S56年北寮卒業生同期会

S56年北寮卒業生同期会の報告

2018年11月10日~11日、S56北寮同期会が福島県いわき市スパリゾートハワイアンズで開催されました。

参加者は卒業生25名中9名、世話役は同市弁護士、國井達夫です。

常磐線、特急ひたちに集まり、ハワイアンズに到着したのは14:30。
温泉入浴等あり、ほぼ16:00から持ち寄った酒肴をつまみつつスタートした一次会は、夕食を経て20:30迄続き、20:30~21:30のポリネシアン・グランドステージで更に盛り上がり、最終的には24:00迄、各自の近況、寮時代の話、欠席者の消息等々を語り続け、その間ドアを閉めても笑い声は廊下に響き渡り、他のお客様が「この人たち何?」と怯える状況が続きました。

翌日は、能美市市議S・Uの要請で、震災時津波に襲われた地域を訪れ、その跡と復興状況を見させていただきました(今は穏やかな海が、と全員心の中で合掌)。

その後小名浜港を訪れ、昼食後2019年春の再会を約束し、幹事に感謝しつつ解散となりました。

参加者

綾部靖彦、一之宮英彦、卯野修三、国井達夫、児玉明久、富田実嗣、南目益男、福井量一、米村哲

H15北卒 vs H16北卒のゴルフマッチプレー報告

皆さん、こんにちは。 平成16年北卒の古閑です。

 

2014年3月2日に、H15北卒 vs H16北卒のゴルフマッチプレーを実施しました。

 

今回の会場は、ニュー南総ゴルフ倶楽部。
http://www.newnanso.com/

 

朝から小雨が降り、気温も低く寒かったため他のお客様は相次いでキャンセルされていたとのこと。
待ちに待った和敬ゴルフということで我々は当然のように決行してきました。

 

 

和敬ゴルフ

和敬ゴルフ

 

 

H15年北卒の福田さん&上村さんペアと、H16年北卒の高松&古閑ペアのマッチプレー。

1ホール毎に、それぞれのペアのストローク数を掛け算して出した数値が低い方が勝ちのルールです。
この、「掛け算」ってとこがポイントで、足したストローク数が同じでも、良いスコアを出したプレーヤーがいると点数が変わってきたり。

 

先輩に気を使ってあまり言えないのですが、過去5回?の開催でH16年ペアは負けなし。

 

 

和敬ゴルフ集合写真

和敬ゴルフ集合写真

 

 

今回の結果は、、、、 前半OUTは、序盤はH16ペアが3UPまでリードを広げるも、最終的にはなんとドロー。

 

 

和敬塾ゴルフ福田さん

和敬塾ゴルフ福田さん

 

まぁこれで先輩に花を持たせたよね、ということで、後半INは、あっと言う間にH16ペアが5UP獲得し、 またしてもH16ペアの勝利。

 

和敬塾ゴルフ上村さん

和敬塾ゴルフ上村さん

 

お土産に、H15ペアから、千葉県市原市産の梨で作った「梨ゼリー」を贈って戴きました! 今回も、ありがとなっしー!!

 

 

梨ゼリー

梨ゼリー

 

 

帰り道の途中、次回は「海釣り対決にしよう!」との話で盛り上がりましたので、 今度は海釣りの結果をご報告できることを楽しみにしております。

 

塾友会 本部役員 古閑

(第14回)2013年和敬塾42年西寮卒 広島旅行始末記

(第14回)2013年和敬塾42年西寮卒 広島旅行始末記

11/12(火)13(水)広島~宮島~厳島~江田島~呉

( 注:敬称略   文責:川淵 )

 

1112 11:50前後に東京、大阪、九州から馳せ参じた面々がJR広島駅に集合した。

本来は四国、名古屋からも駆けつけるはずだが、四国は急遽欠席(藤代)し、

名古屋(山本)は旅館に直行した為、広島駅に揃ったのは

東京組:三井夫妻・川崎・鈴木・石井・羽原・田中・平田

浜松組:大竹

大阪組:中井・吉村・山田・川淵夫妻

九州組:渕川・相沢・中村             以上17名であった。(全員は18名。)

 

