも「集まる会」を開こうということになり、さっそく2月22日には4名参加のもと「福山地区会」が、また3月8日には8名参加のもと「新春の会in山口」が開催されました。「in山口」については別稿をご覧ください。

最後に、遠路よりお越し頂きました富田塾友会副会長、本会の様子を撮影し、参加者全員に写真配布頂きました兒玉先輩に心から御礼申し上げます。

(佐藤政秀)

出席者

富田 康行(46北) 永井 昌治郎(34北) 兒玉 辨二(36南) 溝手 憲一郎(37西) 中村 修司(38南) 近森  新(39南) 山田 功(41北) 新田  実(44南) 大嶋  登(46北) 奥谷 勝則(48南) 田内 裕千(49南) 冨永 嘉文(50北) 山本 正(52北) 岡本 久泰(58南) 藤本 寿徳(H3西) 大谷 英二(H5北) 田中 宏幸(H5北) 佐藤 政秀(H9南)

塾友会中国支部総会(新年会)

塾友会中国支部総会(新年会)

H15北卒 vs H16北卒のゴルフマッチプレー報告

皆さん、こんにちは。 平成16年北卒の古閑です。

 

2014年3月2日に、H15北卒 vs H16北卒のゴルフマッチプレーを実施しました。

 

今回の会場は、ニュー南総ゴルフ倶楽部。
http://www.newnanso.com/

 

朝から小雨が降り、気温も低く寒かったため他のお客様は相次いでキャンセルされていたとのこと。
待ちに待った和敬ゴルフということで我々は当然のように決行してきました。

 

 

和敬ゴルフ

和敬ゴルフ

 

H15年北卒の福田さん&上村さんペアと、H16年北卒の高松&古閑ペアのマッチプレー。

1ホール毎に、それぞれのペアのストローク数を掛け算して出した数値が低い方が勝ちのルールです。
この、「掛け算」ってとこがポイントで、足したストローク数が同じでも、良いスコアを出したプレーヤーがいると点数が変わってきたり。

 

先輩に気を使ってあまり言えないのですが、過去5回?の開催でH16年ペアは負けなし。

 

 

和敬ゴルフ集合写真

和敬ゴルフ集合写真

 

今回の結果は、、、、 前半OUTは、序盤はH16ペアが3UPまでリードを広げるも、最終的にはなんとドロー。

 

 

和敬塾ゴルフ福田さん

和敬塾ゴルフ福田さん

まぁこれで先輩に花を持たせたよね、ということで、後半INは、あっと言う間にH16ペアが5UP獲得し、 またしてもH16ペアの勝利。

 

和敬塾ゴルフ上村さん

和敬塾ゴルフ上村さん

お土産に、H15ペアから、千葉県市原市産の梨で作った「梨ゼリー」を贈って戴きました! 今回も、ありがとなっしー!!

 

 

梨ゼリー

梨ゼリー

 

帰り道の途中、次回は「海釣り対決にしよう!」との話で盛り上がりましたので、 今度は海釣りの結果をご報告できることを楽しみにしております。

 

塾友会 本部役員 古閑

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その6~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その6

 

明治前半期の欧化主義と日本語(2)

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

明治日本は進歩的な西洋文明に比べれば未だ開かぬ後進国である以上、日本は社会・文化、そして言語に至るまで全てにおいて西洋を手本とし進歩発展しなければならぬ…。

 

現在に至るまでなお生き続けるこれら西洋(≒近代世界)信仰が明治初期に日本人達の間で大いに受け入れられたことは既に見てきた通りであるが、今回は「日本語表記の近代史」という本記事の趣旨からはやや外れる部分もあるが、それら進歩思想の日本における受容の背景の一端について触れてみたいと思う。

 

 

歴史教育の観点から ~「パーレー(ばん)国史(こくし)」と日本人~

 

キリスト教世界であった西洋においては、歴史叙述もまた

 

天地創造→アダムとイヴ→(中略)→キリスト降臨→(中略)→最後の審判→至福千年

 

というような新旧聖書の世界観が色濃く反映されたものであった。こういったキリスト教的世界観に基づく世界史叙述をUniversal(ユニバーサル) History(ヒストリー)(普遍史)と呼ぶ。

普遍史はギリシャ・ローマの時代に成立し中世期には西洋世界では広く受け入れられたが、その後のルネサンスや大航海時代、啓蒙主義の時代を経て科学と発見の世紀であった19世紀当時には、既に過去の時代の遺物となっていた。地層を調べれば見たこともない変な生き物の化石が大量に出土、海の向こうには(聖書に一言も記述もない)新大陸アメリカがあり、そもそも地質学を研究すればするほど地球の歴史は聖書の記述(せいぜい数千年)よりよほど古いらしい事が裏付けられ、そもそもヒトは神の似姿ではなくサルの仲間から進化したのではないか…、もはや西洋人も信心深い聖職者や善良で保守的な庶民などを別にすれば、世界史=聖書(普遍史)だと信じるものはほとんどいなくなったのである。

科学や歴史学などのアカデミズムの世界からはほぼ見捨てられた普遍史的な世界観は、一方で一般庶民向けの歴史読み物や初等教育の世界ではまだ命脈を保っていた。そして明治初期の日本に持ち込まれた世界史の教科書が、まさにその普遍史であった。

 

 

明治初期の日本の教育事情は「翻訳教科書時代」と呼ばれるほど教材を欧米に頼りっきりであり、世界史の教科書もまた米国製のパーレー萬国史が翻訳して使用された。(ここではUniversal Historyは「普遍史」ではなく「万国史」と翻訳されている。)

パーレー萬国史を日本に最初に持ち込んだのは本稿おなじみの福沢諭吉で、翻訳作業に当たったのは後に日本最初の近代的国語辞典「言海」を著した洋学者の大槻文彦であった。翻訳作業の後に明治7年に「萬国史略」として教育現場に投入された本書は、翻訳の課程で神による天地創造やアダムとイヴ、イエス・キリストなどのキリスト教的な記述は削除されたが、(キリスト教化された)西洋こそが文明国であり、それ以外の世界は野蛮国、未開国、やや文明化された半文明国であるという今日の目から見たら極めて西洋中心主義的な世界認識はそっくり継承されている。わざわざアメリカ製の教科書を使用するのも、それまで日本には存在しなかった“世界史”の概念を教育に導入する上でやむをえぬことではあったが、この進歩する西洋と停滞する東洋という構図、そして我らが日本もまた停滞する東洋の半文明国に過ぎないという認識が教育を通じて明治初期の学生たちに共有されたわけだ。しかし日本人は怒るどころかそんな世界観をあっさりと受け入れ、むしろ「自分たちも早く西洋のような文明国にならねば」とますます積極的に欧化主義に傾くこととなった。その辺の事情は前回にも触れたとおりである。

そして後年、明治初期のこれら西洋中心主義への潜在的な反発は、より極端な形で表出することにもなる。

 

萬国史略 http://www.library-noda.jp/homepage/digilib../meiji/018.html

 

科学の観点から ~「進化論」と日本人~

 

欧米の書物の翻訳作業と並び、明治初期に国を挙げて行われた日本近代化の取り組みの一つに、外国人の指導者・助言者の各方面に渡る積極的登用であった。いわゆるお雇い外国人である。

イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシアなどの欧米列強諸国からこれまた多方面(政治経済、法制、哲学芸術、科学、医学、軍事、教育などなど)に渡る専門家が次々と明治政府の招聘を受ける形で来日した。大学で教鞭をとる者、技術者として現場を指揮する者、政府の顧問として政策への助言を行う者、明治期に於ける彼らお雇い外国人の果たした役割は非常に大きいものがあったのは周知の通りである。

そんなお雇い外国人たちの中でもこんにち最もよく知られる人物の一人に、米国出身の生物学者エドワード・S・モースがいる。東京帝国大学で生物学の講義を持つ傍ら、大森貝塚の発見・発掘調査を行い考古学や民俗学への研究の端緒も開くなど、生涯に渡り日本と深い関わりを持った人物であった。晩年の回想記「日本その日その日」は明治期日本の姿を今に伝える貴重な資料ともなっている。

 

多方面に渡る活動を通じて日本近代史に深い関わりを結んだモースであったが、教育者として随一の功績は、やはり当時欧米の最新学説であった進化論を日本に初めて紹介したことであろう。発足間もない東京帝国大学に於けるモースの講義が、我が国における進化論普及の端緒となった。

19世紀後半、イギリスの博物学者ダーウィンらによって提唱された進化論は、単なる生物学の枠を超え社会観・人間観そのものを揺さぶる大論争をヨーロッパにもたらした。従来のキリスト教的自然観においては自然も人間も等しく神の被造物であり、特に人間は最も神に近い存在であったところが、進化論に従う限り自然は神の御心ではなく生物同士の厳しい生存競争によって支配されており、人間もまたそんな自然の一部に過ぎずその祖先はサルと同じ……、先に紹介した普遍史の世界観を決定的に崩壊させたのも進化論だった。

 

生物が厳しい静音競争の中で個々の能力を絶えず変化させながら進化してきたという考えは、人類が絶えまない争いの歴史の中で文明を発展させてきたという歴史の原理の説明にも応用が効くのでは無いか?

生物学の原理である進化論を安易に社会学や歴史学に当てはめようとするこれら社会ダーウィニズムの発想は、こんにちでは正当な根拠を持たない単なるイデオロギーであるとされている。この方面における最悪の事例は、優れた人種は劣った人種を滅ぼしても構わないとし、実際に“劣等人種”とされたユダヤ人の絶滅をはかったナチスドイツのケースだろう。

しかし19世紀の当時においては最新の科学的学説でもあった進化論は洋の東西を問わず多くの先進的知識人に影響を与え続け、文明や文化の発展を語る上での重要なツールとして流用された。

進化論はキリスト教国家ではなかった明治日本では割とすんなりと受け入れられた。そして折からの欧化主義と相乗効果をなしながら、日本もまた西洋のような文明国に“進化”せねばならぬという社会思想につながっていったことは最早言うまでもない。19世紀の世界は強い国が弱い国を武力で支配する道理なき帝国主義の時代でもあったが、進化論の適者生存の考えを優勢劣敗、強者による弱者の支配の肯定と解釈する事もあながち突飛な発想とはされず、富国強兵を旨とする明治日本のドクトリンと一致する側面があった事も言うまでもない。

この優勢劣敗の発想は軍隊の強さとか領土の広さといった単純な国力の話にとどまらず、文化や言語の分野にも及ぶ。前回紹介したように徳富蘇峰や田口卯吉ら民友社系の言論人たちは日本文化に対する西洋文化の優越を信じていたし、日本語という言語もまたも社会の進化とあわせて新しい形に進化するべきだという発想にも繋がっていった。

直接的な関係で言えば、モースの進化論講義を聴講していた地球物理学者の田中(たなか)(だて)(あい)(きつ)は、日本語表記改革運動にも深く関わり、「日本語の表記にはローマ字を用いるべし」という熱心なローマ字国字論者となった。また、明治後半から大正期にかけて進化論の普及に貢献した生物学者の丘浅(おかあさ)次郎(じろう)も、社会進化と言語の関係に深い関心を抱き世界共通言語を志向したエスペラント語運動に関わった最初の日本人となった。(丘浅次郎についてはいずれまた紹介したい。)

 

 

今思うとキリスト教的世界観が底流にあるパーレー萬国史とそのキリスト教を否定する内容を孕んだ進化論がほぼ同時に日本に移入されたというのもなかなかに皮肉な話である。しかし万国史の持つ西洋中心的世界観、そして進化論に付随する形で受け入れられた社会進化論、これらは明治初期の欧化主義のいわば両輪であり、日本語の近代化という本稿のメインテーマにも影に日向に影響を与える事となるのであった。

(続きます)

第24回ホームカミング(HC)大会実行委員会よりの御報せ「DVD完成の遅延」

第24回ホームカミング(HC)大会実行委員会よりの御報せ
  「DVD完成の遅延」

塾友の皆様、余寒の頃、益々ご清栄の事と存じます
第24回HC実行委員会は,第25回HC実行委員会(S59年卒)の方と,その引継を始めております。
今年のHC実行委員会の面々は,推進力とパワーに満ちたメンバーで,皆様のご期待に必ずや応えてくれることと思います。

さて,お詫びを兼ねての御連絡です。第24回HC実行委員会のアルバムDVD作製でありますが,当初の予定より完成が遅れまして,3月になってしまいます。
誠に申し訳ございません。
完成次第,皆様のお手元にお届け致しますので,今しばらくお待ちください。 御理解宜しく御願い申し上げます。

以上

「丸紅和敬会」を発足しました

2014年2月6日(木)、丸紅株式会社および丸紅グループ会社の塾友会メンバーにて「丸紅和敬会」を発足しました。
発足式では発足メンバーである8人全員が一堂に会し、それぞれの学生時代の思い出を語り合い、大いに盛り上がり
ました。当会は、メンバー相互の親睦・情報交換や塾生の就活支援等を目的とし引続き活動をしていく予定です。

発足メンバーは下記の8名です。
S59北 鳴川 雅也
S60南 吉野 功一
H6北   北澤 真也
H6西  増野 浩一
H9南  橘 雅門
H12北 山岡 航
H14西 船田 泰
H17西 川口 高志

 

marubeni wakei

marubeni wakei

(第14回)2013年和敬塾42年西寮卒 広島旅行始末記

(第14回)2013年和敬塾42年西寮卒 広島旅行始末記

11/12(火)13(水)広島~宮島~厳島~江田島~呉

( 注:敬称略   文責:川淵 )

 

1112 11:50前後に東京、大阪、九州から馳せ参じた面々がJR広島駅に集合した。

本来は四国、名古屋からも駆けつけるはずだが、四国は急遽欠席(藤代)し、

名古屋(山本)は旅館に直行した為、広島駅に揃ったのは

東京組:三井夫妻・川崎・鈴木・石井・羽原・田中・平田

浜松組:大竹

大阪組:中井・吉村・山田・川淵夫妻

九州組:渕川・相沢・中村             以上17名であった。(全員は18名。)

 

今回の企画立案は、広島県出身の石井と隣の岡山県出身の羽原の二人が中心になって進めてくれ、事前に何度も下見を繰り返してくれたと聞いている。翌13日夕方、先乗りの山本を加えた18名は呉駅(平田は墓参りに四国へ)並びに広島駅で東西に分かれ解散したが、石井・羽原お二人のお蔭で、古希を迎えた(る)我々には素晴らしい印象に残る旅行であったことを初めに申しあげておく。

以下、川崎幹事長の指名で川淵が「始末記」をしたためる事になったが、何しろもう古希を迎える年齢になった私が少ない記憶を頼りに書くため、以前のようにぽんぽんと言葉も浮かばず、文中に”奈良の熊”というような不穏当な言葉使いや記憶違い、誤字・脱字や順番間違いなど多々あると思いますが、そこは大目に願います。三井会長、川崎幹事長の応援もあり始末記は完成した。   

以下が全員集合写真。

集合写真

 

「旧江田島海軍兵学校」の見学を終えて(13.11/13)後ろにレンガ建てが見える玄関前。 

 

 

■三井会長、川崎幹事長のお声がかりで始まった旅行会も今回で14回を迎え、常連メンバーに新規メンバーも入り乱れ、なかなか味のある「42年西寮友の会」に仕上がってきた。

西寮同期は46名であるが、故人6人、住所不明3名となり、現在37名が現役ということで、参加者16名は略略50%の出席率といえる。

旅の途中で例の通り携帯電話による参加もあり、よりにぎやかになったのは言うまでもない。

唯一九州から不参加であった近藤直(未だ不参加)は「まだ現役で働いているが、次回は必ず行く?」とのことを言っていたし、ハワイにいる堀内欽一からの「ALOHA!!電話は丁度呉港に向かう最中の船中であったが元気な声での参加であった。まるで日本にいるが如く聞こえたが、本当にあのハワイなので長電話はまずいと思い「そろそろ切るぞ」と言ったが、堀内からは「大丈夫だ。これは会社の電話だから・・・・」ということで数人に電話は回った。残念ながら、北海道の栃木、南、長野の木内、東京の藤井、園部、名古屋の吉田、安村、たちの声は聴けなかった。それにしても、もう6人も逝ってしまったのか。(皆早すぎるぞ! 斉藤・時田・本多・三浦・喜多・中川・・・・・・合掌!)

