FXってなんなの
  1. HOME
  2. >
  3. 塾友だより
  4. >
  5. 日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その5~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その5~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その5

 

明治前半期の欧化主義と日本語

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

国家発展のためなら日本語の廃止もやむなし?

 

 西南戦争を起こし、明治天皇に背いた反逆者として死んでなお、人々の西郷隆盛に対する人気は失われることは無く、死後に名誉は回復され上野公園に銅像も建つまでに至っているが、これは外国人などから見ればかなり奇妙な光景に映るらしい。先日、晴れて日本に帰化した日本文学研究家のドナルド・キーン博士も「西郷は何故日本人に人気なのか私には理解の及ばない部分がある」というような事を述べていたほどである。

昔から日本人は敗北者の肩を持ちたがる判官贔屓の心性が働いている、などいろいろ理由は考えられるが、一つ個人的に思うところは、やはり明治維新以降、急速に社会制度も文化も西洋化していこうとする日本に対する、人々の潜在的な拒否感が西郷人気という形につながっている部分はあるのではないか。

「西洋に植民地にされないためには国を西洋流に近代化するしかない」と頭では分かっていても、それでも自分たちの慣れ親しんだ文化や伝統が急進的に否定されていくのは寂しいものであっただろう。国を近代化する(≒西洋化する)という事は、程度の差はあれ自らの過去を否定する事でもあったのだ。

 

西南戦争から時代はやや遡るが、明治6年、アメリカ留学より帰国した薩摩藩士の(もり)有礼(ありのり)

を中心に、日本初の啓蒙学術団体である明六社が発足した。既に度々見てきた福沢諭吉も主要メンバーの一人であった。

明六社は西洋流の啓蒙思想に基づき、人々の知的水準を向上させ、日本を西洋同等の優れた文明国へと発展させるべく、明六雑誌を発刊。そこでは科学・哲学・社会学・教育学などなど広範な話題が扱われ、活発な誌上論争も行われが、それらのテーマの一つに「日本語をどうするか」というものも含まれていたのである。

 

以前にも紹介した通り明六社のメンバーであった福沢諭吉は将来的に漢字は廃止したほうが良いという漢字制限(廃止)論者であったが、より過激な意見も登場した。

メンバーの一人であった西周(にしあまね)は、漢字制限どころか漢字かな文字全てを廃止し、日本語をアルファベットで表記するようにすべしと主張した。アルファベットの方が漢字やかな文字より字数が圧倒的に少なく学習が容易であり、アルファベットに慣れることにより西洋智識の移入もよりスムーズにできるという考えであり、後のローマ字運動の萌芽であったとも言える。

こうも過激な主張を展開した西周だが、一方ではサイエンスに科学という訳語を用意し、エンサイクロペディアには百学連環という実に美しい漢語を用いているところが何とも皮肉である。

 

だが、更に過激な主張を秘めていたのは発起人の森有礼その人であった。森はアメリカに留学中の明治5年、親交のあったイエール大学の言語学教授ウイリアム・ドワイト・ホイットニーに宛てた書簡の中で、「日本語を廃止し、英語を日本の国語とするべきではないか」という主張を述べている。

確かに、日本人全員が英語をマスターすれば、英米の最先端文明の移入はよりスムーズになるであろう。現在でも、世界で活躍できるようにと子供をアメリカンスクールに通わせるような事例はあるが、それを国単位でやろうという発想である。しかしこれには当のホイットニー教授もさすがに難色を示し、

 

「一国の文化の発達は、必ずその国語に依らなければなりませぬ。さもないと、長年の教育を受けられない多数の者は、ただ外国語を学ぶために年月を費やして、大切な知識を得るまでに進むことが出来ませぬ。」

 

と、やんわり森を諭す有り様であったという。また、森とも関わりがあり日本の教育制度近代化に携わったアメリカ人の教育家モルレーも、日本の伝統を顧みず単純に西洋の制度を移植することには反対し、日本人の伝統的美徳を活かした教育制度の確立を提言した。

