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日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その6~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その6

 

明治前半期の欧化主義と日本語(2)

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

明治日本は進歩的な西洋文明に比べれば未だ開かぬ後進国である以上、日本は社会・文化、そして言語に至るまで全てにおいて西洋を手本とし進歩発展しなければならぬ…。

 

現在に至るまでなお生き続けるこれら西洋(≒近代世界)信仰が明治初期に日本人達の間で大いに受け入れられたことは既に見てきた通りであるが、今回は「日本語表記の近代史」という本記事の趣旨からはやや外れる部分もあるが、それら進歩思想の日本における受容の背景の一端について触れてみたいと思う。

 

 

歴史教育の観点から ~「パーレー(ばん)国史(こくし)」と日本人~

 

キリスト教世界であった西洋においては、歴史叙述もまた

 

天地創造→アダムとイヴ→(中略)→キリスト降臨→(中略)→最後の審判→至福千年

 

というような新旧聖書の世界観が色濃く反映されたものであった。こういったキリスト教的世界観に基づく世界史叙述をUniversal(ユニバーサル) History(ヒストリー)(普遍史)と呼ぶ。

普遍史はギリシャ・ローマの時代に成立し中世期には西洋世界では広く受け入れられたが、その後のルネサンスや大航海時代、啓蒙主義の時代を経て科学と発見の世紀であった19世紀当時には、既に過去の時代の遺物となっていた。地層を調べれば見たこともない変な生き物の化石が大量に出土、海の向こうには(聖書に一言も記述もない)新大陸アメリカがあり、そもそも地質学を研究すればするほど地球の歴史は聖書の記述(せいぜい数千年)よりよほど古いらしい事が裏付けられ、そもそもヒトは神の似姿ではなくサルの仲間から進化したのではないか…、もはや西洋人も信心深い聖職者や善良で保守的な庶民などを別にすれば、世界史=聖書(普遍史)だと信じるものはほとんどいなくなったのである。

科学や歴史学などのアカデミズムの世界からはほぼ見捨てられた普遍史的な世界観は、一方で一般庶民向けの歴史読み物や初等教育の世界ではまだ命脈を保っていた。そして明治初期の日本に持ち込まれた世界史の教科書が、まさにその普遍史であった。

 

 

明治初期の日本の教育事情は「翻訳教科書時代」と呼ばれるほど教材を欧米に頼りっきりであり、世界史の教科書もまた米国製のパーレー萬国史が翻訳して使用された。(ここではUniversal Historyは「普遍史」ではなく「万国史」と翻訳されている。)

パーレー萬国史を日本に最初に持ち込んだのは本稿おなじみの福沢諭吉で、翻訳作業に当たったのは後に日本最初の近代的国語辞典「言海」を著した洋学者の大槻文彦であった。翻訳作業の後に明治7年に「萬国史略」として教育現場に投入された本書は、翻訳の課程で神による天地創造やアダムとイヴ、イエス・キリストなどのキリスト教的な記述は削除されたが、(キリスト教化された)西洋こそが文明国であり、それ以外の世界は野蛮国、未開国、やや文明化された半文明国であるという今日の目から見たら極めて西洋中心主義的な世界認識はそっくり継承されている。わざわざアメリカ製の教科書を使用するのも、それまで日本には存在しなかった“世界史”の概念を教育に導入する上でやむをえぬことではあったが、この進歩する西洋と停滞する東洋という構図、そして我らが日本もまた停滞する東洋の半文明国に過ぎないという認識が教育を通じて明治初期の学生たちに共有されたわけだ。しかし日本人は怒るどころかそんな世界観をあっさりと受け入れ、むしろ「自分たちも早く西洋のような文明国にならねば」とますます積極的に欧化主義に傾くこととなった。その辺の事情は前回にも触れたとおりである。

そして後年、明治初期のこれら西洋中心主義への潜在的な反発は、より極端な形で表出することにもなる。

 

萬国史略 http://www.library-noda.jp/homepage/digilib../meiji/018.html

 

科学の観点から ~「進化論」と日本人~

 

欧米の書物の翻訳作業と並び、明治初期に国を挙げて行われた日本近代化の取り組みの一つに、外国人の指導者・助言者の各方面に渡る積極的登用であった。いわゆるお雇い外国人である。

イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシアなどの欧米列強諸国からこれまた多方面(政治経済、法制、哲学芸術、科学、医学、軍事、教育などなど)に渡る専門家が次々と明治政府の招聘を受ける形で来日した。大学で教鞭をとる者、技術者として現場を指揮する者、政府の顧問として政策への助言を行う者、明治期に於ける彼らお雇い外国人の果たした役割は非常に大きいものがあったのは周知の通りである。

そんなお雇い外国人たちの中でもこんにち最もよく知られる人物の一人に、米国出身の生物学者エドワード・S・モースがいる。東京帝国大学で生物学の講義を持つ傍ら、大森貝塚の発見・発掘調査を行い考古学や民俗学への研究の端緒も開くなど、生涯に渡り日本と深い関わりを持った人物であった。晩年の回想記「日本その日その日」は明治期日本の姿を今に伝える貴重な資料ともなっている。

 

多方面に渡る活動を通じて日本近代史に深い関わりを結んだモースであったが、教育者として随一の功績は、やはり当時欧米の最新学説であった進化論を日本に初めて紹介したことであろう。発足間もない東京帝国大学に於けるモースの講義が、我が国における進化論普及の端緒となった。

19世紀後半、イギリスの博物学者ダーウィンらによって提唱された進化論は、単なる生物学の枠を超え社会観・人間観そのものを揺さぶる大論争をヨーロッパにもたらした。従来のキリスト教的自然観においては自然も人間も等しく神の被造物であり、特に人間は最も神に近い存在であったところが、進化論に従う限り自然は神の御心ではなく生物同士の厳しい生存競争によって支配されており、人間もまたそんな自然の一部に過ぎずその祖先はサルと同じ……、先に紹介した普遍史の世界観を決定的に崩壊させたのも進化論だった。

 

生物が厳しい静音競争の中で個々の能力を絶えず変化させながら進化してきたという考えは、人類が絶えまない争いの歴史の中で文明を発展させてきたという歴史の原理の説明にも応用が効くのでは無いか?

生物学の原理である進化論を安易に社会学や歴史学に当てはめようとするこれら社会ダーウィニズムの発想は、こんにちでは正当な根拠を持たない単なるイデオロギーであるとされている。この方面における最悪の事例は、優れた人種は劣った人種を滅ぼしても構わないとし、実際に“劣等人種”とされたユダヤ人の絶滅をはかったナチスドイツのケースだろう。

しかし19世紀の当時においては最新の科学的学説でもあった進化論は洋の東西を問わず多くの先進的知識人に影響を与え続け、文明や文化の発展を語る上での重要なツールとして流用された。

進化論はキリスト教国家ではなかった明治日本では割とすんなりと受け入れられた。そして折からの欧化主義と相乗効果をなしながら、日本もまた西洋のような文明国に“進化”せねばならぬという社会思想につながっていったことは最早言うまでもない。19世紀の世界は強い国が弱い国を武力で支配する道理なき帝国主義の時代でもあったが、進化論の適者生存の考えを優勢劣敗、強者による弱者の支配の肯定と解釈する事もあながち突飛な発想とはされず、富国強兵を旨とする明治日本のドクトリンと一致する側面があった事も言うまでもない。

この優勢劣敗の発想は軍隊の強さとか領土の広さといった単純な国力の話にとどまらず、文化や言語の分野にも及ぶ。前回紹介したように徳富蘇峰や田口卯吉ら民友社系の言論人たちは日本文化に対する西洋文化の優越を信じていたし、日本語という言語もまたも社会の進化とあわせて新しい形に進化するべきだという発想にも繋がっていった。

直接的な関係で言えば、モースの進化論講義を聴講していた地球物理学者の田中(たなか)(だて)(あい)(きつ)は、日本語表記改革運動にも深く関わり、「日本語の表記にはローマ字を用いるべし」という熱心なローマ字国字論者となった。また、明治後半から大正期にかけて進化論の普及に貢献した生物学者の丘浅(おかあさ)次郎(じろう)も、社会進化と言語の関係に深い関心を抱き世界共通言語を志向したエスペラント語運動に関わった最初の日本人となった。(丘浅次郎についてはいずれまた紹介したい。)

 

 

今思うとキリスト教的世界観が底流にあるパーレー萬国史とそのキリスト教を否定する内容を孕んだ進化論がほぼ同時に日本に移入されたというのもなかなかに皮肉な話である。しかし万国史の持つ西洋中心的世界観、そして進化論に付随する形で受け入れられた社会進化論、これらは明治初期の欧化主義のいわば両輪であり、日本語の近代化という本稿のメインテーマにも影に日向に影響を与える事となるのであった。

(続きます)

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