2017年 和敬ニューイヤーコンサート開催しました

2017年1月14日、和敬ニューイヤーコンサートが開催されました。

今回で第4回目となり、王子ホールでの開催となりました。

 

首都圏支部から荒谷さんが応援に駆けつけてくださいました。

 

ロビーにも溢れかえるたくさんのお客様に来ていただき、盛況な演奏会となりました。

 

 

これからもよろしくお願いします。

 

首都圏支部
幹事長
古閑 善丈(H16北)

2016年 北悠会が今年も開催されました

今年も楽しく北悠会が開催されました。

その一幕をご紹介します。

また来年、元気にお会いしましょう。

北悠会いつもお元気な青木さんと中村さん、手羽先食べてる福田さん、そして山岸さん(青木さん横、弁護士)

北悠会

ダーキーさんと談笑する玉山さん、高村さん、堤さん

北悠会

宮下さんにご挨拶する齊藤さんと、またもや手羽先を食べる福田さん

北悠会

みんなで塾歌を熱唱!

北悠会

飲みすぎたにゃ(いつも)
記憶は14時頃からありません。。

それでは、また!!

 

H16北
首都圏支部
幹事長
古閑 善丈

2016年 塾友会首都圏支部 茶話会&忘年会のお知らせ

平成28年10月27日

和敬塾塾友会 首都圏支部
会員各位

和敬塾塾友会 首都圏支部
支部長 下荒地 修二

塾友会首都圏支部 茶話会&忘年会

 

今年は天候が不順で台風の迷走などもあり、季節感の薄い日々が続いておりますが、暦は着実に師走に向かっております。
首都圏支部恒例(12月第1土曜日)の茶話会&忘年会を次のように開催いたします。
万障お繰り合わせのうえご出席をお願いいたします。

日 時  平成28年12月3日(土) 午後4時~7時

茶話会 午後4時~午後5時10分

講  師  加茂田 信則氏

前川製作所 顧問
一般財団法人前川ヒトづくり財団21 顧問
元和敬塾専務理事

演  題 「前川製作所にみる生涯現役社会の実現」

忘年会 午後5時30分~午後7時

会 場  レストランアラスカ パレスサイド店 電話03-3216-2797
東京都千代田区一ツ橋1-1-1 パレスサイドビル9階
※地下鉄東西線「竹橋駅」直結

会 費
茶話会&忘年会 7,000円
茶話会のみ   1,000円
忘年会のみ   6,000円

出欠のご連絡は、11月25日(金)までに下記首都圏支部までお願いいたします。

<お申込み・問合せ先>
和敬塾塾友会 首都圏支部
〒104-0033 東京都中央区新川1-21-1
茅場町タワー1806
電話03-3523-3467 FAX03-3523-3463
agenda-c@atlas.plala.or.jp

関西支部創立55周年記念講演・平成28年度総会 ~初代支部長 黒川 一氏(南・33)が講演、55名が参加~

7月9日土曜日、東大阪市の石切温泉ホテルセイリュウで関西支部創立55周年記念講演・平成28年度総会が開催され、多数の若手塾友はじめ55名が参加した。

当日は、ご来賓として前川昭一塾長、佐藤一義専務理事、柳川邦衛本部会長(南・33)、下荒地修二首都圏支部支部長(南・45)、久野温士中部支部副支部長(西・60)、足立憲泰中部支部幹事長(北・1)、橋本剛長崎支部幹事長(西・4)、山本淳司北陸支部幹事(南・5)にご臨席を頂いた。

平成28年度総会は、田辺昌博拡大委員長(北・11)の司会で始まり、安川啓利支部長(北・52)のご挨拶のあと、新幹事などの役員人事や事業会計報告が承認され、前川塾長と柳川会長よりご祝辞を頂き、佐藤専務理事より和敬塾の現況などについてご報告を頂いた。

続いて55周年記念講演では、関西支部初代支部長で大同化学工業(株)代表取締役社長の黒川一氏(南・33)より、「時に感ずること」をテーマにご講演を頂いた。特に政界に幅広い人脈をお持ちで、多くの歴代総理と交流されたご経験などから、今後の貴重なご示唆を頂いた。

懇親会は、玉山勝崇IT幹事(北・17)が司会を担当、前川塾長の89才のお誕生日を祝し、新婚ホヤホヤの堀川雅典幹事(東・16)のひとみ夫人、竹田正邦広報幹事(西・17)の佐紀子夫人より記念品を贈呈、元副支部長の瀬尾宏郎氏(南・34)による乾杯、飲み放題・食べ放題で世代を越えた交流を楽しみ、西本真副支部長(北・51)の一本締めで閉会した。

さらに二次会は、貸切展望ラウンジへ移動、元支部長の谷口善志郎氏(南・36)の乾杯でスタート、300 万ドルの綺麗な大阪の夜景を眺めながら、飲み放題で懇親を深め、鳴川雅也幹事(北・59)の力強いエールで散会、楽しい関西支部の夏を満喫した。

今回の創立55周年にあたり、関西支部伝統の強い結束力を再確認するとともに、今後ますます支部を超え、そして世代を超えて、地方から和敬塾を盛り上げるべく、創立60周年に向けてオール関西でスタートを切った。

参加者は次のとおり。(敬略)