 

■11/12昼食  広島駅ビル「酔心」 広島名物”アナゴ飯”を食す。

初めてのことだと思うが、昼食時にビールの一本も出なかった。確かに誰からも声もかからなかった。

それ程、皆胃腸が弱ってきたのか、それとも遠慮深くなったのか、女性がいたからかどうかは分からない。

久闊を叙して(ともがら)牡蠣を食う   三井利忠

(三井会長の影の声:「酒の一本でも欲しかったなあ。初めてだね。」川淵「そうだね。はい!」)

 

■昼食後タクシーで原爆記念資料館(平和公園)に

資料館を初めての人も、十数年ぶりの人も居たが、何とも言えない複雑な感覚であった。三井会長からは「45年ぶりの広島原爆資料館ではやはり涙を禁じ得ませんでした。」とのメールを貰いました。やはり、原爆は駄目だし、それをほうふつとさせる原発は減らす方向が正しいのだろう。小泉元首相が言うように「即刻止めるべきだ」というのはどうかとも思うが、二度とこのような不幸はごめんだ。

 

平和公園前での集合写真

・平和公園前で集合(山本は未だいない)

 

 

■船で平和公園→宮島に   今晩の旅館は「みや離宮」と言います。(ひろしま世界遺産航路にて)

野生の鹿と一緒に旅館の仲居さんが港までお出迎えです。宴会の前に厳島神社を参拝しました。何度も台風で被害がありましたが、釘止めしていない床板の為、何度でも生まれ変われるようです。

 

33広島旅行始末記

 

1本の根っこから9本の松という珍しいのも見たし、能舞台5重の塔も”厳島神社“を盛り上げていました。名物「もみじ饅頭」を買い求めて、土産物店を覗き歩きました。

 

5広島旅行始末記

宮島はしゃもじが有名です。数mの大しゃもじが展示されていました。宿が”夫婦円満””長寿”のしゃもじをプレゼントしてくれました。我が家は2本とも貰いました。夫婦円満だし両親を見ていたら長寿になりそうだから1本で良いと断ったが、奈良の熊が・・失礼!・・中井に「君たちには2本が必要だ」と渡された。

 

食事前に夕やみ迫る港に集合。

満潮の為歩けないので、船で厳島神社の鳥居の下を巡るという幹事の趣向はなかなか乙なものであった。

ライトアップされているため、なかなか荘厳な雰囲気がしたものでした。

 

広島旅行始末記8

 

広島旅行始末記9

 

これはほゞ満潮の時、干潮の時は神社まで参道が出来る。それにしても立派な鳥居だ。

厳島神社の鳥居を背景に一同集合

 

広島旅行始末記10

 

冬潮の海よりくぐる大鳥居    川崎清明

■いよいよ宴会です。

 

隣では、カラオケをやっているのかうるさいほどの宴会ですが、我々は流石に大人の宴会です。

川崎幹事長の開会宣言、幹事の予定説明に続き、川淵の発声で取りあえず乾杯。

 

 

そのあと、三井42年西寮同期会会長が今回の旅行の石井幹事・羽原幹事への感謝の言葉と、久しぶりの友が多く出席したことを素直に感謝し、続けて「もう我々の年代になると色々体にきしみも出ているので、体のことは出来るだけ言わず、前向きに明るく一人一人に近況挨拶をしてもらいます」ということで、次々に仲間は挨拶をしたのです。勿論、ご婦人方も同じです。久しぶりの渕川の嬉しそうな顔。満面笑みです。

 

宴会終了後は501号室に集合して二次会。皆子供に戻っているようです。(下記写真)

久しぶりの友とは、奈良の熊さんの横にいる、相沢・平田・中村・渕川の4人です。

広島旅行始末記13

 

 

(順不同)  皆が何を話していたのか?忘れてしまった。

 

山田:相変わらずチャチャを入れるタイミングが旨い。盛り上がりには欠かせない人物。オートバイ事故の

後遺症も大分癒えたのか一緒に全行程を歩いた。大黒正宗健在!

大竹:親子で歯医者を継続中。親父は手を出さないでと言われている。皆に掛川茶をお土産に配ってくれた。お客様第一!お客様は神様!80才まで20本!と言って歯医者に誘う名人。

渕川:親子で税理事務所経営。給料は息子からもらっている。奈良の熊が税務署の調査についてアレコレ質問していたが、私は熊の税務については詳しくないと。それも確かにそのとおり。渕川らしい。

平田:何度かの病を克服。墓参りに四国(愛媛)へ。髭と頭の艶に往年のプレイボーイの面影があるとかないとか。もう役には立てませんとは本人の弁。

田中:和敬ニューイヤーコンサート(1月12日)に命を懸け成功を期している。この人はいつも何かに命を懸けているので手術ばかりしている。がんの治験はベテラン。登山には命を懸けないように。

相沢:下関から登場。いつもニコニコしているこの人ベビーフエイスに相当皺が増え、段々生まれたての赤

子に戻って行くようだ。

山本:週に数回テニス。奥様とハイキング。たまに囲碁と元気。ライバル本多を失いすっかり口数が少なくなった。

三井:俳句、郷土史研究、畑仕事に没頭。ゴルフからは片足を洗った。“おつまみは無いの?”と忙しい奥様の外出先にメールをするのが玉にきず。内助の功がなければどうなるの?

三井夫人:西宮(新婚のお嬢様)~町田~広島と忙しいのです。夫の秘書の他、夫の重い荷物持ちも兼ねる力持ちの賢妻。ソフト部の理事。

石井:名門広島大付属高校の出身ということで今回の旅の全体監修を務める。高校の同級生のコネで船の臨時便まで手配。月何回かの泊りがけの麻雀賭博が生きがい。

羽原:隣県の岡山出身ということで今回の旅行の裏方として金集めに徹する。今は、和敬囲碁と和敬ゴルフ(長生会)の幹事として活躍。

中井:「ペディベア」「熊ちゃん」と本人はいうが「奈良の羆(ヒグマ)」も年を重ねて確かに可愛くなった。奥様孝行でハワイに行ったが、ハワイにも熊が出ると噂になった。ハワイ在住の堀内が「あれは日本から遊びに来ただけで直ぐに帰るから心配するな!」と動揺を抑えるのに苦労したとの噂もある。

川淵夫人:「貴方また和敬塾?」と言っているが結構楽しそう。なぜみんな奥様を連れてこないの?亭主が退職後大きな身体で家を占拠し、大きな声を一日中聞かされて、私の身にもなって下さいと訴えていた。皆頷いて、同情しきりであった。

川淵:奥さんの荷物まで持つ優しい夫?奥様孝行しなくてはいけない理由があるのかないのか?家庭に欠

かせないかどうかは別として、同期会には絶対欠かせない人物であることは間違いない。奥様どう

か同期会に免じて、お心を広くお取扱いを宜しくお願いします。カメラマンご苦労様でした。

吉村:野外の料理の達人であると同時にパソコンの達人でもある。この間の奈良の柿狩りでも8kgの肉を料理。焼きそば、チャーハンもお手の物。鳴物入りのメールで送られてくる年賀状が楽しみである。

学生時代から最も向上(成長)した同期と言われる。

川崎:和敬句の会、「汀俳句会」、ワンゲルOB会、職場OB会などで多忙。

これまで胃を切ったり、山から落ちたりしたその都度面倒を見てもらった奥様が何やら難しい病気に

罹り、相当動揺したらしい。漸く奥様の病状も落ち着いて同期会旅行に参加できた。

鈴木:会社は順調だが、あと1~2年で辞めるつもりだと。新宮へ実家の空気入れ替えとミカン狩りに行っ

ているようだ。アーチェリーの様には行かないだろうが、胡弓の腕も大分上達したようなので、来年

の同期会は鈴木の胡弓演奏をバックに中華料理もいいなという声もあった。

中村:兎も角毎日忙しい。OB会、町内会、児童交通指導、老人会・・・・・・。面倒見が良いのか、罪滅ぼし

かは知らないが、どうも地元では欠かせない人物のようだ。

選挙に出る準備と言う噂もある。中村町長、万歳!

1113   江田島 旧「海軍兵学校」訪問(海上自衛隊第1技術学校)(広島港~小用港)

 

新人の行進      

新人の行進

 

この場所は半沢直樹に出たらしい  

この場所は半沢直樹に出たらしい

 

裏の古鷹山に兵学校生徒は訓練で20分で山頂まで駆け上がるらしい。(とても無理だ)            

裏の古鷹山に兵学校生徒は訓練で20分で山頂まで駆け上がるらしい。(とても無理だ)

 

幹事は名物“海軍カレー”を昼食に準備をしてくれていた。建屋や学校内の雰囲気は当時のまま(当時を知らないが)残っている様だ。96歳の川淵の父親(海軍少佐、巡洋艦“三隈”に乗っていた)に「兵学校を訪問して来たよ」と写真を見せたら、最近弱っていた親父殿が急に大声で兵学校校歌を歌いだしたので驚いた。起きられない親父が立ち上がるのではないかと思った程だ。ちょうど我々が和敬塾で青春を謳歌していた (塾歌を歌っていた) 年齢の時に、親父たちは戦争に駆り立てられていたのだろうか。江田島は以前は人口

2万人であったが、今では9千人に減ったと我々と同じタクシーの運転手が話していた。生まれるよりも死ぬ人の方が多いのだとも。元気で旅行ができる皆さんがうらやましいよ。島には同期が10人だと。

 

江田島の戦の記憶石蕗の花  三井利忠

上は東郷平八郎、山本五十六などを祀った教育参考館(戦災資料講堂)前で整列した隊員。種々の写真や軍服、遺書などは以前靖国神社の資料館で感じたのと同じ思いを持ったのは私だけではないだろう。

勝海舟の書をはじめとして旧海軍の貴重な資料や特攻隊員の遺書などデリケートなものも数多く展示されているため その敬意・慰霊の意味を込めて 脱帽、撮影禁止とされていました。

 

提督の眼のひかり寒牡丹   三井利忠

 

「大講堂」。1917年(大正6年)に造られた

 

大砲(おおずつ)の輝き黒し冬茜    三井利忠

 

英国から購入したレンガを縦横に組み合わせた、幹部候補生学校庁舎の横の長さは140m以上ある。

 幹部候補生学校庁舎

江田島港(小用港)から呉港“大和ミュージアム”へ

 

幹事が配布した案内には 宮島9:00 広島港9:24 小用9:46とあった。三井夫人と川淵夫人が

船中で会話をしているのが聞こえてきた。

(“わざわざ 22分も小用時間をそんなに取らなくてもいいのにね。書くのもねえ!”)というものだった。私も最初はそう思ったが、小用とは「こよう」という港の名前であった。別の意味で確かに小用(しょうよう)という言葉もあるので、そこを間違えたのだった。・・・・こういう話を聞くのも楽しい旅だ。

呉港を降りたらそこがミュージアムだった。

 

”大和“の縮小版。

隣の潜水艦は中にも入れた。(これは1年前まで実際に稼働していたようだ。一見の価値あり。)

■大和ミュージアム見学の後、JR呉駅まで歩き

駅前で解散となった。

今回の西寮旅行は、広島駅集合(アナゴ飯)

平和公園~原爆資料館~宮島~厳島神社

海軍カレー~江田島兵学校―大和ミュージアム

JR~タクシー~高速船~観光船

色々と乗継、夜中まで楽しい会話をし、土産物屋を

覗き、各自帰路に着いた。筆者は広島の牡蠣を食べなかった為に、広島で皆に別れ、牡蠣の土手鍋と

焼牡蠣を食してから家路に着きました。

第15回は四国にするか、九州にするかはまだ不明ですが、ぜひそれまで健康に留意をし次回も沢山の友が振るって参加をされることを祈願して始末記を投了させて戴きます。

11月24日 川淵秀和

 

■三井会長一言

初めて訪れた宮島と江田島。感激しました。陸上交通では長時間かかる移動のはずですが、普段は温和な石井君が地元の友人に強談判(?)してくれたお蔭か、臨時便の船が仕立てられスムーズに時間が節約できました。改めて感謝申し上げます。

原爆資料館は45年振りですが、胸苦しくなる思いは一緒でした。

江田島から若くして戦火に散った若者の背筋を伸ばした遺書には思わずこみ上げるものがありました。

こうして集まれるのも幹事さんのお蔭です。石井・羽原の両幹事さんに参加者を代表して感謝申し上げます。

赤鳥居を寫し静もる冬の潮   三井利忠

■川崎事務局長一言

宮島は島全体が神籬(ひもろぎ)で、その末端に神社が立てられたのが厳島神社のようだ。従って俗世界から神域に入るには海からしかなく海に鳥居が立てられたらしい。11月は神無月と言われ、日本の全ての神様は出雲に集合していて、厳島神社の神も留守だったと思われるが、留守の神前に頼み事をしたご仁もいるかも。ちょっとふざけて一句

二拍手のあとの一礼神の留守   川崎清明

翌日、海軍兵学校跡に行った。当時日本の若者の最も優秀な者が海軍兵学校に行き、落第した者が東大・京大に行ったという。教育参考館には海軍兵学校の校長でもあった井上成美海軍大将の写真があった。徒に兵の供給を迫る中央の要請に井上校長は半端な者を送ることは出来ない。ここを卒業した者は後に必ず役に立つように厳しく鍛えるとして「野火焼いて尽くさず春風吹いてまた生ず」言って拒絶したという。

その一徹さを批判する者も多いが、正に教育者としての至言ではないか。

井上海軍大将と川淵兄のお父上である川淵少尉を最近見た鮟鱇の面構えに重ね合わせて失礼ながら一句

来世も鮟鱇(あんこう)たらむ面構え   川崎清明  

      

  完

平成26年度 同期会代表幹事会議が開催されました

平成26年1月12日(日)12:00~13:30に、「同期会代表幹事会議」が開催されました。

 

  1. 平成24年、25年 塾友会活動報告
  2. 次期運営担当者の選任

 

上記2点が報告、決議されております。

同期会代表幹事会議

 

各幹事から、同期会の様子から、今後の塾友会運営に対する提言等、幅広いご意見を頂戴しております。

 

同期会代表幹事会議

 

 

塾友の皆様におかれましては、引き続き、和敬同期の繋がりを軸に、塾友会の更なる発展にお力添え戴けますと幸いです。

このホームページでも、随時、各同期会の様子を掲載できればと思いますので、是非ともご連絡をお願いします。

塾友会本部幹事

古閑 善丈

和敬ニューイヤーコンサートが開催されました

平成26年1月12日(日)に、和敬ニューイヤーコンサートが開催されました。

簡単ですが、写真にてご紹介します。

 

大変な盛況っぷりです。

奥様や、ご家族そろって大講堂がぎっしりでした。

 

和敬ニューイヤーコンサート

 

素敵なカルテットでした。

和敬ニューイヤーコンサート

 

 

是非とも、次回以降も開催されるといいなぁと思うコンサートでした。

スタッフの皆様、様々なご手配、ありがとうございました。

塾友会本部より

 

 

【第3弾】ワシントンD.C.より (H15北卒 寺田一智)

肥満とアメリカ

 