今回の企画立案は、広島県出身の石井と隣の岡山県出身の羽原の二人が中心になって進めてくれ、事前に何度も下見を繰り返してくれたと聞いている。翌13日夕方、先乗りの山本を加えた18名は呉駅(平田は墓参りに四国へ)並びに広島駅で東西に分かれ解散したが、石井・羽原お二人のお蔭で、古希を迎えた(る)我々には素晴らしい印象に残る旅行であったことを初めに申しあげておく。

以下、川崎幹事長の指名で川淵が「始末記」をしたためる事になったが、何しろもう古希を迎える年齢になった私が少ない記憶を頼りに書くため、以前のようにぽんぽんと言葉も浮かばず、文中に”奈良の熊”というような不穏当な言葉使いや記憶違い、誤字・脱字や順番間違いなど多々あると思いますが、そこは大目に願います。三井会長、川崎幹事長の応援もあり始末記は完成した。   

以下が全員集合写真。

集合写真

 

「旧江田島海軍兵学校」の見学を終えて(13.11/13)後ろにレンガ建てが見える玄関前。 

 

 

■三井会長、川崎幹事長のお声がかりで始まった旅行会も今回で14回を迎え、常連メンバーに新規メンバーも入り乱れ、なかなか味のある「42年西寮友の会」に仕上がってきた。

西寮同期は46名であるが、故人6人、住所不明3名となり、現在37名が現役ということで、参加者16名は略略50%の出席率といえる。

旅の途中で例の通り携帯電話による参加もあり、よりにぎやかになったのは言うまでもない。

唯一九州から不参加であった近藤直(未だ不参加)は「まだ現役で働いているが、次回は必ず行く?」とのことを言っていたし、ハワイにいる堀内欽一からの「ALOHA!!電話は丁度呉港に向かう最中の船中であったが元気な声での参加であった。まるで日本にいるが如く聞こえたが、本当にあのハワイなので長電話はまずいと思い「そろそろ切るぞ」と言ったが、堀内からは「大丈夫だ。これは会社の電話だから・・・・」ということで数人に電話は回った。残念ながら、北海道の栃木、南、長野の木内、東京の藤井、園部、名古屋の吉田、安村、たちの声は聴けなかった。それにしても、もう6人も逝ってしまったのか。(皆早すぎるぞ! 斉藤・時田・本多・三浦・喜多・中川・・・・・・合掌!)

 

■11/12昼食  広島駅ビル「酔心」 広島名物”アナゴ飯”を食す。

初めてのことだと思うが、昼食時にビールの一本も出なかった。確かに誰からも声もかからなかった。

それ程、皆胃腸が弱ってきたのか、それとも遠慮深くなったのか、女性がいたからかどうかは分からない。

久闊を叙して(ともがら)牡蠣を食う   三井利忠

(三井会長の影の声:「酒の一本でも欲しかったなあ。初めてだね。」川淵「そうだね。はい!」)

 

■昼食後タクシーで原爆記念資料館(平和公園)に

資料館を初めての人も、十数年ぶりの人も居たが、何とも言えない複雑な感覚であった。三井会長からは「45年ぶりの広島原爆資料館ではやはり涙を禁じ得ませんでした。」とのメールを貰いました。やはり、原爆は駄目だし、それをほうふつとさせる原発は減らす方向が正しいのだろう。小泉元首相が言うように「即刻止めるべきだ」というのはどうかとも思うが、二度とこのような不幸はごめんだ。

 

平和公園前での集合写真

・平和公園前で集合(山本は未だいない)

 

 

■船で平和公園→宮島に   今晩の旅館は「みや離宮」と言います。(ひろしま世界遺産航路にて)

野生の鹿と一緒に旅館の仲居さんが港までお出迎えです。宴会の前に厳島神社を参拝しました。何度も台風で被害がありましたが、釘止めしていない床板の為、何度でも生まれ変われるようです。

 

33広島旅行始末記

 

1本の根っこから9本の松という珍しいのも見たし、能舞台5重の塔も”厳島神社“を盛り上げていました。名物「もみじ饅頭」を買い求めて、土産物店を覗き歩きました。

 

5広島旅行始末記

宮島はしゃもじが有名です。数mの大しゃもじが展示されていました。宿が”夫婦円満””長寿”のしゃもじをプレゼントしてくれました。我が家は2本とも貰いました。夫婦円満だし両親を見ていたら長寿になりそうだから1本で良いと断ったが、奈良の熊が・・失礼!・・中井に「君たちには2本が必要だ」と渡された。

 