日本の近代化にあたっては、西洋文明の摂取に貪欲な日本人の方がより急進的であり、かえって西洋人の助言者たちの方が「まぁまぁそんなに慌てなさんな」と保守的な態度を示すことはそう珍しくはなかったようである。

 

日本を世界に劣らぬ文明国にするという明六社の啓蒙思想家たちの信念の高潔さを疑うものではないが、それでも彼らの主張は時として上述のように極端に急進的で一般大衆の感覚からは乖離した部分があったようで、そのため森有礼は“明六の幽霊(有礼)”と人々から皮肉られもしたが、彼は明治政府のもとで教育行政に携わり、後年日本最初の文部大臣となっている。

 

■進化・普遍の帰結としての西洋文明

 

 それにしても、この人達はどうしてこのような極論に走ったのだろうか。確かに国の将来を考えるなら西洋文明を受け入れることは重要だっただろうし、そのために日本語を時代に応じて変えていかなければならないというのも分かる。しかし漢字に留まらず、かな文字、ひいては日本語そのものを廃止してしまおうという意見には、こんにちの我々からすれば非常に極端な意見に思われるだろう。そうまでしてまで日本は西洋化される必要はあったのか?

 

あった。日本は西洋化されるべきだ。なぜなら、西洋こそは世界の全ての文明国家の目指すべき普遍的目標だからだ。明治初期、西洋に対し無邪気な憧れを抱いていた若き知識人達の中には、そう考えるものは少なくなかった。

 

前回終盤に紹介した徳富蘇峰(本名:徳富猪一郎)。先日最終回を迎えた2013年の大河ドラマ『八重の桜』にも後半の重要人物として登場していたので、ご存知の方もおられることだろう。熊本や同志社で洋学を学んだ後、言論人を志し後に戦前日本を代表する大ジャーナリストとなった人物である。

徳富はジャーナリストらしく時代(現実)に合わせる形でその思想を大きく変えていった人物だが、初期の明治20年代前半頃までは概ね庶民の生活向上を唱える穏健な平民主義、そして強烈な西洋文明の信奉者だった。彼は同志たちと民友社を興し、海外雑誌を参考に出版された雑誌「国民之友」は非常に進歩主義的で、日本は全体的に西洋化されるべきだと説き、当時の志ある若者たちに大きな影響を与えた。

幕末期に盛んに唱えられた言葉に“和魂洋才”という言葉があった。これは東洋日本の道徳(和魂)と西洋の学芸(洋才)を折衷しようという思想で、明治政府の大まかな路線にも通じるものがあった。しかし徳富はこの考え方に異を唱える。西洋の学芸と西洋の思想は深く結びついており、どちらか一方のみを移植することなどは出来ない。もし西洋の学芸を日本に根付かせようとするならば、日本も思想や文化のレベルで全面的に西洋化する以外に他はないのだ…。

 

「我ガ社会ハ既ニ生活的、政治的、学問等一トシテ泰西(西洋)ノ新主義ヲ輸入セザルハナシ。(しこう)シテ今ヤ我ガ社会ハ既ニ泰西的社会ニナラント欲ス。而シテ独リ此社会ヲ支配スル所ノ泰西的ノ道義法ノミ、(これ)ヲ輸入セザルハ(そもそ)モ何ゾヤ。彼ノ体面法コソ智識の進歩ト独立スルヲ得可キモノナリ。」(1885年 「新日本之青年」)

 

 1885年、全面的な日本の西洋化を唱えた徳富の論文の一節だが、社会や進歩といった新漢語が使用されている点も見逃せない。徳富自身は国語国字問題については目立った主張を述べてはいなかったようだが、彼自身英語に流暢で上のように西洋化への意思を表明していた以上、日本語や日本の伝統文化を守れと主張する守旧派に対しては当然に冷淡であった。