明けましておめでとうございます。最近、ビール腹を隠せなくなった私ですが、自分の事は棚に上げておきまして、今回は、アメリカの肥満事情について書いてみます。アメリカというと、肥満という、イメージがあると思いますが、それは、まさにイメージ通りで、63.9%のアメリカ人が肥満気味以上-BMI値(Body Mass Index)25以上-というデータも出ていました。ちなみに日本では、30.3%とのこと。街を歩けば、よく、お尻がリンゴのような、黒人女性に時刻を聞かれたり、歩くことがしんどそうな警察官を見たりします(笑) 私は、飛行機に乗るたびに、私の隣の席に、BMI30以下のアメリカ人が配置されるように神様・仏様に心からお祈りします(汗)

 

今週は、体感温度-20度の大寒波がDCを直撃し、脂肪の多いアメリカ人がキラキラと見えたのですが、人種、性別で、ある程度の肥満傾向を感じます。アジア系は、太った人は余り見ず、逆に黒人は、太った人が多いです。また、性別を見ると、男女間の差異は感じられませんが、女性には面白い傾向が有って、留学や駐在しているアジア女性は、来た時より、みんな5キロ程度は太ってしまいます。母国に居る時は、健康的な食習慣、公共交通システムの充実、社会的美のプレッシャーから、痩せていますが、アメリカ滞在時には、それらから遠のいてしまいますから、“アメリカ体型”になってしまうのです。しかし、それでも、アメリカ人女性よりはまだ痩せているので、彼女たちに、痩せてるねと褒められることが複雑な気分なのよと、アジア女性はよく笑います。ここまで散々、肥満について書いていますが、身体的特徴は、不可侵のパーソナルな事ですので、絶対ネタにしてはいけません。こてこての吉本漫才は、アメリカでは通用しないのです。

 

マクドナルド

マクドナルド

食事面において、やはり、ファーストフードの影響を否定できないと思います。代表格は、マクドナルドですが、アメリカにおけるマクドナルドの効用性は、日本のそれ以上に高いのです。日米の食事面の大きな違いは、チップ文化の有無とカロリーの高低と思います。アメリカでは、食事の際に、通常20%前後のチップが求められます。結構、ばかにならない出費なのですが、マクドナルドでは、これが一切掛かりません。一方、日本では、そもそも何処もチップを取りませんので、決定的な金銭的効用性は発生しません。

 

しかし、安いマクドナルドなのですが、高カロリーなので、太ってしまうのです。アメリカでは、可処分所得によって、体重を左右される傾向が有ります。金銭的余裕のある人は、健康的な食事にアクセスし易く、ダイエットキャンプなるものにも参加するのです。私がバックパッカー時代に訪れた貧しい国々では、栄養失調で痩せている人が多く、肥満は富の象徴です。一方、世界の富の半分以上を握るアメリカでは、お金を出して、痩せたがる人々が多いのですから、複雑な思いを感じずにはいられません。

 

それでは、またお会いしましょう。

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その5~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その5

 

明治前半期の欧化主義と日本語

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

国家発展のためなら日本語の廃止もやむなし?

 

 西南戦争を起こし、明治天皇に背いた反逆者として死んでなお、人々の西郷隆盛に対する人気は失われることは無く、死後に名誉は回復され上野公園に銅像も建つまでに至っているが、これは外国人などから見ればかなり奇妙な光景に映るらしい。先日、晴れて日本に帰化した日本文学研究家のドナルド・キーン博士も「西郷は何故日本人に人気なのか私には理解の及ばない部分がある」というような事を述べていたほどである。

昔から日本人は敗北者の肩を持ちたがる判官贔屓の心性が働いている、などいろいろ理由は考えられるが、一つ個人的に思うところは、やはり明治維新以降、急速に社会制度も文化も西洋化していこうとする日本に対する、人々の潜在的な拒否感が西郷人気という形につながっている部分はあるのではないか。

「西洋に植民地にされないためには国を西洋流に近代化するしかない」と頭では分かっていても、それでも自分たちの慣れ親しんだ文化や伝統が急進的に否定されていくのは寂しいものであっただろう。国を近代化する(≒西洋化する)という事は、程度の差はあれ自らの過去を否定する事でもあったのだ。

 

西南戦争から時代はやや遡るが、明治6年、アメリカ留学より帰国した薩摩藩士の(もり)有礼(ありのり)

を中心に、日本初の啓蒙学術団体である明六社が発足した。既に度々見てきた福沢諭吉も主要メンバーの一人であった。

明六社は西洋流の啓蒙思想に基づき、人々の知的水準を向上させ、日本を西洋同等の優れた文明国へと発展させるべく、明六雑誌を発刊。そこでは科学・哲学・社会学・教育学などなど広範な話題が扱われ、活発な誌上論争も行われが、それらのテーマの一つに「日本語をどうするか」というものも含まれていたのである。

 

以前にも紹介した通り明六社のメンバーであった福沢諭吉は将来的に漢字は廃止したほうが良いという漢字制限(廃止)論者であったが、より過激な意見も登場した。

メンバーの一人であった西周(にしあまね)は、漢字制限どころか漢字かな文字全てを廃止し、日本語をアルファベットで表記するようにすべしと主張した。アルファベットの方が漢字やかな文字より字数が圧倒的に少なく学習が容易であり、アルファベットに慣れることにより西洋智識の移入もよりスムーズにできるという考えであり、後のローマ字運動の萌芽であったとも言える。

こうも過激な主張を展開した西周だが、一方ではサイエンスに科学という訳語を用意し、エンサイクロペディアには百学連環という実に美しい漢語を用いているところが何とも皮肉である。

 

だが、更に過激な主張を秘めていたのは発起人の森有礼その人であった。森はアメリカに留学中の明治5年、親交のあったイエール大学の言語学教授ウイリアム・ドワイト・ホイットニーに宛てた書簡の中で、「日本語を廃止し、英語を日本の国語とするべきではないか」という主張を述べている。

確かに、日本人全員が英語をマスターすれば、英米の最先端文明の移入はよりスムーズになるであろう。現在でも、世界で活躍できるようにと子供をアメリカンスクールに通わせるような事例はあるが、それを国単位でやろうという発想である。しかしこれには当のホイットニー教授もさすがに難色を示し、

 

「一国の文化の発達は、必ずその国語に依らなければなりませぬ。さもないと、長年の教育を受けられない多数の者は、ただ外国語を学ぶために年月を費やして、大切な知識を得るまでに進むことが出来ませぬ。」

 

と、やんわり森を諭す有り様であったという。また、森とも関わりがあり日本の教育制度近代化に携わったアメリカ人の教育家モルレーも、日本の伝統を顧みず単純に西洋の制度を移植することには反対し、日本人の伝統的美徳を活かした教育制度の確立を提言した。

日本の近代化にあたっては、西洋文明の摂取に貪欲な日本人の方がより急進的であり、かえって西洋人の助言者たちの方が「まぁまぁそんなに慌てなさんな」と保守的な態度を示すことはそう珍しくはなかったようである。

 

日本を世界に劣らぬ文明国にするという明六社の啓蒙思想家たちの信念の高潔さを疑うものではないが、それでも彼らの主張は時として上述のように極端に急進的で一般大衆の感覚からは乖離した部分があったようで、そのため森有礼は“明六の幽霊(有礼)”と人々から皮肉られもしたが、彼は明治政府のもとで教育行政に携わり、後年日本最初の文部大臣となっている。

 

■進化・普遍の帰結としての西洋文明

 

 それにしても、この人達はどうしてこのような極論に走ったのだろうか。確かに国の将来を考えるなら西洋文明を受け入れることは重要だっただろうし、そのために日本語を時代に応じて変えていかなければならないというのも分かる。しかし漢字に留まらず、かな文字、ひいては日本語そのものを廃止してしまおうという意見には、こんにちの我々からすれば非常に極端な意見に思われるだろう。そうまでしてまで日本は西洋化される必要はあったのか?

 

あった。日本は西洋化されるべきだ。なぜなら、西洋こそは世界の全ての文明国家の目指すべき普遍的目標だからだ。明治初期、西洋に対し無邪気な憧れを抱いていた若き知識人達の中には、そう考えるものは少なくなかった。

 

前回終盤に紹介した徳富蘇峰(本名:徳富猪一郎)。先日最終回を迎えた2013年の大河ドラマ『八重の桜』にも後半の重要人物として登場していたので、ご存知の方もおられることだろう。熊本や同志社で洋学を学んだ後、言論人を志し後に戦前日本を代表する大ジャーナリストとなった人物である。

徳富はジャーナリストらしく時代(現実)に合わせる形でその思想を大きく変えていった人物だが、初期の明治20年代前半頃までは概ね庶民の生活向上を唱える穏健な平民主義、そして強烈な西洋文明の信奉者だった。彼は同志たちと民友社を興し、海外雑誌を参考に出版された雑誌「国民之友」は非常に進歩主義的で、日本は全体的に西洋化されるべきだと説き、当時の志ある若者たちに大きな影響を与えた。

幕末期に盛んに唱えられた言葉に“和魂洋才”という言葉があった。これは東洋日本の道徳(和魂)と西洋の学芸(洋才)を折衷しようという思想で、明治政府の大まかな路線にも通じるものがあった。しかし徳富はこの考え方に異を唱える。西洋の学芸と西洋の思想は深く結びついており、どちらか一方のみを移植することなどは出来ない。もし西洋の学芸を日本に根付かせようとするならば、日本も思想や文化のレベルで全面的に西洋化する以外に他はないのだ…。

 

「我ガ社会ハ既ニ生活的、政治的、学問等一トシテ泰西(西洋)ノ新主義ヲ輸入セザルハナシ。(しこう)シテ今ヤ我ガ社会ハ既ニ泰西的社会ニナラント欲ス。而シテ独リ此社会ヲ支配スル所ノ泰西的ノ道義法ノミ、(これ)ヲ輸入セザルハ(そもそ)モ何ゾヤ。彼ノ体面法コソ智識の進歩ト独立スルヲ得可キモノナリ。」(1885年 「新日本之青年」)

 

 1885年、全面的な日本の西洋化を唱えた徳富の論文の一節だが、社会や進歩といった新漢語が使用されている点も見逃せない。徳富自身は国語国字問題については目立った主張を述べてはいなかったようだが、彼自身英語に流暢で上のように西洋化への意思を表明していた以上、日本語や日本の伝統文化を守れと主張する守旧派に対しては当然に冷淡であった。

 

 

森有礼の事例でも述べたように西洋化にはやる日本に対し、当の西洋人達の側には日本が西洋化して“普通の国”になってしまうことを惜しむものは絶えなかった。実際、当時日本を訪れた西洋人達の中には人情や自然美、そして伝統芸術の巧みさに魅せられるものも多かったのである。しかし徳富ら当時の日本の新世代の知識人達は、日本の伝統文化に誇りを見出すことは出来なかった。日本にはゲーテもシェイクスピアもいなかった。九谷焼の焼き物や狩野派の絵画、日光の東照宮のような伝統美にも何の価値もない。それらは封建的で怠惰な旧時代の支配階級のためのものに過ぎず、平民が主役の新時代にあたっては価値をなさないものだ…。当時日本に滞在中であったイギリス人のバジル・ボール・チェンバレンによれば「教養ある日本人は、自分たちの過去と手を切ってしまっている。」という有り様であった。

 

社会の進歩とは一直線であり、その先には西洋的な社会が待っている。

 

徳富蘇峰ら民友社の人々と思想を同じくした田口卯吉(1855~1905という人は、これらの欧化主義をよりいっそう徹底させた思想を持っていた。当時、イギリスのエコノミスト誌に触発されて日本最初期の経済専門誌「東京経済雑誌」を主宰していた田口は、進歩について更に(今日の目から見れば)極端な見解を表明した。

(余談だが、“経済”は明治以降にエコノミーの訳語として使用されるようになった新漢語だが、その語源は古く古代中国の東晋時代の書物に登場する經世濟民という言葉が元になっている。)

 

日本が西洋化することは何ら恥ずべきことではない。なぜならいかなる日本の文物よりも西洋のそれのほうが優れているからだ。人間は地域性や環境によってこれまでそれぞれに違う文明を発達させてきたが、同じ人間である以上その違いは本質的には存在しない。そして西洋文明こそが、世界中の全人類が目標とすべき、進歩の先の普遍的価値そのものだ。こうして全世界が等しく西洋化されたあかつきには、文化的な差異は消滅し、国境も意味を失い、戦争は時代遅れとなるであろう……。

 

田口卯吉は徳富蘇峰と同じくクリスチャンであったが、聖書に登場する有名なバベルの塔のエピソードも念頭に置かれていたのかもしれない。(全世界が西洋化した時、恐らく世界中の人々は英語などをベースにした共通言語を話すに違いないであろう。)

たしかに21世紀の現在、世界中のほとんどの国々は西洋的な社会機構を備えるに至ったし、西洋由来の科学技術に基づく情報化の進展もあった。英語は世界中の知識人たちにとって必須の教養ともなった。しかし田口があと半世紀長生きし二度の世界大戦を経験したならばどう思ったことだろうか?現在から見れば、悪い意味で地球市民的夢想に満ちた甘すぎる見通しだが、当時とにかく日本人はそれほどまでに西洋に過剰な憧憬を抱いていたらしい。(その点に関しては現代も笑えないところがある。)

 

進歩や進化、これらは共に明治時代に登場した新漢語である。それまで漢字に代表される旧時代の学問がいにしえの古典的世界を理想としたのに対し、明治以降の進歩思想は未来にバラ色の理想を夢見た。そして進歩とはとりもなおさず西洋化と同義であった。

 

教養と志を備える新時代の若者たちの多くがこういった意見に同調していた明治初期であったから、日本語を変えるとか漢字をやめるとか日本語をなくすとか、それら意見が彼らの間においては極論とはみなされなかったのも当たり前であったのかもしれない。進歩思想に従う限り、漢字は古代の象形文字の影響を色濃く残した鈍重で古臭い遺物であり、軽くて進歩的な表音文字がより進んだ文字という事になるからである。果たして漢字の、日本語の運命や如何に?

 

(続きます)

 

 

 

 

 

 

2014年 塾友会長年頭ご挨拶

2014年 塾友会長年頭ご挨拶

 

「新しい塾友会へ向けて 今こそ変革の時、見せましょう!塾友会の底力を!!」

 

あけましておめでとうございます。

年頭にあたり、塾友会の皆様、ならびにご家族の方々に新春を寿ぎ、お慶び申しあげますと共に新年のごあいさつを申しあげます。

昨年からのアベノミクスの風に乗り、景気上昇の兆しも見え、又10月には2020年東京オリンピック招致も決まり、明るい気持で新しい年を迎えられていることと存じます。

和敬塾は来年で創立60周年を迎えることとなり、塾友会も今年4月には、その会員数も5000名を超える、日本を代表する最も結束力の強いOB会組織としての地位を確固たるものとしております。

60年間、凛とした佇まいを誇る和敬の杜と本館。塾父に始まり、和敬塾、塾生、塾友が「三位一体」となって築いてきた和敬の「精神」と「絆」はいつまでも不変であります。

しかし、一方で60年の歳月は塾友会にも分け隔てなくやって来ています。

歴史と伝統、会員数が日本有数規模を誇るが故の様々な問題が生じてきています。

塾友会費納入率の低下、塾友会活動への参画意識の希薄化等が直面する課題となっています。

そこで、塾友会の活動を活性化させ、塾友会ネットワークを更に拡充させるべく、今、塾友会本部では様々な企画、施策を講じているところです。

その第一弾が「和敬ニューイヤーコンサート」の開催であります。これは和敬塾創立60周年、塾父・前川喜作翁の生誕120周年を平成27年に控え、その一年前にあたる今年1月12日(日)の午後2時より、和敬塾の大講堂で開催することにしました。

このニューイヤーコンサートは、まさに和敬塾、塾生、塾友が集い「オール和敬」の力を結集することにより、塾友会活性化の魁として開催するものです。

一方で、現在、塾友会本部では塾友会が抱える中・長期的な課題に対し、それぞれの課題ごとに委員会を設置して検討を進めています。すなわち、図のような五つの委員会で集中的に議論をし、役員会で方向性を明確化し、施策を打ち出したいと考えています。

 

-課題解決のための塾友会本部各委員会構成図-

委員会構成図

委員会構成図

 

 

ここで、各委員会活動の近況を少しご報告しておきます。

まず、財政再建委員会では、低下する塾友会会費納入率の底上げを図るため、納入方法をこれまでの郵便振替に加えて、銀行口座振込でも納入できるようにしました。

次に、ホームページ(HP)運営強化検討委員会では、HPの刷新を行うと共に、コリー新聞の一部をHPに掲載すべく現在検討を重ねています。

進路研究会運営委員会では、これから就職活動をする塾生に対し、より実効性のある就活支援活動を模索しているところです。

又、ボランティア募金運営委員会では、今年3月をもって募金と活動を終了させるべく調整中であります。

更には、和敬塾連携強化委員会でも、創立60周年に向け和敬塾との様々な連携策について協議しているところです。

2014年は、塾友会にとって「新しい時代の幕開けの年」としたいと思っています。同時に塾友会だけでなく「オール和敬」の真価が試される極めて重要な年となります。

今こそ、和敬塾の輝かしい未来に向け大きくカジを切り、変革の第一歩を踏み出す時です。

見せましょう!塾友会の底力を!!