食事前に夕やみ迫る港に集合。

満潮の為歩けないので、船で厳島神社の鳥居の下を巡るという幹事の趣向はなかなか乙なものであった。

ライトアップされているため、なかなか荘厳な雰囲気がしたものでした。

 

広島旅行始末記8

 

広島旅行始末記9

 

これはほゞ満潮の時、干潮の時は神社まで参道が出来る。それにしても立派な鳥居だ。

厳島神社の鳥居を背景に一同集合

 

広島旅行始末記10

 

冬潮の海よりくぐる大鳥居    川崎清明

■いよいよ宴会です。

 

隣では、カラオケをやっているのかうるさいほどの宴会ですが、我々は流石に大人の宴会です。

川崎幹事長の開会宣言、幹事の予定説明に続き、川淵の発声で取りあえず乾杯。

 

 

そのあと、三井42年西寮同期会会長が今回の旅行の石井幹事・羽原幹事への感謝の言葉と、久しぶりの友が多く出席したことを素直に感謝し、続けて「もう我々の年代になると色々体にきしみも出ているので、体のことは出来るだけ言わず、前向きに明るく一人一人に近況挨拶をしてもらいます」ということで、次々に仲間は挨拶をしたのです。勿論、ご婦人方も同じです。久しぶりの渕川の嬉しそうな顔。満面笑みです。

 

宴会終了後は501号室に集合して二次会。皆子供に戻っているようです。(下記写真)

久しぶりの友とは、奈良の熊さんの横にいる、相沢・平田・中村・渕川の4人です。

広島旅行始末記13

 

 

(順不同)  皆が何を話していたのか?忘れてしまった。

 

山田:相変わらずチャチャを入れるタイミングが旨い。盛り上がりには欠かせない人物。オートバイ事故の

後遺症も大分癒えたのか一緒に全行程を歩いた。大黒正宗健在!

大竹:親子で歯医者を継続中。親父は手を出さないでと言われている。皆に掛川茶をお土産に配ってくれた。お客様第一!お客様は神様!80才まで20本!と言って歯医者に誘う名人。

渕川:親子で税理事務所経営。給料は息子からもらっている。奈良の熊が税務署の調査についてアレコレ質問していたが、私は熊の税務については詳しくないと。それも確かにそのとおり。渕川らしい。

平田:何度かの病を克服。墓参りに四国(愛媛)へ。髭と頭の艶に往年のプレイボーイの面影があるとかないとか。もう役には立てませんとは本人の弁。

田中:和敬ニューイヤーコンサート(1月12日)に命を懸け成功を期している。この人はいつも何かに命を懸けているので手術ばかりしている。がんの治験はベテラン。登山には命を懸けないように。

相沢:下関から登場。いつもニコニコしているこの人ベビーフエイスに相当皺が増え、段々生まれたての赤

子に戻って行くようだ。

山本:週に数回テニス。奥様とハイキング。たまに囲碁と元気。ライバル本多を失いすっかり口数が少なくなった。

三井:俳句、郷土史研究、畑仕事に没頭。ゴルフからは片足を洗った。“おつまみは無いの?”と忙しい奥様の外出先にメールをするのが玉にきず。内助の功がなければどうなるの?

三井夫人:西宮(新婚のお嬢様)~町田~広島と忙しいのです。夫の秘書の他、夫の重い荷物持ちも兼ねる力持ちの賢妻。ソフト部の理事。

石井:名門広島大付属高校の出身ということで今回の旅の全体監修を務める。高校の同級生のコネで船の臨時便まで手配。月何回かの泊りがけの麻雀賭博が生きがい。

羽原:隣県の岡山出身ということで今回の旅行の裏方として金集めに徹する。今は、和敬囲碁と和敬ゴルフ(長生会)の幹事として活躍。

中井:「ペディベア」「熊ちゃん」と本人はいうが「奈良の羆(ヒグマ)」も年を重ねて確かに可愛くなった。奥様孝行でハワイに行ったが、ハワイにも熊が出ると噂になった。ハワイ在住の堀内が「あれは日本から遊びに来ただけで直ぐに帰るから心配するな!」と動揺を抑えるのに苦労したとの噂もある。

川淵夫人:「貴方また和敬塾?」と言っているが結構楽しそう。なぜみんな奥様を連れてこないの?亭主が退職後大きな身体で家を占拠し、大きな声を一日中聞かされて、私の身にもなって下さいと訴えていた。皆頷いて、同情しきりであった。

