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日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その2~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その2

 

江戸時代に於ける国語改革思想

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

■新井白石とカナモジ論の萌芽

 

日本語表記を巡る議論や改革運動が国を挙げて本格的に行われるようになったのは日本が近代国家としての歩みを始めた明治時代以降の事であったが、近代国家移行への準備期間でもあった江戸時代に於いても、既に幾人かの知識人達の間では国語改良に関する私見が述べられ始めていた。

 

新井白石といえば江戸時代中期を代表する政治家にて当代随一の大学者として有名だが、1708年、日本にキリスト教布教のために密入国を果たしたイタリア人宣教師シドッチに対する尋問により得られた西洋社会に関する知見をまとめた書『西洋紀聞』の中で、表音文字であるアルファベットの便に注目している。西洋ではわずか二十数字程度の文字さえ理解すれば全ての用に応えられるのに対し、我が日本では幾万もの漢字を覚えねばならず甚だ不便である、と。

「其字母、僅に二十余字、一切の音を貫けリ。文省き、義広くして、其妙天下に遺音なし、其説に、漢の文字万有余、強識の人にあらずしては、暗記すべからず。しかれども、猶を声ありて、字なきあり。さらばまた多しといへども尽さざる所あり。徒に其心力を費すのみといふ。」

白石はこう言うけれども、アルファベットのみを知っているだけで欧米語は正確に表記できるわけでは無論ない。アルファベットは一字一字に意味を持たない表音文字なので、それとは別に各単語の綴りの習熟を要する事は、受験勉強で英単語を豆単片手に必死で暗記した経験をお持ちに皆様なら容易に理解できるであろう。実際、杉田玄白らによってオランダの医学書ターヘル・アナトミアが『解体新書』として1771年に邦訳が遂げられた際も、翻訳を担当した前野良沢は、作業開始当初は基本的なアルファベット程度しか知らず、単語の綴りも意味も理解できなかったために非常な苦労を強いられたという話は有名である。(その後前野良沢は「蘭化」(オランダ語のバケモノ)と称するほどにオランダ語に習熟したが。)

 

しかし、出版や印刷についてはどうであろうか。文書を大量に印刷・発行するには活版印刷の技術が不可欠だったが、漢語の場合は数万に及ぶ漢字の版を用意する必要があるのに対し、アルファベットであれば大文字小文字や数字、記号等を含めても漢語と比べても非常に少ない手間で事足りる。子供達に漢字の読み書きを覚えさせる労力も無視できない。新井白石の着目した漢字の不便は、彼の没後百数十年を経て明治期に突入した後に本格的な実感となって日本人にのしかかる事となるのであった。

 

■漢字すなわわち“からごころ” 漢字批判と近代ナショナリズムの萌芽

 

次に注目すべきは江戸中期に活躍した国学者の賀茂真淵である。古事記や万葉集など、日本人としての精神的源流を探る国学者であった賀茂真淵にとって、仏教や儒教など外来の思想とともに日本に流入してきた漢字とはいかなる意味を持つ存在であったのか。

『国意考』(1769年)に於いて彼は日本の古来の神道思想の純粋さを汚す存在として漢字を批判し、漢字をありがたがる儒学者らも批判した。これは朱子学など儒教思想を統治の中核に据えた江戸幕府に対する批判とも捉えかねないものあった為に少なからず論争の火種となる一方、後の明治維新から近代日本のナショナリズムに連なる国家思想の原点になったとも言える。

賀茂真淵の弟子であり最も著名な国学者となった本居宣長は、儒教や仏教などの外来思想を日本人本来の精神的あり方を歪めるものとして“からごころ”と呼び批判したが、このからごころという言葉、漢字で書けば漢意となる。

一般的には、「漢字を廃止してしまえ。」などと言う人いると、「あいつは日本の麗しい伝統を否定する西洋かぶれの非国民だ。」などと思われることが多いかもしれないが、こうやって見てみると、むしろ漢字の批判や否定は日本本来の精神的伝統(?)なるものの復活を唱える愛国者の側に属する見解であったのだと言えなくもない

賀茂真淵は、国意考に於いて漢字はとにっかう文字数ばかりいたずらに多く中には殆ど使わないような覚えるだけ無駄なものも多い、と読みも書きも無限に増殖していく漢字の持つカオスさを批判する一方で、新井白石と同じく表音文字に対する期待をのぞかせてもいる。

「然るを天竺には、五十字もて、五千余巻の仏の語を書伝へたり。ただ五十の字をだに正しければ、古しへ今と限りなき詞もしられれ伝へられ侍るるや。」

 

賀茂真淵の中にも見られたカナモジとナショナリズムを巡る問題は、その二百年あまりの後に悲惨な形で顕在化する事となる。

 

 

 

さて、そして時代はいよいよ幕末へ。もはや西洋列強との国力・科学力の差は如何ともし難いものとなり鎖国体制は終わりを告げ、西洋からは最新の技術や思想がアルファベットの洪水と共に大挙して日本に押し寄せた。

賀茂真淵らに始まる国学の思想はやがて天皇を中心とした律令国家の復活への期待となり、それは幕末に於ける西洋近代思想との出会いを経て、天皇を国の元首に置く近代国家の確立の原動力ともなって行く。かくして700年に及んだ武士の時代は終りを迎え、日本は明治維新とともに近代国家としての歩みを始めることとなるのであった。

 

それはまた、欧米との対峙を強いられた当時の日本人達にとって、「日本語をどのように近代世界に適合させていくか」という苦闘の歴史の本格的な始まりを示すものでもあった。

(続きます)

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