【講師】S33南 黒川 一
前川昭一塾長
佐藤一義専務理事
S33南  柳川邦衛
S45南  下荒地修二
S60西  久野温士
H1北   足立憲泰
H4西   橋本 剛
H5南   山本淳司
S34南  瀬尾宏郎
S34北  篠原克明
S36南  松井精朗
S36南  谷口善志郎
S37北  大石紀夫
S37西  西祐作
S37南  高嶋定弘
S37西  稲本義久
S38北  西垣文雄
S41北  鈴木功
S41北  松下勤
S41北  萩野康哉
S41南  渡辺 武
S42北  上田正三
S42北  田中 榮一郎
S44西  阿部雄次
S44北  岩城本臣
S45北  髙松富博
S47北  山野 謙二
S51南  南 昌一
S51北  西本 真
S52北  安川啓利
S52北  平田太介史
S52南  吉井友実
S58西  柏原義之
S59北  鳴川雅也
S60西  沖垣佳宏
S61北  谷川正秀
H1北   中野和正
H1西   山川雅行
H1西   立川哲哉
H5北   生島啓二
H10南  志野博三
H10南  小山慎二
H11北  田邉昌博
H12北  岩城方臣
H12北  京谷宗悟
H14東  松本直哉
H15北  田垣内学司
H15北  上村統
H16東  堀川雅典・ひとみ
H17北  玉山勝崇
H17西  竹田正邦・佐紀子
H17東  喜多謙吾

(記・生島)

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第54回塾友会中部支部総会、開催される

第54回塾友会中部支部総会、開催される

 

第54回塾友会中部支部総会が開催された4月23日(土)は、春らしい、清々しい天気となった。

参加者は40名を超え、柳川邦衛塾友会本部会長(33南)を筆頭に、関西支部からは安川啓利支部長(52北)、生島啓二幹事長(H5北)、田辺昌博幹事(H11北)、そして北陸支部からは森本栄史支部長(52南)にお越し頂く等、他支部との絆を感じながら、定刻午前11時、足立憲泰幹事長の司会により総会は始まった。

冒頭、この一年間に鬼籍に入られた中桐宏二(40西)、八賀哲夫(55北)の両氏に、出席者全員で黙祷を捧げた。

その後、来たる9月17日(土)と18日(日)、9年ぶりに中部支部主管として開催される「全国ゴルフ大会」の告知をはじめ、報告事項の報告が恙なくなされ、また、議案は全て原案どおり承認可決された。

総会の締めは、北陸中央病院歯科口腔外科部長 式守道夫氏(50南)による卓話。「口について考える」というテーマで、長年にわたる豊富なご経験を基に、歯と口腔に関する興味深いお話を、分かりやすく頂いた。特に、歯周病が全身の病気に繋がりかねないという指摘は強く印象に残り、口腔清掃がいかに重要であるかを良く理解することができた。

写真撮影を挟み、午後0時半より幅建介幹事(H5西)の爽やかな司会により懇親会が始まった。

食事とお酒が進むにつれて、話の輪はあちこちで広がり、盛り上がりを見せた。

途中、何人もの方々よりスピーチを頂戴したが、中でも、森本栄史北陸支部長(52南)からの、「今秋の全国ゴルフ大会には、北陸支部からも多数参加します!」という力強いお言葉は一際大きな喝采を浴びた。また、今回初参加であった、伊藤伸久(56北)、奥村智洋(H20南)の両氏からもスピーチを頂いた。皆さん異口同音に、和敬出身という縁で結ばれたこの関係を大切にしたいとの思いを述べられ、聴く側もまた同じ気持ちを抱いた。

懇親会の予定時間はあっという間に過ぎ、齋藤至昭氏(61西)の主導により、全員で塾歌を斉唱した後、恒例となった久野温士副支部長(60西)のエールをもって来年の総会での再会を誓いつつ、お開きとなった(なお,来年の総会は,平成29年4月22日(土)開催予定である)。(参加者)

梶浦義典(34南)、竹内利夫(34西)、今辻三郎(35西)、片山紀弘(36南)、吉原道夫(36南)、遠藤譲治(37西)、岩瀬紀彦(38西)、 青木邦夫(40北)、栗原直武(40北)、鈴木竑勝(40南)、田中秀治(40南)、加藤豊(42南)、福島弘孝(42南)、鷲野洋治(43南)、杉田邦隆(43西)、山口誠一(44南)、服部徹也(45北)、櫻井一道(45西)、加藤丈人(46北)、石川洋光(47南)、式守道夫(50南)、富田剛(52西)、伊藤伸久(56北)、丹羽正道(56西)、鈴木淳司(57西)、久野温士(60西)、城野雄博(61南)、齋藤至昭(61西)、小木曽丈夫(H1北)、足立憲泰(H1北)、乗末広志(H4北)、幅建介(H5西)、神谷俊一(H8南)、斎藤元英(H8西)、服部優佑(H9北)、服部友厚(H14東)、栗原慶太(H18南)、荒鷹史(H19南)、狩集学(H19南)、石田悠莉(H19東)、奥村智洋(H20南)

記:神谷 俊一

H28中部支部総会

和敬塾塾友会関西支部創立55周年 平成28年度総会・記念講演のご案内

平成28年5月吉日
和敬塾塾友会関西支部創立55周年 平成28年度総会・記念講演のご案内
拝啓 時下 塾友の皆様にはますますご清栄のこととお察し申し上げます。平素より、関西支部の運営・活動にご理解ご協力を賜わり、心より感謝申し上げます。
さて本年は、関西支部創立55周年の記念すべき年にあたり、関西支部初代支部長の大同化学工業(株)代表取締役社長 黒川 一氏(南・33)を記念講演の 講師にお迎えして、下記のとおり平成28年度総会を実施する運びとなりました。つきましては、公私ご多忙の折とは存じますが、是非この機会ご家族様お誘い 合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。