川淵:奥さんの荷物まで持つ優しい夫?奥様孝行しなくてはいけない理由があるのかないのか?家庭に欠

かせないかどうかは別として、同期会には絶対欠かせない人物であることは間違いない。奥様どう

か同期会に免じて、お心を広くお取扱いを宜しくお願いします。カメラマンご苦労様でした。

吉村:野外の料理の達人であると同時にパソコンの達人でもある。この間の奈良の柿狩りでも8kgの肉を料理。焼きそば、チャーハンもお手の物。鳴物入りのメールで送られてくる年賀状が楽しみである。

学生時代から最も向上(成長)した同期と言われる。

川崎:和敬句の会、「汀俳句会」、ワンゲルOB会、職場OB会などで多忙。

これまで胃を切ったり、山から落ちたりしたその都度面倒を見てもらった奥様が何やら難しい病気に

罹り、相当動揺したらしい。漸く奥様の病状も落ち着いて同期会旅行に参加できた。

鈴木:会社は順調だが、あと1~2年で辞めるつもりだと。新宮へ実家の空気入れ替えとミカン狩りに行っ

ているようだ。アーチェリーの様には行かないだろうが、胡弓の腕も大分上達したようなので、来年

の同期会は鈴木の胡弓演奏をバックに中華料理もいいなという声もあった。

中村:兎も角毎日忙しい。OB会、町内会、児童交通指導、老人会・・・・・・。面倒見が良いのか、罪滅ぼし

かは知らないが、どうも地元では欠かせない人物のようだ。

選挙に出る準備と言う噂もある。中村町長、万歳!

1113   江田島 旧「海軍兵学校」訪問(海上自衛隊第1技術学校)(広島港~小用港)

 

新人の行進      

新人の行進

 

この場所は半沢直樹に出たらしい  

この場所は半沢直樹に出たらしい

 

裏の古鷹山に兵学校生徒は訓練で20分で山頂まで駆け上がるらしい。(とても無理だ)            

裏の古鷹山に兵学校生徒は訓練で20分で山頂まで駆け上がるらしい。(とても無理だ)

 

幹事は名物“海軍カレー”を昼食に準備をしてくれていた。建屋や学校内の雰囲気は当時のまま(当時を知らないが)残っている様だ。96歳の川淵の父親(海軍少佐、巡洋艦“三隈”に乗っていた)に「兵学校を訪問して来たよ」と写真を見せたら、最近弱っていた親父殿が急に大声で兵学校校歌を歌いだしたので驚いた。起きられない親父が立ち上がるのではないかと思った程だ。ちょうど我々が和敬塾で青春を謳歌していた (塾歌を歌っていた) 年齢の時に、親父たちは戦争に駆り立てられていたのだろうか。江田島は以前は人口

2万人であったが、今では9千人に減ったと我々と同じタクシーの運転手が話していた。生まれるよりも死ぬ人の方が多いのだとも。元気で旅行ができる皆さんがうらやましいよ。島には同期が10人だと。

 

江田島の戦の記憶石蕗の花  三井利忠

上は東郷平八郎、山本五十六などを祀った教育参考館(戦災資料講堂)前で整列した隊員。種々の写真や軍服、遺書などは以前靖国神社の資料館で感じたのと同じ思いを持ったのは私だけではないだろう。

勝海舟の書をはじめとして旧海軍の貴重な資料や特攻隊員の遺書などデリケートなものも数多く展示されているため その敬意・慰霊の意味を込めて 脱帽、撮影禁止とされていました。

 

提督の眼のひかり寒牡丹   三井利忠

 

「大講堂」。1917年(大正6年)に造られた

 

大砲(おおずつ)の輝き黒し冬茜    三井利忠

 

英国から購入したレンガを縦横に組み合わせた、幹部候補生学校庁舎の横の長さは140m以上ある。

 幹部候補生学校庁舎

江田島港(小用港)から呉港“大和ミュージアム”へ

 

幹事が配布した案内には 宮島9:00 広島港9:24 小用9:46とあった。三井夫人と川淵夫人が

船中で会話をしているのが聞こえてきた。

(“わざわざ 22分も小用時間をそんなに取らなくてもいいのにね。書くのもねえ!”)というものだった。私も最初はそう思ったが、小用とは「こよう」という港の名前であった。別の意味で確かに小用(しょうよう)という言葉もあるので、そこを間違えたのだった。・・・・こういう話を聞くのも楽しい旅だ。