 

2014年1月

 

和敬塾 塾友会

会 長  小野 正人

【第2弾】ワシントンD.C.より (H15北卒 寺田一智)

マー君とクリスマス!

 

クリスマスに日本の野球ファンにとって大きなニュースが飛び込んできました。楽天が田中投手の大リーグ挑戦を申請したのです。日本の報道では、メジャーにとって、大きなクリスマスプレゼントと好意的に取り上げられているようですが、アメリカ人にとっては、ちょっと違うのです。

 

まず、アメリカでは、日本ほど、野球に大衆性が無く、アメフトやバスケットボールの方がはるかに人気であることです。そして、入札を申請した時期が、クリスマスということが問題なのです。日本人にとって、クリスマスは、ケーキを食べることぐらいで、特段、大きな意味を持ちません。しかし、多くのアメリカ人にとって、クリスマスは、家族と過ごす大事な休暇であり、12月25日から、1月の1日まで、ずっと閉まっている仕事場も少なくありません。1週間余りのクリスマス休暇は、彼らにとって、日本人の正月三が日といった感じでしょうか。

 

アメリカ人は、日本人ほど働きませんし、働く事より、家族や友人たち(仕事場の友人ではなく)と一緒に過ごしたり、趣味に時間を費やしたりすることに、価値を置いています。分かりやすく言えば、みのもんたは、日本では鉄人ですが、アメリカでは、変人です(笑)また、その人のお金の使い方を見れば、その人の価値観が何となくわかりますが、日本人は、仕事関連の付き合いや住宅関連に出費が多い傾向にあります。一方、アメリカ人は、友人や家族との交際費や学費に出費が多い傾向があります。

 

特に、奥さんがいる場合は、良好な関係(いわゆる、パートナーシップ)を維持するために、継続的な“投資”が欠かせません。夫はどんなに疲れていようが、平日は、家事を分担し、イベントが有れば、雰囲気のあるレストランに連れて行き、花と手紙を渡し、愛をささやく。それにも関わらず、50%以上は離婚してしまうのですから、アメリカ人男性は大変なものです(苦笑)

 

クリスマス当日の夕焼けのワシントン大聖堂

クリスマス当日の夕焼けのワシントン大聖堂

一方、日本はというと、武士道の影響も有り、男性優位が社会にマインドセットされていますので、一般的に、男性の社会的責任が大きく、女性の家庭的責任が大きい社会文化です。女性トップより男性トップが圧倒的に多く、専業主婦の方が主夫より圧倒的に多いことを見れば明らかです。しかし、今後、さらに、日本女性の社会的進出が進み、結果、女性が、男性に、経済的依存ではなく、パートナーシップを求めるようになっていくことが不可避とするならば、日本男性の“投資対象”及び社会的制度構造も変化せざるを得ないでしょう。

以上

和敬塾塾友会関西支部 平成26年 年賀交歓会のご案内

平成25年12月 吉日

和敬塾塾友会関西支部 平成26年 年賀交歓会のご案内

拝啓 今年もあとわずかになりましたが、塾友の皆様にはますますご清栄のこととお察し申し上げます。平素より、関西支部の運営・活動にご理解とご協力を賜わり、心より御礼申し上げます。前回、日本最大級の農産物直売所『まほろばキッチン』見学会では、JAならけんセレモニーホール所長の平田 太介史氏(北・52年)のご案内のもと、JAならけんの地産地消や観光の具体的なお取り組みを勉強させて頂きました。

さて平成26年の関西支部のスタートといたしまして、下記のとおり、恒例の年賀交歓会を実施する運びとなりました。開催場所につきましては、種々協議致しました結果、例年通りの会場での開催となりました。時節柄、公私ご多忙の折とは存じますが、お誘い合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。

敬具

支部長 岩 城 本 臣

①  日 時   平成26年1月25日(土)午後12時~(受 付:午前11時30分)

②  場 所   大阪新阪急ホテル 地下1階 バー・リード

        〒530-8310 大阪市北区芝田1-1-35 06-6372-6510

③  会 費   7,000円(二次会は別途になります。)

④  幹 事   生島、田垣内、玉山

「塾友会費納入方法」を掲載しました!

「塾友会費納入方法」を掲載しました!

 

作成中となっていた「塾友会費納入方法」(左側のCONTENTS)を掲載しました。

会費の納入口座を従来からのゆうちょ銀行の口座に加えて、銀行の普通預金口座も利用できるようにしました。

ぜひご覧になって、会費未納の方は納入をお願いします。

 

〈塾友会本部〉

転居先住所の照会用「往復はがき」をお送りしました!

転居先住所の照会用「往復はがき」をお送りしました!

 

塾友会本部事務局

 塾友会本部では、コリー新聞が「受取人の住所不明」で戻ってきた塾友のうち、下記対象者宛に転居先住所照会用の「郵便往復はがき」をお送りしました。

対象者の方は、往復はがきがお手元に届いたら、新しい住所等を塾友会本部事務局に連絡してください。

1.対象者

  平成25年1月発行号以降に、送付したコリー新聞が「転居先不明」で戻ってきた塾友

2.照会方法

  コリー新聞は、郵便より安価な宅配便で送付しているので、転居先への転送サービスがないため、転居された場合は「転居先不明」となって発送元に戻ってきます。

  そこで、塾友会本部から、現在、本部事務局にお届けの住所へ転居先住所照会用の「郵便往復はがき」を発送し、日本郵便の転送サービスを利用して転居先へ転送してもらうことにしました。

3.新しい住所等の連絡方法

  塾友会本部事務局には常駐者がおりませんので、記録が残るよう電話ではなく次のいずれかの方法で連絡してください。

 (1)郵送(郵便往復はがき「返信」等):

 〒112-0015 東京都文京区目白台1-21-2

 公益財団法人和敬塾内 塾友会本部事務局

  (電話 03-3941-9367)

 (2)FAX: 03-3941-9367

 (3)Eメール: jukuyukai@mte.biglobe.ne.jp

4.その他

  日本郵便の転送サービスを利用するため、一年以上前に転居先不明で戻ってきた方には郵便往復はがきを発送しておりません。

一年を超えてコリー新聞が届いていない方は、住所不明者となっておりますので、上記の郵便、FAXまたはEメールにより塾友会本部事務局まで連絡してください。

なお、次のコリー新聞の発送は12月下旬を予定しておりますので、近々に転居される方で新しい住所がお決まりの方は、同様に連絡してください。

塾友会本部事務局では、多くの塾友にコリー新聞をお届けするとともに、塾友会活動をさらに活性化させ、一人でも多くの塾友が集える会にしていきたいと考えておりますので、今後ともご支援とご協力をお願いします。

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その4~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その4

 

近代世界への漢字適応の試練

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

和製漢語 続々誕生

 

西洋文明の日本への翻訳普及を試みるにあたり大きな役割を果たしたのは、皮肉にも近代世界においては不要とみなされた漢字であった

漢字は一語一語に発音だけでなく意味も与えられた表語文字である。アルファベットやかな文字などの表音文字にはそれ単体に固有の意味は持たないが、漢字であれば適切な語の選択組み合わせによって、多様な概念を表現することが可能だ。

 

たとえば英語のハイドロゲン(hydrogen)はハイドロ(水の)とゲン(生じるもの)という語句から成り立っているが、それを水の素、すなわち“水素”と表現すれば簡潔でおおよその意味は理解できるようになる。

 

福沢諭吉をはじめとする西洋文明の紹介者達は、そんな漢字の造語能力の高さを活かし、西洋文明の諸概念を次々と翻訳していった。こんにち、新聞紙上などで使用されることの多い漢語の大半はこの頃の日本で生まれた和製漢語である。参考例としては、

 

社会(social) 人民(people) 民主主義(democracy) 資本主義(capitalism などなど数え上げたらキリがない。いずれも元となった英語など外国語をその意味に準ずる形で漢字化がなされているのが特徴だ。

 

例えば政治経済や社会科学に関する言葉だけでも、

 

政府 官庁 公務員 共和国 議会 議員 行政 選挙 経済 会社 企業 銀行 証券 金融 機械 計測 共産主義 などなど。

 

その他にも科学や哲学、軍事、医学、文化芸術、教育、おおよそ近代世界を象徴するほぼ全ての分野において、これら新造の和製漢語は大量に発明され、普及・定着した。日本人が明治以降、それまでの自分たちの世界観と全く相容れることのなかった西洋文明の摂取がそれなりに軌道に乗ったのも、これら和製漢語による近代的概念の翻訳が果たした役割は無視できないものがあるだろう。

いや、日本だけにとどまる話ではない。当時東アジアではいち早く近代化にかじを切った日本には、漢字の母国である中国からも多くの留学生が訪れており、これら和製漢語はほぼそのままの意味で中国にも持ち帰られた。また、日本による併合という経緯によってではあったものの朝鮮にもこれら和製漢語は後年浸透した。

例えば中華人民共和国という国名のうち、“人民”と“共和国”は上にあげた通りに和製漢語である。対日関係は最悪と言ってもいい朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)についても、朝鮮以外は上に同じだ。

これは、当時日本で生み出されたこれら和製漢語が、意味の上からでも大した違和感がなく中国人たちにも理解しやすかったという事を意味している。(明治以前の和製漢語は、奉行とか成敗とか茶番とか、字面だけでは中国人にはほとんど意味がわからない。)

互いの不幸な歴史もあって現在日中関係は良好とは言いがたく、中国国内の有識者の間でもこれら日本由来の和製漢語の使用に対し抵抗感を抱く人も少なくはない。

それでも以前とある中国人の識者が和製漢語を「漢字の母国である中国に対する日本からの恩返し」と、前向きに評価してくれたことは記憶に留められるべきであろう。

 

 

■福沢諭吉の名調子 「世界國盡」

 

 音のみを表現する表音文字を持たなかった中国では、仕方なくヨーロッパの国名などを表記するにあたっても無理やりに漢字を当てはめて表現してきた。以前紹介した江戸時代中期の新井白石による「西洋紀聞」にも、欧羅巴(ヨーロッパ) 亜細亜(アジア)などそれら中国由来の漢訳地名がいくつか登場し、そのまま現在でも通用するものも多い。

 

明治2年、福沢諭吉はアメリカの教育者ワルブランクの著書を世界國盡(せかいくにづくし)として翻訳出版しているが、それにあたり大量の漢訳地名を動員した。しかし日本には平仮名や片仮名などのかな文字があるのに、何故わざわざ非漢字文化圏の海外地名を漢字で表現しようとしたのだろうか。例えばわざわざ亜米利加なんて書かずにアメリカでよくはないか?福沢は述べる。

 

「…此書中にはつとめて日本人に分り易き文字を用いるやうにせり。実はいろは計り用いてもすむべき筈なれども、本字(注:漢字のこと)を記して脇に假名(かな)を附れば記憶するに便利なり。(たと)へば南亜米利加のぺいりゆう(注:ペルー)といふ(ところ)(へい)(りゅう)と記してあれば、勘平の平と揚柳の柳なりと(ムネ)に記しておぼへ易し。」

 

いきなりカタカナ語で国名を覚えさせられるより、日本人に馴染みの深い漢字を用いたほうが覚えやすいというわけだ。この調子で、例えばインド関連だけでも印度(インド)、雁寺洲(カンジス)、軽骨田(カルカッタ)、など楽しい地名が並ぶ。傑作は荒火野(アラビア)だ。

 

現在では、さすがにアメリカをわざわざ亜米利加、フランスを仏蘭西などと書くことも一般的にはなくなったが、例えば日本とアメリカの貿易摩擦なら日米貿易摩擦、フランスに渡ることなら渡仏というようにすっきりした表現が可能なので、これら漢訳地名の恩恵は無視できないものがある。

 

また、注目に値するのは福沢諭吉の文体だ。とにかく啓蒙思想家として平民にもつとめてわかりやすく西洋を紹介しようとした福沢は、ここで庶民にも馴染みの深い五七調を使った。例を挙げてみよう。

 

「頃は安政五年の秋、十三州の名代人四十八士の連判状、世界に示す檄文に英吉利(イギリス)王の罪を責め、自ら建てし合衆国(中略) …こころに誓ふ國のため、失ふ生命得る自由、生理屈して生きんより、國に報る死を取らん、一死決して七年の、長の月日の攻め守り、智勇義の名を千歳に、流す血の河、骨の山、七十ニ戦の艱難も、消て忘る大勝利…」

 

 アメリカ独立戦争の記述である。赤穂浪士の討ち入りではない。アメリカ独立戦争である。

 

以前も記した通り福沢諭吉は漢字制限論を主張したこともあったが、それでも人民に益ありと判断すれば漢字も効果的に用いてみせた。これは福沢諭吉がとにかくわかりやすさを心がけていたからであり、後年ややイデオロギッシュな傾向を帯びるようになる漢字制限論の展開とは一線を画すべきかもしれない。

 

 

■要請 養成 陽性 妖精

 

開化期に漢字の果たした役割は広く認められなければならないが、しかし、それがかえって日本語を更に面倒くさい言葉にしてしまった部分があることもまた事実である。

明治以降に短期間のうちに和製漢語は次々と生まれ順次社会に広まっていったが、それらの多くは元となった西洋語の意味を漢字に翻訳して表現することが重視され、発音に関しては二の次であった。その結果、同音異義語が大量発生したのである。

 

たとえばカテイという発音に対しては家庭に過程に仮定に課程、シンカなら進化に真価に深化、カンソウなら完走に感想に間奏に乾燥…、これもあげたらキリがない。

 

これらの漢字は中国ではそれぞれに発音方法が異なるため日本のように同音異義語として混乱が生ずることが少ないが、中国語と比べ発音に制限の多い日本語ではどうしても同じような発音になってしまう。

こういう同音異義語が会話中に出現した場合、我々日本人は前後の文脈から判断して「ああ、この場合はコレだな」と目星をつけて判断する、というようなことを無意識化に行っているが、それでも市立と私立のように紛らわしい場合は、ワタクシリツとかイチリツなんて変な読み方をしたり、場合によっては文字に起こして説明する必要も出てくる。

これはよく考えたら変な話しである。いかなら言葉も、まずは声に出しての発音が先にあり、文字はあくまでおまけである。世の中に固有の文字を持たない言語はいくらでもあるが(むしろ固有の文字を持つ言葉のほうが少ない)、固有の発音を持たない言語は多分ない。そういう意味では「文字に起こさないと本当の意味が理解できないことがある」という日本語の特報は極めて特殊、今風に言えばガラパゴスなのだ。後に詳しく紹介するが、カナモジ論者が批判したのはまさにこの日本語における文章第一・発音二の次な空気であった。