敬具
支部長 安川 啓利

① 日 時   平成28年7月9日(土)午後3時~(送迎:石切駅南口に午後2時30分ご集合)
② 場 所   ホテルセイリュウ 2F瑞穂の間 近鉄奈良線石切駅下車徒歩5分 072-981-5001
③ 内 容   1)総会(支部長挨拶、事業・会計報告、来賓ご挨拶、和敬塾の現況など)
2)記念講演『時に感ずること』大同化学工業(株)代表取締役社長 黒 川 一氏(南・33)
3)懇親会(飲み放題ビュッフェコース・天然温泉も入浴できます。)
④ 会 費   8,000円(支部会費2,000円含)・ご同伴6,000円 <2次会は別途で展望貸切ラウンジ>
◆初めて出席される平成18年卒塾以降の塾友は6,000円(支部会費2,000円含)
◆ご宿泊の場合14,000円(朝食バイキング付・支部会費含)・ご同伴12,000円
⑤ 出欠返信  6月30日(木)までにご返信お願いいたします。
メール返信アドレス wakeikansai@yahoo.co.jp
⑥ 担当幹事  西本・鳴川・田辺・田垣内・玉山・竹田・生島

 

和敬塾塾友会関西支部 春の茶話会のご案内

平成28年2月吉日
和敬塾塾友会関西支部 春の茶話会のご案内
拝啓 時下、塾友の皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は、関西支部の運営・活動にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
今回の茶話会は、本部及び関西支部で若手リーダーのおひとりとしてご活躍頂いている(株)きんざい大阪支社支社長 立川 哲哉氏(西・1)を講師にお迎え して、『これからの金融のゆくえ ~グローバル化と地域密着化~』というタイムリーかつ興味深いご講演を頂く予定であります。また当日は、近隣で懇親会も 予定しております。時節柄、ご多忙と存じますが、お誘い合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。
なお四国・中国・関西3支部合同事業が、今年は6月4日(土)~5日(日)、四国支部のお世話により『高知県四万十川』で開催される運びとなり、清流・四 万十川の屋形船でホタルを鑑賞しながら、天然うなぎやカツオのタタキなど堪能できる懇親会など滅多に経験できない魅力的な企画をして頂いており、この機会 是非ともご参加を頂きたく併せてご案内申し上げます。追って参加希望者の皆様には詳細をご連絡申し上げます。                     敬具
支部長 安 川 啓 利

① 日 時    平成28年 4月 9日(土) 午後3時~
② 場 所    弁護士法人中央総合法律事務所 5階セミナー室
大阪市北区西天満2-10-2 幸田ビル TEL 06-6365-8111
③ 会 費    1,500円
④ テーマ   『これからの金融のゆくえ ~グローバル化と地域密着化~』
⑤ 講 師    (株)きんざい 大阪支社 支社長  立 川 哲 哉 氏 (西・1)
⑥ 出欠返信   4月4日(月)までに下記までFAXでご返信お願いいたします。
(メール返信の場合は、wakeikansai@yahoo.co.jp まで)
⑦ 担当幹事    浅井、吉村(明)、堀川、玉山、生島
⑧ 今後の予定  平成28年7月9日(土)午後3時~ 総会(ホテルセイリュウ) 講師―黒川 一氏(南・33)

和敬塾塾友会関西支部 平成28年 年賀交歓会のご案内

平成27年12月吉日
和敬塾塾友会関西支部 平成28年 年賀交歓会のご案内

拝啓 今年もあとわずかになりましたが、塾友の皆様にはますますご清栄のこととお察し申し上げます。平素より、関西支部の運営・活動にご理解とご協力を賜わり、 心より御礼申し上げます。本年は、伏見稲荷大社・石切神社などを巡る和敬塾創立60周年3支部合同記念事業、あべのハルカスでの前川喜平文部科学審議官を お迎えしての記念講演・総会&前川昭一塾長の米寿をお祝いする会など、多数の塾友のご参加ご協力のもと各種事業を実施できましたこと、重ねて御礼申し上げ ます。
さて平成28年の関西支部創立55周年のスタートといたしまして、下記のとおり、大阪難波に誕生した日本初上陸の本格的シンガポール料理店で恒例の年賀交 歓会を実施する運びとなりました。時節柄、公私ご多忙の折とは存じますが、お誘い合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。            敬具

  支部長 安川啓利

① 日 時   平成28年1月16日(土)午後12時~(受付:午前11時30分)
② 場 所   ヒルマン (各なんば駅から徒歩5分)
〒542-0075 大阪市中央区難波千日前15-16オクバビル2F 06-6632-8885
*地図参照 http://hillman-japan.com/map_coupon/
③ 会 費   8,000円(ご同伴6,000円)
④ 出欠返信  1月12日(火)までにFAXでご返信頂くか、メールの場合は下記までご返信お願いいたします。
wakeikansai@yahoo.co.jp
⑤ 担当幹事  平田・浅井・吉井・小山・志野・田垣内・生島
1月16日(土) 関西支部年賀交歓会  〆切:1月12日(火)

出 席  ・  欠 席  (いずれかに○印をお付け下さい。)