呉港を降りたらそこがミュージアムだった。

 

”大和“の縮小版。

隣の潜水艦は中にも入れた。(これは1年前まで実際に稼働していたようだ。一見の価値あり。)

■大和ミュージアム見学の後、JR呉駅まで歩き

駅前で解散となった。

今回の西寮旅行は、広島駅集合(アナゴ飯)

平和公園~原爆資料館~宮島~厳島神社

海軍カレー~江田島兵学校―大和ミュージアム

JR~タクシー~高速船~観光船

色々と乗継、夜中まで楽しい会話をし、土産物屋を

覗き、各自帰路に着いた。筆者は広島の牡蠣を食べなかった為に、広島で皆に別れ、牡蠣の土手鍋と

焼牡蠣を食してから家路に着きました。

第15回は四国にするか、九州にするかはまだ不明ですが、ぜひそれまで健康に留意をし次回も沢山の友が振るって参加をされることを祈願して始末記を投了させて戴きます。

11月24日 川淵秀和

 

■三井会長一言

初めて訪れた宮島と江田島。感激しました。陸上交通では長時間かかる移動のはずですが、普段は温和な石井君が地元の友人に強談判(?)してくれたお蔭か、臨時便の船が仕立てられスムーズに時間が節約できました。改めて感謝申し上げます。

原爆資料館は45年振りですが、胸苦しくなる思いは一緒でした。

江田島から若くして戦火に散った若者の背筋を伸ばした遺書には思わずこみ上げるものがありました。

こうして集まれるのも幹事さんのお蔭です。石井・羽原の両幹事さんに参加者を代表して感謝申し上げます。

赤鳥居を寫し静もる冬の潮   三井利忠

■川崎事務局長一言

宮島は島全体が神籬(ひもろぎ)で、その末端に神社が立てられたのが厳島神社のようだ。従って俗世界から神域に入るには海からしかなく海に鳥居が立てられたらしい。11月は神無月と言われ、日本の全ての神様は出雲に集合していて、厳島神社の神も留守だったと思われるが、留守の神前に頼み事をしたご仁もいるかも。ちょっとふざけて一句

二拍手のあとの一礼神の留守   川崎清明

翌日、海軍兵学校跡に行った。当時日本の若者の最も優秀な者が海軍兵学校に行き、落第した者が東大・京大に行ったという。教育参考館には海軍兵学校の校長でもあった井上成美海軍大将の写真があった。徒に兵の供給を迫る中央の要請に井上校長は半端な者を送ることは出来ない。ここを卒業した者は後に必ず役に立つように厳しく鍛えるとして「野火焼いて尽くさず春風吹いてまた生ず」言って拒絶したという。

その一徹さを批判する者も多いが、正に教育者としての至言ではないか。

井上海軍大将と川淵兄のお父上である川淵少尉を最近見た鮟鱇の面構えに重ね合わせて失礼ながら一句

来世も鮟鱇(あんこう)たらむ面構え   川崎清明  

      

  完

上野松坂屋で店を構える塾友を訪ねて

上野松坂屋を訪れて

 

塾友の皆様、ゴールデンウィーク如何お過ごしでしょうか。
今回は、京都から、東京は上野松坂屋に店を構える塾友(H17北卒)を訪ねた記事をお届けします。
上野松坂屋の地下一階にそのお店はあります。
大相撲の懸賞金お披露の際に、お見かけになったことがあるかと思いますが、
日本の誇る練り物文化を牽引するお店です。

早速ですが、そのお店をご紹介します。

 

紀文食品 和敬塾

この爽やかな青年が演出するのは、永く愛された練り物食品。

口に含んだ瞬間、その何とも言えない香りと、
練りこまれた旬の食材が醸し出すフレーバーは、心に深く残る味わいです。

 

IMG_2916

お店を視察した後に、
勤務を終えた塾友と、御徒町駅前の居酒屋にて労いの宴席。

職場に来てくれた塾友に感謝の一杯。

 

IMG_2938

京都から駆けつけた同輩の笑顔も最高潮です。
関西支部の勢いを感じます。

 

また、関西支部の出席者から、塾友会費の納入お願いについてコメントがあり、

その話を契機に、今後の塾友会をどのように運営していくべきかという議論もできました。

 