 

 

森有礼の事例でも述べたように西洋化にはやる日本に対し、当の西洋人達の側には日本が西洋化して“普通の国”になってしまうことを惜しむものは絶えなかった。実際、当時日本を訪れた西洋人達の中には人情や自然美、そして伝統芸術の巧みさに魅せられるものも多かったのである。しかし徳富ら当時の日本の新世代の知識人達は、日本の伝統文化に誇りを見出すことは出来なかった。日本にはゲーテもシェイクスピアもいなかった。九谷焼の焼き物や狩野派の絵画、日光の東照宮のような伝統美にも何の価値もない。それらは封建的で怠惰な旧時代の支配階級のためのものに過ぎず、平民が主役の新時代にあたっては価値をなさないものだ…。当時日本に滞在中であったイギリス人のバジル・ボール・チェンバレンによれば「教養ある日本人は、自分たちの過去と手を切ってしまっている。」という有り様であった。

 

社会の進歩とは一直線であり、その先には西洋的な社会が待っている。

 

徳富蘇峰ら民友社の人々と思想を同じくした田口卯吉(1855~1905という人は、これらの欧化主義をよりいっそう徹底させた思想を持っていた。当時、イギリスのエコノミスト誌に触発されて日本最初期の経済専門誌「東京経済雑誌」を主宰していた田口は、進歩について更に(今日の目から見れば)極端な見解を表明した。

(余談だが、“経済”は明治以降にエコノミーの訳語として使用されるようになった新漢語だが、その語源は古く古代中国の東晋時代の書物に登場する經世濟民という言葉が元になっている。)

 

日本が西洋化することは何ら恥ずべきことではない。なぜならいかなる日本の文物よりも西洋のそれのほうが優れているからだ。人間は地域性や環境によってこれまでそれぞれに違う文明を発達させてきたが、同じ人間である以上その違いは本質的には存在しない。そして西洋文明こそが、世界中の全人類が目標とすべき、進歩の先の普遍的価値そのものだ。こうして全世界が等しく西洋化されたあかつきには、文化的な差異は消滅し、国境も意味を失い、戦争は時代遅れとなるであろう……。

 

田口卯吉は徳富蘇峰と同じくクリスチャンであったが、聖書に登場する有名なバベルの塔のエピソードも念頭に置かれていたのかもしれない。(全世界が西洋化した時、恐らく世界中の人々は英語などをベースにした共通言語を話すに違いないであろう。)

たしかに21世紀の現在、世界中のほとんどの国々は西洋的な社会機構を備えるに至ったし、西洋由来の科学技術に基づく情報化の進展もあった。英語は世界中の知識人たちにとって必須の教養ともなった。しかし田口があと半世紀長生きし二度の世界大戦を経験したならばどう思ったことだろうか?現在から見れば、悪い意味で地球市民的夢想に満ちた甘すぎる見通しだが、当時とにかく日本人はそれほどまでに西洋に過剰な憧憬を抱いていたらしい。(その点に関しては現代も笑えないところがある。)

 

進歩や進化、これらは共に明治時代に登場した新漢語である。それまで漢字に代表される旧時代の学問がいにしえの古典的世界を理想としたのに対し、明治以降の進歩思想は未来にバラ色の理想を夢見た。そして進歩とはとりもなおさず西洋化と同義であった。

 

教養と志を備える新時代の若者たちの多くがこういった意見に同調していた明治初期であったから、日本語を変えるとか漢字をやめるとか日本語をなくすとか、それら意見が彼らの間においては極論とはみなされなかったのも当たり前であったのかもしれない。進歩思想に従う限り、漢字は古代の象形文字の影響を色濃く残した鈍重で古臭い遺物であり、軽くて進歩的な表音文字がより進んだ文字という事になるからである。果たして漢字の、日本語の運命や如何に?

 

(続きます)

 

 

 

 

 

 

ページのトップへ戻る