○ご氏名○卒年・寮            年        寮○ご住所

○メールアドレス

○近況など

和敬塾塾友会関西支部 秋の茶話会のご案内

平成27年9月吉日

和敬塾塾友会関西支部 秋の茶話会のご案内

拝啓 時下、塾友の皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は、関西支部の運営・活動にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
前回は、文部科学審議官 前川喜平氏を記念講演の講師にお迎えし、67名様の塾友・ご家族のご参加のもと、大阪マリオット都ホテルで平成27年度総会と前川塾長の米寿をお祝いする会が実施でき、重ねて御礼申し上げます。
さて今回の茶話会は、関西支部幹事で日亜鋼業(株)取締役管理本部長の沖垣 佳宏氏(西・60)を講師にお迎えして、『教科書で教えない日本史の裏話・こ ぼれ話と歴史から紐解く日本の特性』と題し、「モラルハザードが招いた天下大乱、そして武士政権の誕生」、「偽計による南北朝の合一と後南朝の悲劇」、 「本能寺の変~6月2日決行の意味」、「坂本龍馬暗殺の実行犯と指示者」「歴史から紐解く日本の特性」等についてご講演頂く予定であります。なお当日は、 近隣で懇親会も予定しております。時節柄、ご多忙と存じますが、お誘い合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。

敬具
支部長 安 川 啓 利                                                


① 日 時  平成27年11月14日(土) 午後3時~
② 場 所  中央総合法律事務所 5階セミナー室        大阪市北区西天満2-10-2 幸田ビル
③ 会 費  1,500円
④ テーマ  『教科書で教えない日本史の裏話・こぼれ話と歴史から紐解く日本の特性』
⑤ 講 師    日亜鋼業(株) 取締役管理本部長  沖 垣 佳 宏 氏 (西・60)
⑥ 出欠返信 11月9日(月)までにFAXあるいはメールでご返信お願いいたします。
⑦ 担当幹事  西本、岩城(方)、田垣内、竹田、生島

中部支部・関西支部プレ若手交流会開催!~奈良県天川村に27名が楽しく集う~

秋らしくなってきた9月5~6日、前日に神秘の村としてNHKで紹介された奈良県天川村でご家族のご参加も頂き、初めて開催された。今回は、若手の皆さんが中心となり企画運営、大阪上本町のビアガーデンでの打合せや準備などご尽力を頂いた。

1日目は、さわやかな秋晴れのもと、朝からオートキャンプ場でBBQを実施、焼き松茸や焼きそば、スイカ割りや川遊びなど、ご夫人や子供たちとアウトドアを和気あいあい楽しんだ。

洞川温泉にある大西良一元奈良支部長(北・49)のあたらしや旅館で、温泉に癒され、夜の交流会は、関西支部若手の田辺昌博氏(北・11)の進行でスター ト、関西支部長の安川啓利氏(北・52)の乾杯 、松茸&ぼたん鍋、サプライズの差し入れの新鮮なブリの刺身やサバの塩焼などを囲み、4年前の関西支部創立50周年記念行事や和敬塾時代の恋愛の エピソード、各参加者の近況などで盛り上がり、支部を越えた交流を深め、ご家族とともに満腹の楽しい夜を過ごした。

2日目は、パワースポットで人気の天河弁財天を参拝、日本の名水、ごろごろ水のわらび餅や道の駅のこんにゃくなどを堪能し、初の若手交流会により、楽しい秋の思い出を作ることができた。

来年の若手交流会は、5月ごろに滋賀県の琵琶湖で開催予定。中部支部・関西支部、さらに北陸支部のより多くの若手の皆さんに楽しくご参加を頂き、さらに各支部との相互交流を深めていきたい。

参加者は次のとおり。(敬略)

大西良一(北・49)
安川啓利(北・52)
平田大介史(北・52)
足立憲泰(北・1)
平手秀典(北・3)
立川哲哉(西・1)
山本淳司(南・5)
生島啓二(北・5)
神谷俊一(南・8)
田邉昌博(北・11) ・有希代・紗希・実希
松本直哉(東・14) ・葉子・紗弥
田垣内学司(北・15)・恵理・二葉・秀太郎
竹田正邦(西・17) ・佐紀子・紗良・ゆり・薫
佐竹祥明(北・17)
菊池啓太(東・17)

記・生島

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2015年 第26回ホームカミング大会(10/31)開催のお知らせ

■第26回ホームカミング大会を10月31日(土)に開催!

既にコリー新聞でご案内のとおり、今年のホームカミングは、和敬塾創立60周年、塾父生誕120年の記念の年になります。
大会スローガンは「創立60周年:歴史と伝統、そして未来へ」。塾友の皆様には、これまでの和敬塾の歴史と伝統を振り返るとともに、未来への展望を語り合える機会としていただきたく、ご来駕をお待ちしております。

今回、ご参加の皆様、またご都合により参加できない方でご寄付いただいた皆様には、記念品をご用意しました。
和敬塾創立前史にまつわる前川昭一塾長の手記をまとめた小冊子、ならびに特製記念クロスです。小冊子では、これまであまり知られていなかった和敬塾創立に至る塾父の活動の一端を窺い知ることができ、和敬塾の意義を改めて見直す機会となることでしょう。

式典では、和敬塾前史に関わるお話を塾長からいただき、和敬塾の60年を振り返った後、未来に向けて、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 副事務総長 布村幸彦先輩(S52北)に記念講演をいただきます。

是非、同期だけでなく、各支部で先輩、後輩にお声かけいただき、多くの皆様にご参集いただきたく存じます。よろしくお願い申し上げます。

第26回ホームカミング大会実行委員会
委員長  東 貞成(S60北)
副委員長 吉崎敏文(S60北)