和敬 同期

最後はお店を出たとこでパチリ。

 

和敬塾 高田大輔

偉大な先輩も至福の様相です。

以上、上野松坂屋探訪記でしたー^^

 

H16 北寮前期委員長より愛をこめて

西寮(50~53年卒)有志の会@椿山荘

去る平成25年2月9日、西寮有志の会の第二回会合が「椿山荘」で開催されました。

本会は、53年卒業生が1年生の時に一緒に寮生活を満喫した4年生までの方の集まりで、
最年長者である50年卒業生(現役組)の還暦のお祝いも兼ねていました。
出席者数は50年卒者11名、51年卒者17名、52年卒者9名、53年卒者9名、北は北海道から南は九州までの総勢46名となりました。

50年卒である当会会長の山本さんから「今日は、出席の連絡を頂いた方は全員出席。さすが和敬塾OBの会合ですね。」とのご挨拶で開会。
その後は、先輩・後輩を問わず旧交を温めました。
51年卒業の当会副会長の二橋さんが「2年後に再会しましょう。」と締めの言葉で閉会。

2次会は、懐かしの「弁慶」(写真)。

西寮有志の会2月9..

大半の方が、まだまだ元気と護国寺店まで徒歩にて集合。更に旧交を深めた1日でした。
当日、出席された方(敬称略)

50年卒業生 51年卒業生 52年卒業生 53年卒業生
安部俊明   海野千細  島田裕秀  井上良史
大倉 理    岡 俊一  清水聖士  加藤知紀
小野寺秀久   川野雅照  清水康司  北 義彦
島田元幸   神戸祐次  中西 顕   桑沢健一
高木幸三   久保潤二  成田真一  境 繁
内藤俊昭   小松賢三  早川信夫  東鬼英世
西山文隆   鈴木 明   松本 務   中山陽一
橋本栄夫   長田正樹  宮本武史  渡部智明
長谷川岳   西尾元秀  森山定幸  山際 宏
山内 豊    二橋千裕
山本浩介   藤田道夫
松川庄志
宮原洋一郎
八巻 稔
吉川日出夫
吉田典昭
稲葉一次

中城本家酒造の五代目蔵人、中城文吾氏(H14年北卒)を囲んで

中城本家酒造の五代目 蔵人、中城文吾さん(H14年 北卒)が上京されたので、
高田馬場にある名店「わっしょい」にて、H14~H17北卒が集まりました。

 

今回は、中城文吾さん自らが醸造された清酒を持参されました。
集まったみんなで美味しく頂きましたが、醸造した蔵人から直接頂くお酒ってのは緊張しますね。
酒を醸せるって、こう、なんか神事の一部のような気がして、、、。

 

ここで簡単に、中城本家酒造の紹介をさせて戴きます。

中城本家酒造は、明治31年(1898年)に中城孫太郎氏によって創業されました。
酒米は愛媛県産の米を使い、裏山から湧き出る水を原料としています。
中城文吾氏は、「日本酒の持つ旨さをできる限り多くの人に伝えたい」と考え、
より旨い日本酒造りに尽力されています。

 

平成21年全国新酒鑑評会では、見事に金賞を受賞されています。
http://www.nrib.go.jp/kan/h21by/h21by_p16.htm

 

愛媛県酒造協同組合による、中城本家酒造の紹介ページはこちらです。
http://www.ehime-syuzou.com/kuramoto/39.php

 

下の写真の、一番右に写っているのが中城文吾さんです。

 

 

さて、今回は、中城文吾さんの状況に合わせて会が開催されましたが、
平成12年から平成20年卒くらい(年次幅はアバウトです)の北寮卒塾友は、年に何度か
こちらの「わっしょい」に集まっています。

今回は20人弱が揃いましたが、年齢にすると30歳~35歳といったところでしょうか。
皆さん社会人経験も10年程度になり、結婚したり、子どもが産まれていたり、はたまた。
個人的に私を、ホッとさせてくれるのは、前橋から駆けつけてくれた同期の姿です。
そろそろ健康にも気を付けなければいけないというのに、学生時代と変わらない切り込み方で、
でかいピッチャーを後輩に強く勧めている彼を見ると、ここは北寮ラウンジかと錯覚してしまいそうです。

 

 

 

