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スペインにて

北S42卒 南山大学法学部 黒田清彦

この文章がコリー新聞に掲載される頃には、私は帰国しているであろうが、年頭に塾友会の松本事務局長から御依頼を頂いたので、昨年4月から研究休暇で来ているマドリーでの見聞を思いつくまま記してみた(2010年1月15日記)。

歴史の記憶に関する法律

1975年の独裁者フランコ死去後の1978年憲法に象徴されるスペインの民主化は、内戦(1936~39年)およびフランコ時代の歴史的検証を促した。その流れを受けて、2004年から政権の座にあるサパテロPSOE(スペイン社会主義労働者党)政府は、
2000年に設立されたARMH(歴史の記憶回復協会)などの民間団体と協力して、内戦および独裁時代に迫害を受けた人たちの復権・補償を目的とする「歴史の記憶に関する法律」を2007年12月に成立させた。同法に基づき、
独裁政権により拉致・銃殺されて無造作に埋め捨てられた数多く(上述協会のシルバ会長によれば3万体)の遺体の捜索が進められ、約1,300体が既に発掘されている(2006年以降毎年日本から発掘作業に参加していたアラカワ・トオル氏は、当地の新聞によれば昨年10月に新潟で死去)。

他方、政府・地方自治体はフランコ主義象徴物の撤去を推進、同法成立前の2003年にはマドリー最後のフランコ騎馬像が撤去されたし、昨年6月にはマドリー市議会が「名誉市長」・「金メダル」などフランコの栄誉剥奪決議を採択、
7月にはバルセローナにあるフランコ主義の紋章プレート336個の市予算による撤去が開始されるなどしている。

男女平等・妊娠中絶・同性婚

政府は女性尊重の施策に積極的である。「歴史の記憶に関する法律」と同じ2007年に成立した男女平等法では、職場などにおける均衡の目安として、男女の一方が40~60%という数字を挙げている。
ちなみに、政府閣僚は、サパテロ首相を含む18名の閣僚のうち半数が女性、3名の副総理大臣のうち2名や国防大臣も女性である。2008年には、労働・社会省(現労働・移民省)から「平等省」が独立して、
初代(現)大臣(女性)が31歳という史上最年少で迎えられたことが話題となった。イタリアのベルルスコーニ首相が「スペイン政府はピンクすぎる」と発言して物議をかもしたことを御記憶の方もいらっしゃるだろう。
大学でも女性教員が多い。一部の私学は別として、一説には公立(スペインの大学は殆どが自治州立)大学では約6割が女性とか。日常生活では、市役所の力仕事(大きなコンテナ相手)であるゴミ収集に従事する女性も珍しくない。
民間でも例えば会社の経営機構の構成にも及ぶことが男女平等法で規定されているし、証券取引委員会のコーポレートガバナンス統一コード(2008年から上場会社に採用義務付け)では取締役会に女性取締役を含めるべきことを勧告している。

女性の権利との関係では、妊娠中絶法も一つのトピック。かつて刑事罰の対象であった妊娠中絶は、1973年に、母体の危険および胎児の重大な心神障害の場合に法定の厳格な要件の下で合法化され、
2000年には強姦による場合も追加されたのであるが、昨年3月からは、政府主導で16歳以上の未成年者(スペインの成年は18歳)の中絶自由化が公的議論の対象となった。激しい論争の末、
受胎14週目までであれば親の同意または許可がない未成年者でも専門医への中絶依頼が可能であるとする法案が、昨年12月に衆議院で可決された。

ついでながら、2005年の民法改正によって、スペインはヨーロッパでも数少ない同性婚完全容認国となった(同性婚を認める国は多いが、法的に男女の夫婦と全く同じ扱いをする国は少ない)。

グルメ

何度か訪れたスペイン北部のバスク地方はグルメの伝統があり、フランコ(1975年没:上述)以降これが全国的に発展していった「新バスク料理」、および1980年代に始まった驚きや意外性を標榜する
(その意味で日本の食材もよく使われ、ワサビ・ショウユ・ワカメ・コンブ・シイタケはもとよりウマミといった日本語も知られている)エル・ブジに代表される「地中海型食文化」がスペイン・グルメの二大特徴であろう。
北は大西洋に含まれるカンタブリア海、南と東は地中海、西は「リアス」式海岸という言葉の発祥地ガリシアを含む大西洋、と海に囲まれたこの国の海産物の豊富さ、そして各地の多様性から産出される豊かな農牧食材の数々。
各店や料理人が複数素材から独自に考案したピンチョス(一口つまみ料理)はお勧め品、いくつかのバー(立ち飲み屋)やレストランで、絶妙な味に「ウーン」と心底うなることもしばしばである。さらに、最近東京丸の内に出店したとの噂を聞いて訪れたスペイン
王室御用達のチョコ専門店「カカオ・サンパカ」のマドリー店では、濃厚なホット・チョコドリンクの高貴な味に、甘党でもない私が虜になってしまった。初の海外店を日本に設けたチューロス(揚げドーナツ)とチョコドリンクの老舗(創業百年)「サン・ヒネス」は、
いつ行っても行列である。ちなみに、後者が出店した商業施設「ららぽーと新三郷」は、北寮平成17年卒の黒田英佑(筆者の息子)が三井不動産のスタッフとして関わったこともあって、元旦に日本店の写真を持参して親子で訪れたところ、特別の歓待を受けたことも(親馬鹿ながら)記しておこう。