■出欠はがき、会費等のお知らせ
<出欠はがき期限> 10月9日(金)まで到着するようにお願いします。

<会費>
○一般当日:5,000円(同伴家族は無料)
○一般事前振込:4,500円 <期限:10月23日(金)振込みまで>
当日の受付および大会準備の円滑化のため、会費の事前振込にご協力ください。
○昭和40年卒塾者:ご招待(会費はございません。ご来駕をお待ちしております。)
○主幹事昭和60年卒塾者:10,000円
○平成27年卒塾者:2,000円(新卒の皆さん、是非いらしてください。)

<振込先>
三井住友銀行 笹塚支店
普通預金   0513815
名義  和敬塾 塾友会 ホームカミング 代表 東貞成
(ワケイジュク ジュクユウカイ ホームカミング ダイヒョウ ヒガシサダノリ)
※振込人がわかるように明記してください。
(例:60キタ ワケイタロウ)
※大変恐れ入りますが振込み手数料はご負担ください。

<寄付のお願い>
遠地で参加はできないが寄付でご協力をいただけるという塾友の皆様におかれましては、上記振込先までご寄付を何卒よろしくお願い申し上げます。コリー新聞ホームカミング大会報告号に大会記念品を同封させていただきます。

<懇親会協賛品ご提供のお願い>
塾友の皆様に懇親会の協賛品ご提供をお願い申し上げます。故郷の名産品自慢、事業のPRをしていただいても結構です。会場でご紹介させていただきます。皆様の温かいご協力をお願いいたします。塾友会本部事務所あてにお送りください。
〒112-8682 東京都文京区目白台1-21-2
公益財団法人 和敬塾内 塾友会本部事務所気付 2015HC 協賛品係

関西支部総会&前川塾長の米寿をお祝いする会~67名参加!平成若手が多数出席!

 8月1日、日本一高いあべのハルカス・大阪マリオット都ホテルで、前川昭一塾長のご長男で文部科学審議官の前川喜平氏を記念講演の講師にお迎えして、関西支部総会と前川塾長の米寿をお祝する会が、柳川邦衛本部会長(南・33)・平見勇雄四国支部長(北・58)・城野雄博中部支部長(南・61)、足立憲泰中部支部幹事長(北・1)はじめ、67名の塾友・ご家族のご参加のもと実施された。

当日の総会では関西支部会則が承認され、今後さらに安定した自立的な運営基盤の強化を図り、支部独自の活動を展開していくとともに、新幹事として各界で活躍されている小山慎二氏(南・10)、田辺昌博氏(北・11)、上野潤氏(南・18)の平成の若手が加わり、より一層の若手人材の充実も図ることができた。

今回の記念講演は、前川喜平様より『教育再生の動向』というテーマで、安倍政権の進めている現下の教育政策の一端をより身近かにご講演を頂き、前川塾長の米寿をお祝いする会では、安川啓利支部長(北・52)より感謝の言葉を頂き、ささやかながら記念品や花束をお送りし、前川塾長のご挨拶のあと、高松富博元奈良支部長(北・45)の乾杯でスタート、ますますお元気で各方面でもご活躍さている前川塾長を囲み、初参加で最年少の渡辺俊充氏(南・24)はじめとする平成若手の皆様の自己紹介など、和やかで楽しい和敬塾の時間を過ごすことができた。

 関西支部では、9月にご家族含め約30名が出席予定の中部支部・関西支部プレ若手交流会を若手自らが企画、大西良一元奈良支部長(北・49)の奈良県天川村の洞川温泉あたらしや旅館で実施、BBQに川遊び、温泉・花火、松茸やぼたん鍋などを楽しむ予定で、今後ますます中部・北陸・四国・中国の各支部との連携強化を図りながら、さらに近隣支部との交流や絆を深めていくとともに、『飲む・楽しむ・学ぶ』、出会いと魅力そして感動があふれる支部づくりを楽しく進めていきたい。

参加者は次のとおり。
前川喜平様      長田正樹 S51西
前川昭一 塾長      南 昌一 S51南
柳川邦衛 S33南    安川啓利 S52北
城野雄博 S61南   浅井康平 S52北
平見勇雄 S58北   平田太介史 S52北
足立憲泰 H1北    吉井友実 S52南
山本淳司 H5南     柏原義之 S56西
古住茂 S33南     鳴川雅也 S59北
小野益美 S33南    吉村明 S59南
篠原克明 S34北   沖垣佳宏 S60西
瀬尾宏郎 S34南    鈴木康豊 S60南
片岡隆 S34南    福本太一郎 S60南
河村敏介 S36 北   吉田おさむ S60北
谷口善志郎 S36南  吉村剛史 H1西
松井精朗 S36南    山川雅行 H1西
大石紀夫 37北    生島啓二 H5北
稲本義久 S37西   黒崎泰典 H5西
高嶋定弘 S37南   小山慎二 H10南
西垣文雄 S38北   志野博三 H10南
渡辺武 S41南    田邉昌博 H11北
萩野康哉 S41北   岩城方臣 H12北
北條弘一郎 S41北  京谷宗悟 H12北
林宏 S42北     松本直哉 H14東
吉村典晃 S42西   田垣内智司 H15北
川渕秀和 S42西   堀川雅典 H16南
江間範夫 S42南   玉山勝崇 H17北
北村翰男 S43西   堀端勇司 H17北
阿部雄次 S44西   竹田正邦 H17西
岩城本臣 S44北   菊地啓太 H17東
髙松富博 S45北   佐竹祥明H17北
松浦健次 S46南   渡辺俊充 H24南
栗本一男 S46南   岩城敏子様
西本真 S51北    髙松早基子 様
上野純子 様
記・生島(北・5)