同音異義語にかぎらず、漢語の中には字を見ないことには意味が理解できない言葉が少なくない。例えば和敬塾にしても、いきなりワケイジュクと言われた所でそこから「平和の和に尊敬の敬」という字を瞬時に理解する人はほとんどいないだろう。

 

 

■サイゴウ ヲ シサツ セヨ

 

明治維新後、急速な近代化を遂げつつあった当時の日本であったが、その道行は決して順調ではなく、様々な階層からの不満や反発は絶えなかった。

庶民からしてみれば期待していた世直しの実感は得られず、租税と兵役の負担が重くのしかかった。いにしえの天皇中心の律令国家への復古を夢見た国学思想家たちからしても、明治維新後誕生した近代政府は自分たちの理想とはほど遠いものだった。

そして、明治維新において主導的な役割を果たし、自ら血を流してまでこの空前の大革命に尽力した武士階級は、その特権的地位を失い没落した。

 

社会各層からの不満もあって、明治初期は各地で不平士族による小中規模の反乱が頻発した。その中でも内戦のレベルに達したのは、最大にして日本最後の大規模内乱となった西郷隆盛による西南戦争(明治10年)であろう。

 

真偽のほどはよくわからないが、西南戦争の有名なエピソードに電信に関する話がある。

 

幕末に日本に紹介された電信技術は、当時最新の高速情報伝達技術として次第に大都市間に普及しつつあった。原理としては文字を一語一語電気信号に変換して送信し、受信側が文字に再変換するという簡単なものであるが、Eメールの遠いご先祖である。電信技術を用いた電報は、現在は情報伝達手段として使われることは殆どなくなったが、祝電や弔電など一種の儀式慣行として残っている。

 

ところが、電信技術を日本に適用するにあたっては一つ厄介な問題があった。アルファベットを用いるヨーロッパと違い、日本語は既に述べた通り基本的に漢字抜きで文章を成り立たせることは難しい。しかし、数千数万ある漢字それぞれを電気信号に変換することなど、当時日本で使われていたブレゲ指字電信機では不可能であった。

 

ブレゲ指字電信機: http://www.ntt-east.co.jp/business/magazine/network_history/05/

 

例えば、「大学に無事合格した」という内容を送るにあたっては「ダイガクニ ブジ ゴウカク シタ」という形でしか送信することができなかったのだ。

 

西南戦争勃発前夜、故郷の鹿児島に下野し後進の育成にあたっていた西郷隆盛を政府は危険視し、西郷の動向を監視するべく密偵を鹿児島に送り込んでいた。しかし密偵は西郷の元の過激派学生らに捉えられ、厳しい尋問に末、政府の勅命を記したある電信文書の存在がクローズアップされた。

そこには、サイゴウ(西郷) シサツ(視察)の文字が。学生たちはいきり立った。

 

「西郷先生を刺殺せよだと!?」

 

西南戦争が始まった。

 

数万もの士族たちで構成された西郷軍は、高度に統制された農民あがりの徴兵者からなる新政府軍に結果的に破れ、中世から近世にかけて700年続いた侍の時代は、ここに本当の意味で終焉を迎え、この日本最後の内戦は後に映画「ラストサムライ」の元ネタになった。

戦前を代表する大ジャーナリストにして在野の歴史家でもあった徳富蘇峰(1863~1957は、安土桃山時代以降の日本近世史を綴った全百巻の大著「近世日本国民史」を、西南戦争で締めくくっている。

 

西南戦争の後にも小規模のテロや暗殺は絶えなかったが、それでもこんにちに至るまで国を割る規模の内戦が起こっていないことを考えると、西南戦争こそが近代日本が統一国家として完成する上での最後の試練であったとも言えなくもない。

しかし、その陰に真偽の程は不明だが同音異義語の誤解、という日本語の構造的問題を巡るエピソードが付されているという事実は無視できない。それはその後の日本の歩みと日本語の関係を考える上で示唆的ですらあった。

 

(続きます)

2013年 第24回ホームカミング大会のご報告

第24回ホームカミング大会のご報告

第24回ホームカミング大会は、お陰様で盛況に終了することができました。
台風も予想され,当日朝でもどう移るか曖昧な天候の中、遠くからも多くの参加を頂き、幹事一同感謝致しております。 本当に有難うございました。

塾友の皆様、和敬塾スタッフの皆様、実行委員会の皆様、ご協力ありがとうございました。

悪天候にも関わらず、参加人数:182名(御来賓:3、南寮:55、北寮:69、西寮:48、東寮:4、家族:3)、卒塾50周年にあたるS38卒塾生とそのご家族
21名の先輩方を迎え、講堂や食堂を中心に、和やかな和やかな雰囲気の中で1日のプログラムを進められました。 詳しくはコリー新聞新年号の記事で紹介されます。

塾友会ホームカミング

塾友会ホームカミング

また来年是非お帰り下さい!

PS:関連写真は別途、HPに掲載致します。
また今回のアルバムDVDにも要所を掲載致します。

2013年 『北悠会』の宴、盛大に開催!

『北悠会』の宴、盛大に開催! 

 

北寮卒塾者の集まりである「北悠会」の宴が、今年も10月26日(土)のホームカミング大会終了後に豊島区高田にあるお料理「いり江」で開催された。

午前中の大雨が嘘のように上がり三々五々に集合。関所番の柴田、堀江、高橋の三氏が手堅く会費を徴収。木内先輩による一回目の乾杯を皮切りに、まとまった人数が来たところで都合4回の乾杯を行い、池田先輩、青木先輩から差し入れとしていただいた高級ワイン、高級焼酎などを堪能して懇親の輪を拡げた。北寮の現役塾生6名も参加。塾生の自己紹介に大いに盛り上がった。

 

 

北悠会2013

 

 

宴たけなわのなか、後片付けを終えたホームカミング大会実行委員の昭和58年卒組と来年の実行委員となる昭和59年卒組も駆けつけ、今年のお礼と来年の抱負を述べた。

名残惜しいところで、老壮中青が世代を超えて肩を組み北寮ミュージカルの唄を斉唱し、来年の再会を期して青木先輩の一本締めによりお開きとなった。

北悠会2013_2

 

 

[ 参加者 ]  石井健三、木内正二(以上S34)、細谷昌平(S37)、谷口昌史、三宅章介(以上S38)、池田泰雄(S39)、青木邦夫(S40)、岡田秀紀(S41)、富田康行(S46)、

柴田恭秀、堀江哲夫(以上S47)、高橋功二(S49)、冨永嘉文(S50)、村松達雄、若林弘之、栗沢定義(以上S58)、田村幸永、那須洋一、松岡正樹、山田泰司、吉宮由真、(以上S58)、竹下努、武田佳典、前田裕造(以上S59)、荒谷尚志(H06)、宗田楠興(H07)、太田充俊(H10)、福田武教(H15)、古閑善丈(H16)〈 塾生 〉一柳龍太郎、中沢修之、山本潤、横山慎太郎(以上4年)、竹内元基(3年)、三根健太郎(2年)

 

(富田康行記)

ワシントンD.C.より (H15北卒 寺田一智)

現在、ワシントンDC(米国)に、住んでいます。ワシントンDCは、国際色豊かな、国際政治のハブです。黒人が、60%以上を占め、50民族以上の移民が住んでいる、リベラルな街です。また、政府要人、研究者、国際機関職員、ジャーナリスト、民間会社から派遣された人たちの頭脳集団の街でもあります。そんな中にいると、和敬塾で飲んだくれて体育祭に明け暮れていた、私まで、賢くなった気がして、面白いものです(苦笑)

 

私は、現在所属する、アメリカン大学院で、中国外交の研究に励んでおりますが、DCでは、中国の存在の大きさを強く感じます。非民主主義の経済成長という、アメリカには、理解しがたい経済理論、台湾海峡危機に代表される、海洋政策の衝突と、中国はまさに、良くも悪くも超大国です。日本を離れると、不思議に、母国の事を想うものです。日本は、中国の台頭、北朝鮮という暴れん坊、韓国・ロシアとの不和と、日本を取り囲む状況にあり、憂慮せずには、いられません。

 

生き馬の目を抜くDCで、生き残っていくことは、並大抵の事ではありません。研究者は、もろに時代の趨勢に翻弄されます。例えば、以前の職場である、シンクタンクでも、中国研究から、流行のミャンマー研究が台頭し、プロジェクトの資金を自分で集めてこないといけない為、研究者は、大変です。国際公務員も厳しいです。国連や世銀に勤めている同窓生の女性たちは、聞こえはいいものの、現実は、1年更新の契約社員です。日本の武士道に起源を成す、家族的企業制度は、純日本人を好む社会風土とリンクし、良くも悪くも、日本人の国際化の足枷になっています。将来性で、新卒一括採用され、会社にこき使われるものの(苦笑)、定年まで安定の日系企業は、学歴と職歴の積み重ねによって、よりよい職業を勝ち取っていかなければいけないアメリカ企業と比べて、魅力的です。日本の終身雇用制度を、懐かしく思う今日この頃です(笑)

 

それでは、またお会いしましょう。

H15北卒 寺田 一智

首都圏支部 茶話会+忘年会 12月7日(土)に開催!

首都圏支部 茶話会+忘年会 12月7日(土)に開催!

 

茶話会講師は、山田彰氏(外務省中南米局長)に決定!支部長人脈により外部から招聘しました。2020年東京オリンピック招致にも関わった方です。興味深いお話が聞けること間違いなし!皆様、是非ご参加下さい。

(詳細は以下の記事をご覧下さい)

 

先般メールでご案内いたしましたが、平成25年度首都圏支部忘年会を下記要領で茶話会と同時開催いたしますので、皆様ぜひご参加ください。

出欠のご連絡は、下の「申し込み記載例」をご参考の上、このホームページからご返信下さい。

(すでに出欠のご連絡をいただいている方は、返信の必要はございません。)

 

開催日: 平成25年12月7日(土)

会 場: 「アラスカ パレスサイド店」 電話03-3216-2797

千代田区一ツ橋1丁目1-1パレスサイドビル(毎日新聞社ビル)9階

地下で、地下鉄東西線「竹橋」駅と連絡しています。

店舗URL: http://www.alaska-net.co.jp/palace/access.html

会次第

開場(受付開始):午後3時30分~

茶話会:午後4時00分~午後5時20分(質疑応答含む)

講師:山田彰(ヤマダアキラ)氏(外務省中南米局長)

(講師略歴・1957年生。 福岡県出身、灘中、高、東大法学部、1981年外務省入省、スペインで研修、その後経済協力局、中南米局等で勤務、在外では米国等に勤務。2011年から現職。)

 

演題:「スポーツと外交」

忘年会:午後5時30分~午後7時30分

 

会  費:茶話会のみご参加の方は、お一人様 1000円をいただきます。

忘年会 お一人様 7000円(ただし茶話会と合わせてご参加の場合、茶話会分の費用は頂きません。)

 

申込み:下記事項を記載の上、ホームページから返信ください。

○お名前

○卒塾寮・年

○同伴者がいる場合はその人数

平成25年12月30日(月)首都圏支部ゴルフ大会のご案内

首都圏支部ゴルフ大会のご案内

首都圏支部各位

拝啓、向寒の候 塾友各位におかれましては、益々ご健勝にてご活躍のことと、お慶び申し上げます。さて、首都圏支部第11回ゴルフ大会を下記により開催いたします。年の瀬の多忙な時期ではございますが、万障お繰り合わせのうえ参加頂きます様、ご案内申し上げます。ご家族、初参加の方も大歓迎致します。   敬 具

             記

 

1.日  時    平成25年12月30日(月)

集  合   8:50

スタート   9:24

 

2.場  所    長南パブリックコース

〒297-0105 千葉県長生郡長南町棚毛908

TEL 0475-46-3311   FAX 0475-46-3321

 

3.総 経 費     18,000円〔 プレイ費、昼食費、パーティ費、参加費 〕

 

4.交  通

 

  • 電  車 ; 東京駅(京葉線) 特急わかしお1号 07:15発 →曽我駅07:51着→内房線に乗換  07:55発 →五井駅08:06着
  • 高速バス ; 横浜駅東口(バスターミナルBT ♯18) 茂原行07:00発→市原鶴舞BT  07:55着(出迎アリ)
  • クラブバス  ; (JR内房線) 五井駅(東口) 08:20発

 

5.申込期日   12月15(日)までに、このホームページに返信を頂くか、下記幹事まで、メール・電話等でご連絡をお願い致します。

石川信介(40北)

羽原茂雅(42西) 

古谷徳男(42南) 

國井 厳(54西)     

和敬塾塾友会関西支部 番外特別企画 「秋の大和 まほろばキッチン見学会」

和敬塾塾友会関西支部 番外特別企画 「秋の大和 まほろばキッチン見学会」

 

11月9日(土)味覚の秋に、JAならけんが地産地消を推進する日本最大級の農産物直売所「ファーマーズマーケット・まほろばキッチン」(奈良県橿原市)の見学会を行いました。幹事のJAならけんセレモニーホール所長平田太介史氏(S52年・北)にお世話をいただき、施設見学の他にも、新鮮で豊富な地元野菜をはじめとした食材のショッピング、大和の食を楽しむ昼食などを企画していただきました。

 

和敬塾関西支部

 

日本の農業再生やTPP問題、食の安全が話題となっていることもあり、隣県の和歌山県橋本市議会議員松浦健次氏(S46年・南)のお誘いで和歌山県橋本市木下善之市長、同市秘書課中谷課長が飛び入りで参加され、最初から最後まで皆と行動を共にされました。
JAならけんで幹部として活躍中の平田氏と長く奈良県庁で畜産振興に関係された三浦 生好氏(S47年・西)の案内で、偽装する時間的余裕もないとれたての野菜・偽装の対象になるぐらい美味しい「大和地鶏」の開発の苦労話などを聞きながら、買い物さらには新鮮な材料をふんだんに使ったバイキングを楽しみました。

 

和敬塾関西支部2
また、今回塾友会関西支部の旗を作成し、日本の歴史発祥の地大和で初披露をしました。関西支部はこの旗の下に“先輩方には楽しみある関西支部、若者には活躍できる関西支部”を目指し、今後の継続的発展を目指すものであります。
尚、出席者は次の通りでした。

瀬尾 宏郎(34南),片岡 隆(34南),片岡 節子(片岡氏夫人),谷口善志郎(36南),
田中榮一郎(42北),田中 陽子(田中氏夫人),岩城 本臣(44北・支部長),松浦 健次(46南),三浦 生好(47西),西本 真(51北),平田太介史(52北・幹事),浅井 康平(52北),安川 啓利(52北),服部 豊信(55西),山本 淳司(H5南・北陸支部),田垣内栄司(H15北),木下橋本市長(松浦氏同伴),中谷秘書課長(松浦氏同伴) 計18名

文責  岩 城 本 臣〔44年・北〕

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その3~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その3

 

明治維新と漢字を巡る運命の変転

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

日本に大陸から漢字が伝来し、本格的に使われはじめたのは4世紀頃という意見もあれば紀元前からという意見もあり、まだまだはっきりしない。ただ確かなのは、日本人は異国の文字である漢字を正当な文字としてありがたがって使ってきたということである。

 

日本語と中国語では文法も発音も全く異なるが、しかし漢字以前にはまともな文字を持っていなかったところに中国から漢字がやってきたものだから、どうにかしてでも日本語は漢字で書き表されねばならなくなった。そのうちに平安時代の頃には漢字を加工する形で我が国固有の表音文字であるひらがな・カタカナも生まれたが(最近は古朝鮮文字が起源という説もあり)、これらは漢字と比べると一段下等な文字として軽く見られ、公式の文書には相変わらず漢文が使われ続けた。かなとは假名、つまり仮の字であり、一方で漢字こそは真名(まな)、本当の字とされた。

学問とはすなわち膨大な量の漢字を覚え、いにしえの聖人達の教えを記した異国(中国や天竺)の古典を学ぶことであった。前回で触れたように、賀茂真淵や本居宣長らの国学者はそのように異国の文字や思想をむやみに尊び、日本本来の精神性を軽んずる風潮を批判したが、江戸時代の中頃までは世の中は概ねそんな感じであった。

 

ところが、幕末にもなるといよいよ近代合理主義で武装をした西洋人たちが圧倒的な科学技術とその副産物である軍事技術を背景に東洋まで本格的に進出してきた。

漢字の本場であり、世界の真理について語り尽くした(はずの)いにしえの聖人たちのふるさとであったはずの中国(清王朝)は、いともあっさりと西洋列強に軍事力で敗北し、国を食い荒らされた。

中国歴代王朝で伝統的に行われてきた官吏登用試験“科挙”は、人類の歴史上もっとも公正で、もっとも難易度の高い試験であったという。受験者は蛍の光窓の雪、何年も場合によっては何十年もかけて四書五経をはじめとする膨大な量の古典を覚えねばならず、晴れて合格し高級官僚となる資格を得た者たちはさながら人間図書館のごとき比類なき知的エリートであった。

ところが、そういうエリート達がいくら膨大な古典や漢字の知識を駆使して美しい詩文や高度に哲学的な論文をしたためようとも、西洋で発展した近代合理主義の前には、ほとんど無力であった。“教養”というものの質が根本的にそれまでと変わってしまったのである。

 

もはや、論語を素読し漢字の読み書きを学ぶような旧来の学問だけでは西洋には太刀打ち出来ない。というよりも、漢字などいくら覚えたところで西洋に勝てぬのなら、いっそのこと学ぶだけ無駄な漢字など廃してしまえばいいのでは……?