ワインについては、リオハ・ワイナリー・ツアーで随分学ばせてもらったが、まだ蘊蓄を傾けるレベルにはない。しかし、決してフランス他の諸国に引けを取らない名品揃いであることは間違いない。
一流デパートの広いワインコーナーの一隅にそこだけ鍵がかけられた70~200ユーロのベガ・シシリア社製の高級ワインは、絶品以外の何物でもない。一度だけ味わう機会があったが、日本で購入すれば1本3~5万円くらいであろうか
(先日、別メーカーではあったが、1本1,000ユーロ近くのスペイン産赤ワインが厳重に保管されているのを見た)。もっとも、我が家の毎日の食卓に供されるのは、当初は1本1~3ユーロ、最近では舌が肥えたと言っても4~12ユーロ(500~1,500円)程度のワインであるが・・・。

懐かしい人々

私の長期滞在は、1970年代・1980年代に続き3度目であるが、懐かしい人々の変わらぬホスピタリテイに感謝するばかりである。70年代に私が子守をしたヤンチャ坊主ホアキンが地方の大学助教授となって、
当時の彼より年上の子供二人を連れ奥さん共々遠方から訪ねてくれた。私どももクリスマス休暇に彼らの住むクエンカという町を訪れ、今は隠居生活を送っている御両親とも38年ぶりの再会を果たした。80年代に客員として過ごした大学の同僚たちは私の個人研究室を用意、
開業弁護士としてあるいは地方の大学で活躍するかつての仲間も行く先々で歓待してくれる。当時息子たちが通った幼稚園の先生ベテイは主として妻のスペイン語原稿チェック役である。90年代に日本へ留学して私が指導した若者サルバドールは今や法学博士の弁護士として活躍、
現住居を決めるに当たり家族ぐるみで献身的に動いてくれたし、日本におけるとは逆に今度は私が教えを請うことが多く、法律論文も添削してもらっている。

この他、昨夏ヨーロッパ議会議員となった憲法学者ホアン・フェルナンドは、スペイン筆頭候補として多忙な選挙戦直後にもかかわらず、時間を作って私を夕食に招待してくれ、拙宅(名古屋)でのバーベキュー・名古屋(当時:現在は愛知県)
弁護士会や信州の山小屋での法律談義を思い出しながら語り合い、彼が司法大臣のときに起草された上記「歴史の記憶に関する法律」に関する私の質問には、後日ストラスブルグから起草当事者として詳細なコメントを寄せてくれた。
牛追い祭りで有名なパンプロ?ナ(山口市の姉妹都市)で起業、奇抜でユーモラスなデザインのTシャツや文房具・小物類を売り出して世界的に有名になったバスク人ミケル(ククスムス社)は、訪れた私ども夫婦に自分の広いマンションを数日間貸切の飲み放題・食べ放題で使わせてくれ、
マンションの外でも歓待してくれた。日本人顔負けの日本語を操るサラゴサ(首都マドリーとバルセローナとの中間にある)の弁護士パコは、自分も教えるサラゴサ大学で私に招待講演を手配、自宅での宿泊を含め家族そろって私どもの面倒を見てくれた。このように、スペイン人の熱い友情の例は枚挙に暇がない。

またスペインに住みたい

官僚主義の非効率や不況(失業率20%)による治安の悪化というマイナス面は否定できないが、スペインは、かつてのEU優等生としての誇りを取り戻すべく、官民挙げて努力をしている。今年前半はEU議長国でもある。
ヨーロッパの一員としての活躍が大いに期待されるとともに、私個人は、先ほど御紹介した質の高い(しかし値段は実にリーズナブルな)グルメの数々の他、以前と比べものにならない交通網の発達やエコの進展(風力発電が全エネルギーの14%近くを占める導入量はUSAに次いで世界第二の先進国)
などの長所を伸ばして欲しいし、家族・友人の輪(和)を重んじる温かい伝統が変わらぬことを願っている。可能ならば、退職後も長期滞在の望みが叶えば、と思うこの頃である。

*以下にアクセスすれば、さらに詳しい情報が得られます。
http://derecho-hispanicojp.seesaa.net/

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