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日本語表記の過去・現在・未来 (番外編)

 「言葉はひろがる」 ~鶴見俊輔の訃報に寄せて~

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

本稿の連載も気がつけば開始以来2年近くの年月が経過、そのわりにはテーマの追求は遅々として進まず、このままでは現代のキラキラネーム氾濫の時代はおろか大正昭和期に突入するにも何年かかるか、といった有り様である。当初の予定では明治時代を4回くらいで終わらせる程度に考えていたのだが、調べるにつけ、明治時代とうものが良くも悪くも日本語の在り方も含む日本のその後について決定的な影響を及ぼした事実に思いが至り、「あれも書かねば」「いやこれも…」と自分の至らなさゆえにトピックの安易な取捨選択ができなくなってしまった。

…泣き言はともかく、本来、今回は大日本帝国憲法や二葉亭四迷らの初期の口語体文学、明治普通文、日清戦争関連の話をするべきであった所、(何年後になるかは不明であったが)いずれは触れてみたいと思っていたとある人物の訃報がこの7月24日に公表されたので、急遽予定を変えて件の人物…哲学者の鶴見俊輔(1922―2015)の仕事に関する話を、主に“ことば”“日本語”という観点から記したいと思う。

戦後日本を代表する知識人の一人であった鶴見俊輔のしごとぶりは多岐にわたっており、とても自分ごときが紹介しきれるものではない。ハーバード大学仕込みのプラグマティズム(実際主義)の哲学者として、左翼リベラル寄りの政治運動家(ベ平連・九条の会など)として、または歌謡曲からテレビ番組・子供向けの漫画まで(お気に入りの先品は「寄生獣」!)を縦横無尽に語る大衆文化の研究家としても世間にはよく知られており、今回の訃報に関しては、特に安保関連法案成立などの時局を反映して護憲派リベラルの立ち位置から紹介する記事も多かった。本稿で自分が紹介したいのは、そんな鶴見俊輔の日本語を含む言語観の一端についてである。

きっかけは、これもつい一昨日の7月22日頃に紹介“をされた一つのニュース記事だった。メールの文面などによく利用される日本発祥の文化“絵文字”をテーマにしたアニメ映画がハリウッドで制作されることになったというニュースである。

 

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(メールで使用される絵文字いろいろ)

 この絵文字文化、近年は海を越えて海外にも広がり、TSUNAMIやKAIZENと同じように国際化した日本語EMOJIとして認知されつつあるらしくこの映画化もそうした背景のもとで決定したのだろう。

そしてこのニュースに接したことで、小学生時代に好んで読んでいた子供向けの教育絵本「たくさんのふしぎ」シリーズの一冊、「言葉はひろがる」(1988年犯行)の存在を思い出したのである。確か、言語の違いを超えて世界中の人たちでも理解が出来る言葉として、これら絵文字の例がたくさん紹介されていた気がする…。

早速、インターネットでその本について検索をしてみたところ、著者名:鶴見俊輔

二十数年後しに知った事実に目を疑い、そしてもう一度この「言葉はひろがる」を読み返してみたい気持ちが抑えきれなくなった。

即座に古本ネット通販に注文した翌日の7月24日、鶴見俊輔の訃報がyahooニュースのトップを飾っていた。

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本書は小学校三年生前後を対象に平易な言葉で書かれている40ページ程度の教育絵本ではあるものの、内容には著者のこだわりが感じられ、図像なども豊富で大人が見ても楽しい、むしろ、大人になった今読みなおすことで新たな知見も得られる作品となっている。そして、今回本書を読み返して改めて思ったのは、構成やテーマにも著者・鶴見俊輔の数奇な体験とそこから導き出された立ち位置が強く影響しているという実感だった。

 

■帰属すべき国家の選択を迫られた鶴見青年

鶴見俊輔は1922年、有力な政治家の一家に生まれた。母の厳格な教育方針への反発から不良のような少年時代を過ごした後、父のはからいで渡米するや学問に頭角を現し、名門ハーバード大学で哲学を修める優秀な学生となり、難しい事を考える際はもはや日本語よりも英語で考える方が楽だと感じられるほどとなっていたという。

ところが1941年12月の日米開戦を機に運命は一変。日本とアメリカ双方に戦争の大義を見いだせず(強いて言えばアメリカがやや正しいと感じた程度)、日米どちらも支持をしないと米当局に述べたため、敵国日本人で無政府主義者(アナーキスト)の危険人物としてFBIに逮捕され、数ヶ月間の勾留を受ける。

釈放後の彼を待ち受けていたのは「このままアメリカに留まるか、それとも交換船で日本へ帰るか」という二者択一の究極の選択であった。どのもち日本に勝ち目がないことは間違いなく、アメリカに残れば多少は不自由でも衣食住は保証され、学問を続ければいずれは大学教授にでもなれるだろう…。

結局、鶴見青年は日本への帰国を選び、1942年、日本に帰国。それは祖国愛や郷愁といった感情によるというより、戦争に勝っていばる側ではなく、負けそうな、弱そうな側に身をおくことを選んだ、という判断だったらしい。

少年期から培ってきたアナーキーな心性に加え、この若き日の自分が帰属すべき国家や言語すら選択・相対化しうるという経験は鶴見に大きな影響を与えたらしく、後の様々な著作において、彼は冒険家や漂流民、移民、無政府主義者、亡命者など、国家や文化の枠組みを超えて活動した人物を好んで取り上げるようになったという。