 

■前島密と福沢諭吉  幕末明治と漢字制限論の興り

 

明治維新後に政治家として活躍し、郵便制度の確立に尽力したことで知られる前島密(1835~1919)は、江戸幕府が滅びる直前の慶応2年、当時仕えていた最後の将軍徳川慶喜にあてて「漢字御廃止之議」という建白書を提出した。内容としては

 

・日本人は学問といえば漢字を学ぶことばかりに追われており、一般人は知識から遠ざけられてしまっている。

・漢字や中国を崇拝するばかりで愛国心は薄れ、また科学技術など実用的な学問を軽んじる事で西洋の先進文明からも取り残されてしまう。

・今すぐに漢字を全廃することなどできないしその必要のないが、最終的には漢字の使用をやめることを目標と定め、実行とていくことが必要である。

 

漢字廃止というといかにも極論に聞こえるが、こう見てみるとその意見には当時の時代にあっての危機感や前島密の誠実な人柄がよくあらわれている。結局まもなく徳川幕府は終わりを迎えたが、前島密は明治新政府に仕えた後も同様の提言を続け、明治33年(1900年)には文部省に発足した国語調査委員会の代表となった。

 

明治維新後、「学問ノススメ」などで近代日本の思想形成に絶大な影響を与え続けた啓蒙思想家にして慶應義塾大学の創立者、一万円札でお馴染みの福沢諭吉も、前島密と同様の主張を維新直後の明治六年(1873年)、「文字之教」という著作の中で説いている。漢字を覚え、かなと交えて文章を巻くことは非常に不都合であり、いずれは漢字は廃されるべきである。しかし即座に廃止することは出来ないので、今のところは可能な限り難しい漢字をむやみに使用することのないよう心がけつつ、時勢を待たねばならない…。

 

http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/fukuzawa_title.php?id=73%7C

 

福沢諭吉は、自由平等民主主義に資本主義、およそ現在の我々をとりまく社会思想のほとんどを一人で網羅していたような日本思想史上の一大巨人であったが、そんな福沢がかなり早い段階から漢字制限を主張していたのは興味深い。おそらくは、漢字の母国である中国の惨めな現状を鑑みてのことでもあったのだろう。中国においても、科挙制度の廃止や漢字字体の簡略化、表音文字の導入の試みなどがなされ始めていた。

 

 

■それでも 漢字を使わざるを得ない

 

このように明治期に盛り上がりを見せつつあった漢字制限であったが、むしろ明治期に入ってからそれまで以上に漢字の必要性が増す、という奇妙なねじれ現象が起こってしまった。

 

ここで注目に値するのが、時代はやや遡るが江戸時代中期の1728年に漂流の末ロシアにわたった鹿児島の少年ゴンザのケースだ。

11歳の少年であったゴンザは父の手伝いで見習い船乗りとして鹿児島-大阪間の航海に参加していたところ、大嵐にみまわれ船は難破、漂流の末カムチャッカ半島にまで辿り着いた。その後ロシア本土のペテルブルグに送られたゴンザはロシア語をマスターし、アカデミーで学びながらロシア人学者らと共に露日辞典の編纂に関わることとなる。まるで漂流の末に米国に渡ったジョン万次郎(郷土の偉人です)のような人生だが、万次郎とは違い日本へ帰ることなく、21歳の若さでロシアの土となった。ゴンザの編纂した「新スラヴ・日本語辞典」は現在の日本でも詠むことができる。

 

短期間でロシア語をマスターしロシア人達をして「天才少年」と驚かせたゴンザであったが、残念ながらもともと無学な片田舎の少年であったため、漢字漢語への深い知識など無論持ちあわせてはいなかった。そのためか、彼の編纂した辞典や単語集には我々がみるとどうも冗長でしっくりこない部分がいくつか見られる。

 

たとえば神罰という言葉を彼はバチカブルフォトケン(罰かぶる 仏の)と記した。温泉ツチノナカンユ(土の中の湯)内蔵ウチノワタ(内の腸)、貧血チガスクナカ(血が少なか)、歴史ムカシノコト(昔のこと)、大都会フトカクニ(太か国)、といった具合。いや、確かに意味は合っているのだが。ちなみに女郎屋ワルカコトスルトコロ(悪かことするところ)だったようだ。まぁ、少年だったんだもの、仕方ないね。

 

ゴンザの残した辞典は現在では当時の鹿児島弁などを知る上の貴重な資料となっている。

 

仮に、仮にゴンザが漂流前に漢字の知識を叩きこまれていたら、もう少ししっくりくる訳語を用意出来たであろう。ここから明らかになっているのは、日本語は漢語抜きにはどうもしっくりこないという厄介な日本語の宿命だった。

 

千数百年ないし二千年以上の昔から漢字が中国の先進文明と共に日本に定着して以来、日本人は高度で複雑な概念を表現するためにずっと漢字や漢語に頼りっぱなしであった。もし、漢字の伝来がもっと遅いかもしくは起こらなかったとしたら、日本古来のやまと言葉は独自に発展し、それら複雑な概念をも表現できるようになったかもしれない。文字だって漢字の影響なしに独自に発明したかもしれない。

 

しかし、そうはならなかった。仮に漢語を一切抜きにしで文章を構築しようとすると、とたんに日本語は妙に脱力して冗長になってしまう。政府をマツリゴトスルトコロ、とか二酸化炭素をスイノモトフタツクッツイタスミノモト、などと表現せねばならなくなった日には……。

 

あるいは、ゴンザやジョン万次郎のように日本人全員が短期間で英語をはじめとする外国語を完璧にマスターしてみせれば西洋文明の摂取もより容易になったであろうが、そんなことは絶対に不可能だ。ならば、西洋の文明を日本語として翻訳していくに他はない。そして、翻訳には漢字が不可欠であった。

 

こうして、日本人は西洋文明を次々と漢字化して翻訳する道を選んだ。その先頭に立ったのは、漢字制限を主張したはずの福沢諭吉であった。

 

(続きます)

 

 

 

 

「塾友会ホームページの活用について」 副会長 八尾和夫(ホームページ検討委員会委員長)

塾友会ホームページの活用について

 

副会長 八尾和夫(ホームページ検討委員会委員長)

 

皆さんこんにちは。塾友会副会長の八尾和夫です。

現在、塾友会本部では、小野会長指揮の下、財政再建問題はじめ、塾友会が抱えるいくつかの中長期的な課題について委員会を設置して検討を進めており、私のところでは、ホームページのさらなる活用に関しての議論を進めているところです。

現在、塾友の皆さんに塾友会活動に関する情報を提供する手段としては、「コリー新聞」と「塾友会ホームページ」がありますが、それぞれの良さを活かしながら、より効果的に情報を発信していきたいと考えています。

コリー新聞は、ホームページとは異なり自らアクセスしない人にも情報を届けられるほか、編集力を通じ情報発信サイドの意図をビジュアルに伝えられるというメリットがあります。

一方、ホームページは、何と言っても速報性という大きな特性を有しておりますし、また双方向性をうまく活用することもできるのではないかと考えております。

ホームページ検討委員会では、塾友会ホームページの基本コンセプトを次のとおりとし、これの実現に向けて少しずつでも歩を進めて行きたいと考えております。

 

一、 塾友が自発的に参加するコミュニケーションの新たな場

一、 塾友に塾友会活動をより知ってもらうツール

 

幸い、現在の塾友会ホームページは、先人の努力により、インフラとしては相応に整備されておりますが、コンテンツが十分でないことが最大の悩みです。

そのためのひとつとして、塾友の皆さんに是非、遠慮なく様々な情報をお寄せ頂きたいということです。

例えば、コリー新聞に掲載されている支部報告以外に、同期会やミニイベントの開催情報・結果報告、あるいは「懐かしい塾友に会いました!」などなど、ことの大小にかかわらず気軽に投稿頂ければ、塾友便りといった形で掲載していきたいと思います。

(投稿先メールアドレス:wakei4world@gmail.com )

一方、本部からは、塾友会活動に関する情報を出きるだけタイムリーに提供できるよう工夫を凝らし、ホームページを見れば塾友会活動の大枠が分かり「塾友会は何をやっているのかわからない」というような塾友の声にも応えていきたいと考えており、現在、広報部を中心に出来るところから取り組みを始めております。

「コンテンツの充実 ⇒ アクセス数の増加 ⇒ ホームページの存在価値向上 ⇒ さらなるコンテンツの充実」といったかたちで、ホームページを巡る好循環がもたらされるよう頑張っていきたいと思います。

皆様のご協力のほど、よろしくお願い致します。

 

ご参考

最近における塾友会支部幹部の交代情報

北陸支部長 加茂隆夫(西S45) ⇒ 森本栄史(南S52)

北陸支部幹事長 油田和彦(北S52)⇒米村哲(北56)

中国支部長  近森新(南S39)⇒冨永嘉文(北50)

中国支部幹事長 田内裕千(南S49)⇒立野裕一(北S59)

 

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その2~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その2

 

江戸時代に於ける国語改革思想

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

■新井白石とカナモジ論の萌芽

 

日本語表記を巡る議論や改革運動が国を挙げて本格的に行われるようになったのは日本が近代国家としての歩みを始めた明治時代以降の事であったが、近代国家移行への準備期間でもあった江戸時代に於いても、既に幾人かの知識人達の間では国語改良に関する私見が述べられ始めていた。

 

新井白石といえば江戸時代中期を代表する政治家にて当代随一の大学者として有名だが、1708年、日本にキリスト教布教のために密入国を果たしたイタリア人宣教師シドッチに対する尋問により得られた西洋社会に関する知見をまとめた書『西洋紀聞』の中で、表音文字であるアルファベットの便に注目している。西洋ではわずか二十数字程度の文字さえ理解すれば全ての用に応えられるのに対し、我が日本では幾万もの漢字を覚えねばならず甚だ不便である、と。

「其字母、僅に二十余字、一切の音を貫けリ。文省き、義広くして、其妙天下に遺音なし、其説に、漢の文字万有余、強識の人にあらずしては、暗記すべからず。しかれども、猶を声ありて、字なきあり。さらばまた多しといへども尽さざる所あり。徒に其心力を費すのみといふ。」

白石はこう言うけれども、アルファベットのみを知っているだけで欧米語は正確に表記できるわけでは無論ない。アルファベットは一字一字に意味を持たない表音文字なので、それとは別に各単語の綴りの習熟を要する事は、受験勉強で英単語を豆単片手に必死で暗記した経験をお持ちに皆様なら容易に理解できるであろう。実際、杉田玄白らによってオランダの医学書ターヘル・アナトミアが『解体新書』として1771年に邦訳が遂げられた際も、翻訳を担当した前野良沢は、作業開始当初は基本的なアルファベット程度しか知らず、単語の綴りも意味も理解できなかったために非常な苦労を強いられたという話は有名である。(その後前野良沢は「蘭化」(オランダ語のバケモノ)と称するほどにオランダ語に習熟したが。)

 

しかし、出版や印刷についてはどうであろうか。文書を大量に印刷・発行するには活版印刷の技術が不可欠だったが、漢語の場合は数万に及ぶ漢字の版を用意する必要があるのに対し、アルファベットであれば大文字小文字や数字、記号等を含めても漢語と比べても非常に少ない手間で事足りる。子供達に漢字の読み書きを覚えさせる労力も無視できない。新井白石の着目した漢字の不便は、彼の没後百数十年を経て明治期に突入した後に本格的な実感となって日本人にのしかかる事となるのであった。

 

■漢字すなわわち“からごころ” 漢字批判と近代ナショナリズムの萌芽

 

次に注目すべきは江戸中期に活躍した国学者の賀茂真淵である。古事記や万葉集など、日本人としての精神的源流を探る国学者であった賀茂真淵にとって、仏教や儒教など外来の思想とともに日本に流入してきた漢字とはいかなる意味を持つ存在であったのか。

『国意考』(1769年)に於いて彼は日本の古来の神道思想の純粋さを汚す存在として漢字を批判し、漢字をありがたがる儒学者らも批判した。これは朱子学など儒教思想を統治の中核に据えた江戸幕府に対する批判とも捉えかねないものあった為に少なからず論争の火種となる一方、後の明治維新から近代日本のナショナリズムに連なる国家思想の原点になったとも言える。

賀茂真淵の弟子であり最も著名な国学者となった本居宣長は、儒教や仏教などの外来思想を日本人本来の精神的あり方を歪めるものとして“からごころ”と呼び批判したが、このからごころという言葉、漢字で書けば漢意となる。

一般的には、「漢字を廃止してしまえ。」などと言う人いると、「あいつは日本の麗しい伝統を否定する西洋かぶれの非国民だ。」などと思われることが多いかもしれないが、こうやって見てみると、むしろ漢字の批判や否定は日本本来の精神的伝統(?)なるものの復活を唱える愛国者の側に属する見解であったのだと言えなくもない

賀茂真淵は、国意考に於いて漢字はとにっかう文字数ばかりいたずらに多く中には殆ど使わないような覚えるだけ無駄なものも多い、と読みも書きも無限に増殖していく漢字の持つカオスさを批判する一方で、新井白石と同じく表音文字に対する期待をのぞかせてもいる。

「然るを天竺には、五十字もて、五千余巻の仏の語を書伝へたり。ただ五十の字をだに正しければ、古しへ今と限りなき詞もしられれ伝へられ侍るるや。」

 

賀茂真淵の中にも見られたカナモジとナショナリズムを巡る問題は、その二百年あまりの後に悲惨な形で顕在化する事となる。

 

 

 

さて、そして時代はいよいよ幕末へ。もはや西洋列強との国力・科学力の差は如何ともし難いものとなり鎖国体制は終わりを告げ、西洋からは最新の技術や思想がアルファベットの洪水と共に大挙して日本に押し寄せた。

賀茂真淵らに始まる国学の思想はやがて天皇を中心とした律令国家の復活への期待となり、それは幕末に於ける西洋近代思想との出会いを経て、天皇を国の元首に置く近代国家の確立の原動力ともなって行く。かくして700年に及んだ武士の時代は終りを迎え、日本は明治維新とともに近代国家としての歩みを始めることとなるのであった。

 