あ、どんな角度からも切り込んでいける前橋のスターは、先輩にも容赦なく切り込んでおりました。

 

 

 

和敬塾に在籍していた村上春樹のノーベル賞授賞はなりませんでしたが、
懐かしい仲間と楽しいひと時を過ごすことが出来ました。

もし、是非次回は連絡を回して欲しい塾友や、社会人10年目くらいの先輩と話をしてみたい塾生がいたら、
お気軽に「お問い合わせ」フォームから連絡をください。

それでは、また。

古閑 善丈(平成16、北)

平成18年北寮卒 同期会報告

平成18年北寮卒の同期も、和敬塾で初めて出会ってから早10年の月日が流れました。我々の同期では、首都圏在住者を中心に、時おり集まっております。

今年の7月には、静岡に住む同期のもとに遠征し、同期会が行われました。私は残念ながら、予定が合わず参加できませんでしたが、東京だけでなく、仙台から駆け付けた者もおり、久々の再会となった者もいたようです。

静岡祭り

また、都内で仕事をしていた仲間も、地元に戻ったり、転勤になったりと全国各地に散らばっており、そのたびに壮行会が開かれています。昨年3月に地元に戻った同期と、今年の年明けから海外転勤になった同期の、壮行会の写真を掲載させていただきます。同期だけでなく、先輩後輩も多数駆け付けてくれました。

キムケン追いコン

SAGA追いコン

私たち平成18年北寮卒の同期も、およそ半分が三十路となり、同期で集まって話をすると、仕事や結婚等で転換期を迎えていることも多いように思います。それぞれが自分の道を歩んでおりますが、
これからも定期的に集まって、近況報告や和敬での思い出話にも花を咲かせたいと思います。また、同期の集まりだけでなく、塾友会にて和敬の先輩・後輩とのつながりを広げていきたいと思っております。

平成18年北寮卒 山岸 哲平

平成17年北寮卒、同期会報告

我々、平成17年卒が和敬塾を出てからはや7年が経過しました。和敬塾に入寮したのも10年前になることが若干信じられませんが、時間の流れはかくも早いものかと痛感しております。
さて、今回、塾友会ホームページがリニューアルしましたので、早速、私の参加した同期会の模様を塾友の皆様にお伝えできればと思い、先日の同期会の様子を投稿させていただきます。

毎年コンスタントに同期会は行っており全員参加というわけにはいきませんが、卒寮者の人数(13名)・結婚した者や東京から遠方に住む者の人数に鑑みると、おおよそ4割~6割が常に出席しており、まずまずの出席率というところであります。

以下、写真に保存されている同期会の様子を掲載させていただきます。

こちらは平成22年10月に新宿で行われた同期会(6名参加)ですが、卒寮後5年が経ち初めての転勤・転職をするものを祝うために、東京勢を中心に集まりました。

こちらは昨年から企画していた今年の新年会がずれにずれ、2月に吉祥寺で行われた同期会(卒寮生5名参加)です。参加者の奥様や子どもも参加し、塾友だけでなく、家族ぐるみでの付き合いへと徐々に変化してまいりました。
我々も30歳前後となり、近況報告でも結婚に関する話が欠かせなくなっています。息子が生まれた際は、和敬塾に入塾させたいというのはみんな思っているのでしょうが、中には「寮長になりたい。」というものもおり、塾生時代にご迷惑ばかりおかけしていた私はあまり共感できません(笑)。

もちろん、この他にも海外転勤の壮行会等で首都圏在住者が数十人規模で集まったり、誰かの結婚式の後に飲んだりということが多々あることも、世間でいうアラサ―の我々の年齢ならではないでしょうか。

今回は平成17年北寮卒の同期会に焦点を当てて記事を書かせていただきましたが、本部・支部や同好会の集まりとは別に、同時期に住んでいた塾友での飲み会や全寮同期会等も行い報告できればと思います。
今回の塾友会本部は卒寮年があまり関係なく、各年度の力を結集して執務されているということですが、小・中規模な集まりも年次や住んでいた寮に捉われず開催していくことで塾友の縦・横のつながりをより強靭なものにし、
ホームカミングを中心とした塾友会をより一層盛大なものに出来ればと思い、掲載させていただきます。また、HPがリニューアルしたことを機に皆様の近況報告等、WEBを一つのツールとして今まで以上に活発な交流が為されることを期待しております。

平成17年北寮卒 盤若 智久