「国家の規定する自分、会社、学校、家の規定する自分よりも深くに、おりてゆくと、祖先以来の民族文化によってつくられた自分があり、さらにその底に動物としての自分、生命、名前なき存在としての自分がある。」

これも鶴見俊輔の文章だが、人間からあらゆる精神や知性、文化を取り去った先に見えてくる身体的で根源的な普遍性のようなものにも彼は注目をしていたようだ。文章はさらにこう続く。

「そこまでおりていって、自分を現代社会の流行とは別の仕方で再構成し、新しく世界結合の方法をさがす。そこには、民族主義をとおしてのインターナショナリズムの道がある。

こうした人間観や立ち位置は、件の「言葉はひろがる」にも色濃く反映されている。

 

■赤ちゃんの言葉 民族の言葉

 「わたしは、どんなふうに言葉を習ったか?思い出せません。あなたもそうでしょう。はじめてきいたときは、それが日本語だなんて知らなかった。」

「はじめは、日本語ともいえない、いろいろな音をだします。このころなら、どんな外国語をならっても、うまく話せそうです。」

「そのころにあかちゃんの話している言葉は、日本語というよりも、人間の言葉といってよいでしょう。」

何者でもない原初の自分である赤ん坊がたまたま日本という国に生まれ、日本語に囲まれて育ち、いつしか日本語を話せるようになっていく。言語・民族の別なく、あらゆる人間がみな母親の腹から生まれてくるという普遍性に立脚しつつ、文化の産物である言葉は決して人間に生まれついて備わるものではないことを述べ、そして、別々の言葉や国、宗教に分かれ固まった人間集団同士の殺し合い(戦争)も時に発生し、言葉は争いを止めるよりも、むしろ火に油を注ぐように争いを煽ってきたという事実を本書前半は伝えてくる。

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■冒険家・漂流民・異邦人

中盤からは、そんな言葉や文化の違いを超えようとした人々の足跡が、主に鎖国政策後期の日本の幕末時代のエピソードを中心に述べられる。

海難事故の末ロシアに渡り、後に日本に帰国した大黒屋光太夫、漂流の末アメリカ捕鯨船に救助され渡米の後に同じく帰国した中浜万次郎(ジョン万次郎)、黒船に密航し、自分をアメリカに連れて行くようペリーに懇願した吉田松陰などの比較的有名な人物から、鎖国末期の北海道に単身渡ったアメリカ人冒険家のラナルド・マクドナルド(長崎に送られ勾留された後、アメリカへ帰国)のような知る人ぞ知る人物までが紹介されている。

特にマクドナルドに関する記述…スコットランド人の父とネイティブアメリカンの母の間に生まれ、「有色人種の血が混じっている」と少年時代にいじめに遭い、母と同じ有色人種の国である日本へと憧憬を募らせた末に言葉も文化も知らないままに日本へ向かったというエピソードの紹介には、実に鶴見俊輔好みの選択眼が今となっては感じられる。

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左下:大黒屋光太夫の記したロシア文字による五十音 右上:中浜万次郎によるアルファベット)

 

「マクドナルド、吉田寅次郎、光太夫、万次郎の意気ごみには、今日の日本人がわすれてしまったものがありそうです。相手の言葉を知らなくても、相手が人間ならばじぶんの言いたいことが通じるはずだ、という意気ごみです。知らない言葉でも、それをききとることができる。そのことを、この人たちは、わたしたちにおしえます。」

TOEICの点数などに一喜一憂する現代サラリーマンにはなかなか厳しい言葉ではなかろうか。

 

■世界共通言語の試みと絵文字

本の後半では、国や民族の違いを超えて通用する世界共通言語の試みなどについて述べられる。現在、世界共通言語と言えば無論それは英語と同義であるが、本書ではまずエスペラント語の成り立ちについて軽く触れる。ポーランド語、ロシア語、リトアニア語、ドイツ語の飛び交う北部ポーランド生まれのユダヤ人眼科医ザメンホフが19世紀の末に発表したこの人工言語は、(本書では触れられていないが)その国を超えた国際性ゆえに無政府主義と結びつきやすく、戦前期においてはエスペラント運動に携わる人間は反体制思想の危険人物として当局に睨まれたという。

そして終盤、更に理解の容易な国際語として、絵文字への期待が実例を通じて紹介される

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絵文字の例としてドイツ生まれのアイソタイプ、交通標識、ジプシー(ロマ族)の使用するホウボウ・サインなんてものまで掲載。

 

「絵文字のよいところは、ヨーロッパ人に有利というせまさがなくて、みんなが平等に使えることです。(中略)70歳、80歳のとしよりも、絵文字を自由に使いこなす、新しい時代が来るでしょう。」

「ラジオ、レコード、映画、テレビなどをとおして、世界のさまざまの場所の人たちが、おたがいの動きを知ることができるようになりました。」

現在の、インターネットを通じて絵文字文化が世界に広まっている状況をまるで予言するかのような記述である。そして興味深いことに、本書で鶴見俊輔はこれら絵文字の中には漢字と似ているものがある点も指摘している。確かに漢字も絵文字も、視覚性を重視した象形文字であるという点は共通しており、絵文字が日本で発達したのも、日本人が歴史的に漢字と向き合い、どうにか使いこなそうと四苦八苦してきた事実と関わりがあるように思われてならない。

更に本書では触れられてはいないが、最初に紹介したメールで使われる絵文字(EMOJI)を見れば一目瞭然だが、EMOJIの表現には日本で特異な進化を遂げた漫画表現の影響が強く認められる。