それはまた、欧米との対峙を強いられた当時の日本人達にとって、「日本語をどのように近代世界に適合させていくか」という苦闘の歴史の本格的な始まりを示すものでもあった。

(続きます)

第24回ホームカミング大会の進行プログラムの件

第24回ホームカミング大会の進行プログラムを下記のようにお示し致します。

皆様の御参加を心よりお願い致します。

塾友同士、お誘いあわせの上、御出席宜しくお願いいたします。

                 HC実行委員会

第24回 和敬塾ホームカミング大会 プログラム

  • 日時 : 平成25年10月26日(土)9:30受付開始
  • 場所 : 和敬塾 講堂および庭園 (雨天時:庭園⇒食堂)
  • テーマ:「スイッチ・オンで世界が変わる 和敬の遺伝子」

第1部 式典  10:30 於講堂

  • 開会     司会 長谷川俊太郎(S58西)
  • 物故者追悼
  • 主催者挨拶         実行委員長 北浦正人(S58南)
  • 祝辞    和敬塾塾長 前川昭一
  • 塾歌斉唱

第2部 記念講演        11:00 於講堂

  •  「今こそ日本人の出番だ 逆境の時こそ「やる気遺伝子」はオンになる」
  • 講師 村上和雄-筑波大学名誉教授

第3部 懇親会 13:00 於庭園(雨天の場合は食堂)

  • 開会        平見勇雄(58北)
  • 主催者挨拶  塾友会会長 小野正人(S49南)
  • 来賓代表挨拶 卒塾50年塾友 中村陽一(S38南)
  • 乾杯        和敬塾専務理事 岩崎嘉夫(S43北)
  • 祝宴              祝電披露
  • 塾友会支部代表 挨拶
  • 大抽選会
  • 東京ドーム ビールガールズ
  • 来年の決意表明       S59卒塾代表者 田村幸永(S58北)

        閉会  15:00

記念講演 講師プロフィール

村上和雄 氏 筑波大学名誉教授

  • 1963年  京都大学大学院博士過程終了
  • 1963年  米国オレゴン医科大学生化学教室研究員
  • 1976年  米国バンダビルト大学医学部助教授
  • 1978年  筑波大学応用生物化学系教授
  • 1996年 日本学士院賞受賞
  • 1999年  筑波大学名誉教授

 

1983年に、高血圧を引き起こす原因となる酵素「ヒト・レニン」の遺伝子解読に世界で初めて成功。世界的に有名なパスツール研究所やハーバード大学を抑えての快挙であった為、一躍注目を集める。

この時、「読めたのはいいが、書いたのは誰だ」とサムシンググレートの存在を確信。以来、生命の神秘と謎の世界のとりこになってしまった。

遺伝子の暗号を一番初めに書いたものの正体を一生かけて追い求め探り当ててみたいという衝動にとり付かれてしまった。

科学に身を置きながら、哲学、宗教、宇宙観をも包み込む独自の世界観を展開。現在「心と遺伝子の研究会」で更に研究を深めている。

 

村上先生の主な著書

 

  • 「生命(いのち)の暗号」        サンマーク出版
  • 「スイッチ・オンの生き方」       致知出版
  • 「人を幸せにする「魂と遺伝子」の法則」 致知出版
  • 「人生の暗号」             サンマーク出版
  • 「生命(いのち)のバカ力」       講談社
  • 「遺伝子オンで生きる」         サンマーク出版
  • 「笑う!遺伝子」            一二三書房
  • 「そうだ!絶対うまくいく!」      海竜社

以上

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その1~ (H16年北卒 谷前 憩介)

 日本語表記の過去・現在・未来 ~カナモジカイ・一発変換キー・キラキラネーム~

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

先日、インターネット上をいつものように巡回に勤しんできた所、とあるウェブサイトの存在が某掲示板にて話題になっている所に出くわした。何でも、文章を入力する事で投稿者の文章力を機械的に解析してくれるのだと云う。

 

文章を解析?名文・悪文をコンピューターが判断?ただでさえ難解と言われる日本語を、一介のウェブサイトがわざわざ無償で分析してくれる?そもそも、そんな事が技術的に可能なのか!?色々疑問が浮かんだは浮かんだけれど、ともかく件のウェブサイトを実際にいじってみる事にした。

 

「文体診断ロゴーン」  http://logoon.org/

 

サイトの説明によると、投稿欄に入力した文章を句読点数や平均文長、特殊用語出現率など様々なパラメータを基に解析を行い、文章力の評価を行ってくれるのだと云う。更にそれにとどまらず、64人の作家の文章のデータベースを基に、投稿者の文章がその中の誰に似ているか、又は似てないかまでをも調べてくれるというなかなか楽しい機能まで実装されていた。データ基となった作家が64人と少ないためそこまで精度の高い分析とはならないが、それでも「あなたの文章は夏目漱石に似ています。」とか「川端康成に似ています。」とか言われて気分が悪くなる人もあまりいないと思われる。太宰治は…どうなんだろう。

 

そこでこれまで各所で書きためてきた日記やら何やらを何回か投稿してみたところ、面白い傾向が浮かび上がってきた。

 

 

一致指数ベスト3

一致指数ベスト3

 

どうも、自分の文章は64人の作家陣(何故か池田勇人や吉田茂もいます)の中では「ごんぎつね」でお馴染みの新美南吉には似ておらず、逆に評論家・作家の紀田順一郎に似ていなくもない、という結果がかなりの高頻度で導き出されてきた。その他の評価につぃては文章が長い・硬いと散々なもので、「個性的」とか「表現力豊か」とかそういうファジーな評価はさすがに鵜呑みには出来まい。

 

それにしても、紀田順一郎か…紀田順一郎ねぇ。ミステリや幻想文学の研究で有名な人で、その他にも日本近代史や世相史に関する著作も多数発表している凄い人だという事くらいは知っているが、ミステリにも幻想文学にもあまり個人的に詳しくないためその辺りの業績についてはよくわからない。

 

しかし、今回、こういう「日本語の文体を機械的に解析するウェブサービス」という場面に於いて「紀田順一郎」という名前が出てきたことには、非常に運命的というか必然的なものを感じてしまった。というのも、紀田順一郎は元々作家となる以前は商社勤めのサラリーマンをしており、事務手続きにおける日本語表記の問題について昔から高い関心を持っていた人物だったからである。

 

自分が唯一読んだ事があり、かつ現在も所蔵している紀田の著作はその名もズバリ『日本語大博物館』。幕末明治期から現在(90年代中盤あたりまで)に渡る日本語表記の近代化の歴史を、思想史・技術史の両面から追った非常に興味深い内容の本だった。自分が所有しているのは2001年発行のちくま学芸文庫版だが、原本は1994年にジャストシステムから発行されている。そう、マイクロソフトワードが普及する以前は日本語ワープロソフトの代名詞的存在であった「一太郎」シリーズを開発したことで知られる、あのジャストシステムからだ。

 

90年代から00年代初頭にかけて青春時代を過ごした自分達の世代にとって、コピー機もワープロソフトによる日本語文章作成も物心ついた時からほぼ当たり前の光景だった。いや、保育園児くらいの頃に保母の先生によるガリ版印刷を手伝わされた記憶がうっすらあるが、それでも小学校の頃にはクラスの連絡表も先生がコピーやワープロでちゃっちゃと作成していた。

 

しかし、これほど日本語表記のハードルが低くなったのは実はほんの最近の事で、ワープロ普及以前のオフィス事情は現在からは予想もつかなかったようなものであったらしい。以前、職場の書類庫で30年ほど前の伝票やら見積書やらを偶然覗いた事があったが、伝票の印字は恐らく処理の煩雑さを嫌ってか全てカタカナで読みにくく、数十行もの項目に渡る詳細な見積は、全て手書きであった。悪筆で注意力散漫、誤字脱字も多い自分にはとても無理だ、見ているだけで血の気が引いた。

 

そういう事もあってか、財界人の間では「日本語は漢字が多くタイプライターも使えない、英文と比べて事務手続き上とにかく非能率だから、漢字を全廃してカナ文字のみにしてしまえばいい。」という意見がかなりの支持を集めていた時期もあったのだと云う。中には、「いや、カナ文字ではなくローマ字に統一せよ。」とか「いやいや、いっその事日本語そのものの使用をやめて英語やフランス語を公用語にしたらいい。」という、まぁ今の我々からすればそんな莫迦なと頭を抱えたくなるような議論も行われていたらしいのである。

 

現在、日本語表記は高度なOA化やインターネットを利用した情報化の恩恵により昔と比べても明らかに容易になった感があるが、同時に時代に応じた新たな若干の混乱の萌芽もまた見受けられる。傍目から見たら非常識で無理な当て字で子供に名付けるいわゆる“キラキラネーム”などはその典型だろう。

 

本稿では、紀田順一郎の『日本語大博物館』等を参照しつつ、近代以降の日本語表記に於ける興味深いトピックをいくつか紹介していきたい。といってもこれら国字問題は非常に広範な内容の議論が今でも続いているため、専門家でも無い自分に語れる範囲などたかが知れているのは目に見えているが、先述した“運命”〈必然〉に何かグッと来るものを感じてしまった以上、納得の行くまで書き綴っていきたいと思っている。

 

(続きます)

ホ-ムカミング(10/26) 南寮2次会のお知らせ

ホ-ムカミング南寮 2次会のお知らせ


日時:平成25年10月26日(土) PM4:00~
場所:海鮮居酒屋 はなの舞 護国寺店
講談社の隣(和敬塾側)です。
http://r.gnavi.co.jp/g192810/map/

参加費:4000円(お店で徴収させて頂きます)

幹事:三角健次(S58南)

日本平ホテルのご紹介~平成18年北卒 押見祐輔~

日本平ホテルのご紹介 ~平成18年北卒 押見祐輔~

 

平成18年北寮卒の押見祐輔と申します。

今更でお恥ずかしい限りですが、先日卒塾後初めて塾友会中部支部会に参加させていただき、懐かしき顔と偉大な先輩方の嬉々とした表情を拝見しました。塾友会活動に微力ながらも協力させていただければと思い、寄稿させていただきます。

 

私は昨年7月、約6年半お世話になった会社を退社し、現在地元静岡県静岡市清水区にある「日本平ホテル」というホテルでフロント係として働いております。

今までベル係、フロント係と経験してまいりましたが、この仕事のやりがいは何と言ってもお客様との距離が近いということ。

チェックアウトの際、笑顔で「とてもくつろげたよ。」「友達にも紹介するよ。」というお客様の一言が聞けた時にはこの仕事の醍醐味を感じます。

その反面、お客様ごとに要望は多岐にわたりますのでその要望にどこまでお応えでき、かつどうやって良い意味での驚きを与えられるか、日々試されているのも事実ですので身が引き締まる思いです。

 

 

H18北卒 押見

H18北卒 押見

 

当ホテルは1964年に「日本平観光ホテル」として営業を開始いたしました。

2005年に誕生した政令市「静岡市」の「日本平公園基本整備事業」の一環として静岡市と計画に着手し、そして2012年9月全面建て替えを致しました。

幸運なことに私はそのオープニングスタッフとして参加させていただくことができ、現在に至ります。

 

日本平ホテル エントランス

日本平ホテル エントランス

当ホテルの魅力は、かつて日本観光地百選第一位にも選ばれた景観です。

海抜267Mからの壮大な風景をご覧いただけます。

眼前に広がる清水の港町と駿河湾、そしてその約50㎞先には世界遺産に登録された霊峰富士が悠然とその姿を現します。

 

 

富士山をのぞむ

富士山をのぞむ

 

「風景美術館=日本平ホテル」のキャッチフレーズにふさわしい景観がすべてのゲストをお迎えいたします。

 

 

部屋 日本平ツイン 

部屋 日本平ツイン

新しくなって1周年を迎えた当ホテルはこれから真価を問われる時期を迎えています。

これまでも、これからも最高のおもてなしをご来館いただくすべての皆様にお届けできるよう、日々努力してまいります。

以上

28歳の社会人からの、現役の和敬塾生へのメッセージ

平成25年9月23日

 

28歳の社会人からの、現役の和敬塾生へのメッセージ

 

H19年度(H20年) 北寮卒

中本 剛史

平成25年9月23日

 

昨年10月にそれまで4年半務めた会社を退職し、新しく会社を設立しました。それまでは、超がつく程の大企業でサラリーマンをしていましたが、実家の家業の経営が厳しく、力になれるのが私しかいなかったため、今しかできない親孝行、そしてそれは今やらないときっと将来自分は一生後悔するであろうと思って、「会社を辞める」という決断を致しました。

結果、決断後に父親の会社も倒産してしまったので、第二創業に似た形での会社設立となりましたが、事実上ゼロからの立ち上げでした。今は父親と二人三脚で事業をしておりますが、この一年の生活は計り知れない程の未曾有の苦難の連続で、それでも家族の絆を失うことなく希望のある生活を送ることができているのは、本当に言葉にできない幸せで、それも色々な面で支えてくれた多くの方々のおかげだと思っています。

28歳にしてこうした生きるか死ぬかの極限的な生活を送るとは夢にも思ってもいませんでしたが、若いうちにこうした体験ができたことは貴重なことでした。安定した大企業に勤めていたことで失いかけていたハングリー精神や危機意識、スピード感のある仕事を体得できたのは今では大きな財産です。

翻って、世の中のうまくいっていない会社の多くは、会社の経営状況や自分の生活に対する危機意識やハングリー精神というのが、働く従業員の間で組織として失われつつあるところが多いのではないでしょうか。巨額の赤字を出しても自分は大丈夫と思っていられるのも大企業だから許されることで、今や大企業もそうこう言っていられず危ういと叫ばれていますが、中小・零細企業の経営者は昔から、いつ会社がつぶれてもおかしくないという危機感を常に抱いていますし、安定に恵まれていた人がそうした危機意識を忘れていただけに過ぎないのです。

日本の高度経済成長期はヒト・モノ・カネも十分になかったにも関わらず、結果大きな経済発展を遂げました。私はその時代には生きていませんが、モノが足りなかった時代には多くの人々にどこかハングリーなところがあったのではないでしょうか。同時に、他の人が満ち足りていなければ、足りないところを補い合うという相互扶助の人間関係もそこで生まれていたのではないかと推察します。

一方で、現代はあらゆるものが満ち足りている。モノも情報も、選択の自由も生活環境の質も。それなのに、どこか何かがおかしい。考えられない事件・事故が頻発する。鬱やひきこもりの人口が増加する。晩婚化が進む。今では20代30代の未婚の男女で、恋人がいない人は60%以上にも上るそうです。

もちろん現代のような飽和の時代に、ハングリー精神を各人が持つというのは難しいかもしれませんが、だからこそ、今の我々が失ってはいけないのは、私が思うに、人やモノへの興味・関心だと思います。自分は何も困っていないから他人はいいや、自分の仕事は終わったからお先に失礼します、ではなくて、周りを見渡し、「最近忙しそうだね?どこか元気ないね?飯でも食いに行くか?」といったようなほんの少しの気遣いや言葉が言えるようになることが大事なのではないでしょうか。こうしたことは余裕のない人はできませんから、余裕のある人こそが行うべきであり、それができる人が21世紀のこれからの時代、上に立つリーダーになれる人だと思います。パソコン業務が増え、仕事も細分化・分業化・デジタル化されていく今日の社会において、組織が活力を取り戻していくためには、こうした周囲に気配りや配慮をできる人間を増やしていく必要があると思いますし、そういう人が増えることによって今よりも明るい未来や社会が実現するのではないでしょうか。

同時に、そうした恩を受ける側の人間も、義理の心を忘れてはなりません。自分が辛い時、困っている時、助けてくれた人へいつかは恩返ししなければなりません。その恩返しはその人に直接することがすべてではなく、受けたものと同じ恩を、自分が他の人にすればよいのです。こうしたことは、先輩にメシを奢ってもらい、後輩にメシを奢るということが生活に染みついている和敬塾生にとっては理解しやすいことかもしれません。

以上述べてきたように、こうした人やモノへの興味・関心、そして受けた御恩を何らかの形で報いようとする義理の心こそ、和敬塾における共同生活で養ってほしい素養です。また、和敬塾はそうした素養を身につけられる最高の環境にあると思います。現役の学生諸君においては、ぜひ飲み会や多くの行事を通じて、まずは同居する仲間に対して興味を持てる人間になってほしいと思います。

2020年のオリンピックが東京で開催されることが決まりました。被災地の復興、そして東京オリンピックと、国民がまた一つ希望を持って団結することができる千歳一隅のチャンスの到来です。人に興味を持つというのは、言うなれば当たり前のことかもしれませんが、それができていない人が多いのも事実です。高度経済成長期のような20世紀型のハングリー精神はなくても、21世紀に生きるリーダーに必要な、人への興味・関心、そして義理の心を持った和敬塾生とともに、私も一事業家として、これからの素晴らしい社会を将来共に作り上げられたらと願っています。

 

以上

北寮集まれ!ホームカミング大会二次会『北悠会』のご案内

~北寮集まれ!~ ホームカミング大会二次会『北悠会』のご案内

 

今年もホームカミング大会終了後に、恒例の北寮卒塾者の集まりである「北悠会」の宴を下記により催します。

北寮OBの皆様、お誘い合わせのうえぜひご参集ください。

北寮現役塾生の参加も歓迎しますので、参加をお待ちしております。

 

 

◇ 日時:  平成25年10月26日(土) 午後3時30分ごろから

※ ホームカミング大会終了後となります。

◇ 参加費:  4000円 (現地会場で徴収します。)

※ 北寮現役塾生は無料です。

◇ 場所:  お料理「いり江」
http://tabelog.com/tokyo/A1305/A130502/13026381/

住所: 豊島区高田1-36-21

電話: 03(3981)5463

※ 和敬塾から、目白通りを目白駅へ向かって左側です。

< 「高田一丁目」の信号のすぐそば、「鬼子母神」参道入口の向かい側、目白駅方面のバス停「鬼子母神前」の近くです。 >

○ 連絡先:

・ 幹 事  富田 康行 (S46北)

 

平成25年 第24回ホームカミング大会 開催のお知らせ

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第24回ホームカミング大会 開催のお知らせ
実行副委員長 田村幸永(北58)

既に塾友会新聞等ででお知らせ致しておりますが、今年のホームカミング大会は、10月26日(土)に開催いたします。
幹事一同頑張って開催を盛り上げていきますので、御周知のほど宜しく御願い申し上げます。

別途、本ホームページにても、詳細を紹介させて頂きますので宜しくご期待お願い致します

尚、何か御用件ありましたら、tam@p-rism.nir.jp(本人)までお願い致します。
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本部財政再建委員の活動報告~会費納入依頼状送付作業~

本部財政再建委員の活動報告~会費納入依頼状送付作業~

財政再建委員会

本部の財政再建委員会メンバーにて、塾友会費納入依頼状の塾友への送付作業を実施致しました。

  1. 日時:2013年9月8日(日)10:00~終日(作業終了まで)
  2. 場所:和敬塾1階集会室(事務室前)
  3. 内容:封筒への宛名ラベル貼り、ヤマトメール便ラベル貼り、納入依頼状及び郵便振替用紙封入、封緘

本作業は、9/3午後及び9/5午後の2回に渡り、財政再建委員にて行いましたが、業務量が多く、本日3回目の作業を実施したものです。

財政再建メンバー

財政再建メンバー


皆様のおかげで、本日の作業は以下の皆さんにご協力いただき、予定よりも早く15時に終了したことを報告いたします。

ご協力いただいた皆さん、どうもありがとうございました。

古閑さん、盤若さん

古閑さん、盤若さん


【作業参加メンバー】
・宮原さん S51北
・吉田さん S55西
・古閑さん H16北
・盤若さん H17北

以下は、財政再建委員会担当幹事になります
・加藤さん S53西
・月岡さん S53北
・村松さん S57北

以上

塾友会 小野正人会長からのメッセージ 

 

平成25年9月

塾友の皆さまへ

和敬塾 塾友会会長    小野正人

 

和敬塾も、いよいよ創設60周年が近づいてきました。平成27年には

和敬塾創立60周年、また前川喜作塾父(創設者)生誕120年の節目を迎えることとなります。

 

そして、わが和敬塾塾友会は歴史と伝統を誇る、日本を代表する最も結束力のあるOB会組織として、その会員数も今や、4932名となり、来年には5000名を突破するのは確実な状況となっています。

 

この塾友会の「すごさ」がどれほどのものかと言うことを如実に示す例として、

週刊ダイヤモンド2012年9月21日号に「最強のOB人脈伝説」と言う記事の中で、わが塾友会が、早稲田大学雄弁会と慶應義塾大学応援指導部と共に紹介されたことからも明らかであります。

 

塾父に始まり、和敬塾、塾生、塾友が「三位一体」となって築いてきた「絆」こそ、まさに不変であります。

 

さて、この強い「絆」で結ばれた塾友会会員の皆様に、お願いがございます。

ご高承のとおり塾友会は、皆様に納入頂いております貴重な会費を基に、その運営を行っておりますが、今年度は会費納入率が低く、塾友名簿の発行もままならない状況にあります。

 

塾友の皆様には、この伝統ある塾友会の活動趣旨をご理解いただき、会費の納入にご協力の程、宜しくお願いいたします。

 

この素晴らしい塾友会を、これからの後輩に引継ぐためにも今回のお願いにご協力をいただき、共に和敬の「絆」を、更にさらに大きなものにして行きましょう!!

 

以上

平成24・25年度 塾友会費納入のお願い

                          平成25年9月

塾友の皆さまへ

和敬塾 塾友会会長    小野正人

和敬塾 塾友会事務局長  見崎一郎

 

平成2425年度 塾友会費納入のお願い

拝啓

時下ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

塾友の皆さまにおかれましては、常日頃、塾友会活動にご協力いただき誠にありがとうございます。

 

さて、本日は、塾友会費納入につきましてのお願いでご連絡させていただきました。

 

ご承知のとおり、塾友会は、皆さまに納入いただく会費を基に、コリー新聞の定期的な発行と塾友の皆さまへの送付、

塾友会ホームページの運営、支部と連携協力した諸行事の開催、塾友名簿の発行等 皆様の親睦を図る活動を行っており

ます。

 

しかしながら、平成24・25年度につきましては会費の納入率が低く、会費収入が減少していることから、定例の塾友名簿の発行も見合わせざるを得ない状況となっております。

まだ年会費を納めておられない塾友の皆さまには、塾友会の活動趣旨をご理解いただき、至急、会費をご納入いただき

たく、お願い申し上げます。

 

なお、会費納入方法につきまして、今回より多数のご要望のあった銀行口座への振込も行えるようにいたしました。

これで郵便局まで出向かなくても、また、夜間早朝、休日でもホームバンキング等にてお振込いただけますので、同封の郵便振替専用用紙に加え、以下の銀行口座への振込もご活用ください。

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三井住友銀行赤坂支店 普通預金 #8256653 口座名:和敬塾塾友会 会計 高橋 英明

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※銀行口座への振込にあたりましては、振込依頼人名は必ず卒塾寮名、卒塾年度を入れて、塾友ご本人様名義にてお願いいたします。特に、ご家族や会社名でのお振込ですと、事務局側でどの塾友様からの納入か確認できず、せっかく、ご納入いただいても再度、会費納入の依頼をさせていただくことになってしまいますので、ご留意ください。

 

(例) キタ57 ムラマツタツオ

 

※   本状は、平成25年8月末までに会費の納入が確認できなかった塾友の皆さまにお送りしています。

入れ違いで本状が届いてしまった塾友の方には、大変失礼な書状出状となりましたことをお詫び申し上げます。

 

※   会費は塾友全員2年間で1万円です。平成2年7月発行のコリー新聞にてお知らせしておりますとおり、終身会費

制度は既に廃止されております。

 

〇 すでにコリー新聞でも何度かご案内しておりますが、塾友会ホームページが昨年から刷新されており、非常に見やすくなっております。塾友の近況も「塾友だより」に掲載されておりますので、以下のURLをお気に入り等に登録して閲覧いただければ幸甚です。

皆さまの近況も「塾友だより」にぜひご投稿ください。投稿は、ホームページ上部バーの一番右「お問い合わせ」を

クリックしてご入力ください。

 

< http://jukuyukai.com/ >

敬具

~時代の流れとともに~ H21年度北寮卒の中本達也

【時代の流れとともに】

 皆様はじめまして。H21年度北寮卒の中本達也と申します。
H21年卒ということは、現在25,6歳で、社会人3年目を過ごしている身であります。
塾友会HPに掲載するため「自由なテーマで」ということでお題をいただきました。

 お恥ずかしながら私は、卒塾以来塾にも顔を出さず現在の塾の様子も詳しくわかりませんが、
そんな私でも良ければということで、駄文ではありますが綴ってみたいと思います。

 私は、和敬塾生活、大学生、社会人生活を通じて決して多くの人と出会って来たわけではありませんが、
出会う人と対話する中で「時代の流れ」というものを感じることが多くあります。

 特に40代、50代の人とお話させていただく時に、私より30年近く離れているのに同じ時代を生きていることに驚きと喜びを覚えることが多いです。

 彼らが私と同じ年齢の時代(1980年代)はちょうどバブル景気の真っ最中ではなかったでしょうか。お話を聞くとそれはもう今では到底考えられない時代だったそうです。特にバブル景気の象徴とも言えるディスコの雰囲気を味わいたく、大学生の頃に六本木にある「マハラジャ」によく通いました。その年代の人達と共にお酒を飲みながらバブル景気を追体験しようとしましたが、やはり実体験に勝るものは無いと感じました…。

 その時代から30年近く時の流れが過ぎた今、コンピューターや携帯電話に代表される情報技術革新が起こり、情報アクセスやオンライン・コミュニケーションが普及する一方、ゆとり世代の出現や法規制の強化など、時代とともに社会常識も変化しています。

インターネットバブルで情報サービス産業が発達し日本経済が勃興したものの、リーマンショックに代表される金融恐慌で世界的に見ても景気は落ち込んでいると言われます。失われた20年ですっかり意気消沈した日本経済もようやく腰をあげるのではないかと期待していますが、国の債務残高、高い自殺率、自然災害やそれに起因する諸問題等、この国の将来は決して明るいとは言えません。

 しかし、このような時代の「流れ」の中に「点と点」が結びつき、多くの世代の人が同じ時代(いま)を生きていることは、大変幸せなことであり未来につながる「絆」であると思います。

 これまでの30年で先輩方が経験したことを拝聴する機会を持つことは、これからの30年を生きる若者にとっては大変貴重なものです。また我々の若い世代が40代、50代になった時、今とは逆に20代の人と交流を持てることに対しても明るい希望を持つことができます。

 変わりゆく時代の流れとともに、これまで長年培われてきた先輩方の知識や経験、そしてこれからの時代を担っていくであろう若者の研ぎ澄まされた感受性、それらがうまく混ざり合ったら良い時代になるのではないでしょうか。少なくとも、身近な存在にある人達がこうした歩み寄りを行えば、和敬塾が大学生活だけのものでなく、社会人として立派な漢として胸を張って生きていく為の絆になるのではないでしょうか。

 和敬塾が創立され55年以上経ちました。
これからの50年も今と同じく和敬塾という組織が存続し、時代とともに進化していく姿を目にすることができれば幸いです。

以上

 

H17北 盤若が行くシリーズ ドイツ編「フランクフルト到着」

H17盤若が行くシリーズ ドイツ編「フランクフルト到着」

 

皆さん、こんにちは。H17北の盤若です。

さて、「盤若が行く ドイツ編」の第2弾です。

 

約12時間のフライトを存分に楽しんだ後に、ついにフランクフルトに到着しました。

飲み続けたので酔いも覚め切らない中に降り立ったフランクフルト国際空港。

東京(成田)発が8月20日 12:15だったのですが、フランクフルト着は現地時間で8月20日 17:20になります。

ドイツと日本の時差は-7時間なので、到着時の東京時間では8月21日0:20になります。東京は深夜ですね。

 

今回は、JALの航空券+ホテル+送迎がセットになっているダイナミックパッケージというプランを使いましたので、往路の空港からホテルまでの送迎がついていました。

荷物を受け取って早速プラカードを持ったお兄さんを発見。

 

車での送迎ですが、車はベンツSクラス!わぁお。

やっぱビジネスクラスのお迎えはベンツだよなぁ、なんて考えていると、あれれ、タクシーも全部ベンツ。ベンツのEクラス。

ってか、ベンツだらけじゃないか!?

 

うーん、確かに東京のタクシーでトヨタや日産なのは当然の光景だけど、タクシーにクラウン使うのなんて個人タクシーだけだしなぁ。

ドイツで買うとベンツのEクラスも安いんだろうか、、、。

 

タクシー

タクシー

着いたのが夕方の17時だったので、ホテルまでの道のりでは見事にラッシュに遭遇。

 

実は、フランクフルト空港からフランクフルト中央駅までは、鉄道で12分なんですよね。数日後に知ったのですが。

ラッシュ時の車では40分くらいかかってしまいました。あらら。

 

 

そして到着したホテル。

今回の宿泊先は、 ウエスティン グランド フランクフルトです。

 

ウェスティンホテル

ウェスティンホテル

ウェスティンホテル

ウェスティンホテル

ウェスティンホテル

ウェスティンホテル

 

 

 

早速、軽くフランクフルト中央駅まで散策してみることに。

 

 

 

フランクフルト街並

フランクフルト街並

 

 

 

ゲーテ像の前でぱちり。

 

 

ゲーテ像

ゲーテ像

 

 

ECBのモニュメントの前でもパチリ。

下側の星がいくつか割られてるのが欧州っぽいかも。

日銀が割られてるなんて、ないだろうしなぁ。

 

ECB

ECB

 

 

コメルツ銀行の本店です。

 

 

コメルツ銀行

コメルツ銀行

旅の鉄板、地球の歩き方を読みながらの散策です。

 

 

地球の歩き方

地球の歩き方

 

 

ちょっと鉄道にも乗って見ました。

Sバーンってやつです。

 

Sバーン構内

Sバーン構内

 

 

最初は、全く切符の買い方が分からなかった。。。

ドイツって改札ってやつがないんですね。駅員さんもいないから、合ってるか分からんのです。

これが券売機です。タッチパネル式。

一応英語表記もあるので、適当にパチパチ押して買ってみました。

 

 

 

Sバーン券売機

Sバーン券売機

 

切符買わなくても電車に乗れてしまうんだけど、もし切符もってないのを駅員に見つかると高額の罰金になるよ、というシステム。

しかし路線図は東京メトロ顔負けの複雑さ。

 

Sバーン路線図

Sバーン路線図

 

 

これまた数日後に分かったんですが、1.6ユーロで良かった近距離切符を、
当時は分からないので駅名入力して2.6ユーロの切符を買って、まぁこれでいいだろ、と考えて乗っていました。

まぁ、無賃乗車ではなかったんだけど。

 

Sバーン内

Sバーン内

 

ここ大事です!

いや、旅行期間中に結構な距離&回数を鉄道に乗ることになったんですが、であれば、これを買っておけば良かった!

っていうのが、「ジャーマンレイルパス」

http://www.railohshu.jp/railpass/GermanRailPass.html

 

是非、これから3日間以上はドイツを広域に旅するっていう人はご検討下さい。絶対お得です。

これを買っていれば、4万円くらいは節約できたなぁ、と今更ながら後悔しております(泣

 

 

というわけで、ついに着きましたドイツ。

 

次回の盤若が行くドイツ編は、ニュルンベルグの旅をお届けします!