鶴見俊輔は早い時期から漫画に並々ならぬ関心を寄せ、日本における本格漫画評論の草分けとも言える存在でもあった。(同じく漫画評論の草分け的存在である呉智英は、日本の漫画表現と、漢字かな交じり文の親和性を指摘している。)

現在、漫画は日本を代表する文化の一つとして日本国外にも広く紹介され、EMOJIと同じような国際性を獲得している。鶴見俊輔が漫画に惹かれたのも、それが戦後日本の大衆文化を代表するものであった点に加え、国境を超える普遍性の可能性も垣間見たからではないだろうか。

 

「民族主義をとおしてのインターナショナリズムの道」

現在、インターネットを通じて日本語文化は漫画やアニメ作品、ボーカロイド音楽などを媒介に(主に若者文化界隈でではあるが)世界で確かな広がりを見せている。ネットの翻訳機能を使うことで、英語にかぎらずさまざまな言語の外国人とも意思の疎通も確実に容易になった。

一方で、インターネットは憎悪や偏見、過激主義の伝播力も高めた。イスラム国などのテロリストがインターネット広報を巧みに駆使しプロパガンダを撒き散らすのはその恐ろしい一例である。

我々は、日本語と、そして異国の言葉や文化とどう付き合っていくべきか。

「言葉は、じぶんにとっては、じぶんの使いはじめた言語がもとになります。わたしたちにとっては、それは日本語です。この日本語を、人間が使う言葉として使うようにしたい。この言語にうまれついたものでない外国人も、気もちよく使える、ふところの深い言語にしてゆきたいものです。」

言語や文化は違えども人間同士である以上、根源的なところでは同じであるという点に基づき、文化の多様性を尊重し日本語という個別の言語に根ざしつつ、そこから広く世界的な普遍性を模索することへの期待。

「地球上の人間は、食べる、眠る、はたらく、休む、つきあう、愛する、遊ぶという、よく似た問題をかかえて生きています。そのために使っている言語がこの日本語であり、ほかのさまざまな外国語であるということを、感じる力をもつようになりたい。」

和敬塾塾友会関西支部 平成27年度総会・記念講演のご案内

平成27年6月吉日
和敬塾塾友会関西支部 平成27年度総会・記念講演のご案内
拝啓 時下 塾友の皆様にはますますご清栄のこととお察し申し上げます。平素より、関西支部の運営・活動にご理解ご協力を賜わり、心より御礼申し上げます。5月の和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念 四国・中国・関西3支部合同事業では、60名近い塾友・ご家族様のご参加のもと、菅居正紀氏(西・53)よりご講演を頂いた伏見稲荷大社などを楽しく巡ることができ、重ねて御礼申し上げます。
さて本年度総会は、前川昭一塾長のご長男で文部科学審議官の前川喜平氏を記念講演の講師にお迎えして、下記のとおり日本一高いあべのハルカスで前川塾長の米寿のお祝いの会を兼ねて実施する運びとなりました。つきましては、公私ご多忙の折とは存じますが、是非この機会ご家族様お誘い合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。   敬具
                                 支部長 安 川 啓 利

                              記                

① 日 時   平成27年8月1日(土)午前11時~(受付:午前10時30分~) ※開始時刻にご注意ください。

② 場 所   あべのハルカス・大阪マリオット都ホテル 20F茜の間 06-6628-6111
http://www.miyakohotels.ne.jp/osaka-m-mi…/access/index.html/

③ 内 容
1)総 会(事業・会計報告・支部会則など)
2)記念講演「教育再生の動向」 文部科学審議官 前 川 喜 平 氏(御所市出身,東大卒,文部省入省,大臣官房長・初等中等教育局長などを経て現職)
3)前川塾長米寿のお祝いの会

④ 会 費   10,000円(ご同伴9,000円)

⑤ 出欠返信  7月27日(月)までにFAXでご返信お願いいたします。

⑥ 担当幹事  西本・平田・浅井・岩城(方)・田垣内・京谷・竹田・生島
〆切:7月27日(月)

和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念四国・中国・関西3支部合同事業~石切神社・枚岡神社・伏見稲荷大社を巡る旅 58名が参加!~

和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念四国・中国・関西3支部合同事業
~石切神社・枚岡神社・伏見稲荷大社を巡る旅 58名が参加!~
5月9日(土)~10日(日)、和敬塾創立60周年・前川喜作塾父生誕120周年記念して、今回2回目となる四国・中国・関西3支部合同事業を約1年間の準備を経て、関西の魅力を満喫して頂けるよう企画・開催した。当日は、前川昭一塾長・佐藤一義専務理事・柳川邦衛会長(南・33)・石川信介幹事長(北・40)ご夫妻・森本栄史北陸支部長(南・52)・城野雄博中部支部長(南・61)はじめ58名様の塾友・ご家族様のご参加を頂いた。

初日は、「いしきりさん」でお馴染みの石切神社の参拝と参道散策、幹事の沖垣佳宏氏(西・60)からスポット解説を頂いた後、元春日・河内国一の宮で、大阪最古の神社と言われる枚岡神社を正式参拝した。

ホテルセイリュウ


ホテルセイリュウに戻り、露天風呂の天然ラジウム温泉で汗を流した後は、スカイラウンジで飲み放題の大懇親会を開催。安川啓利支部長(北・52)の歓迎のご挨拶、前川昭一塾長と柳川会長に印刷出来立ての塾友会名簿2015年版の贈呈などを行い、岩城本臣前関西支部長(北・44)の乾杯、ラグビーの聖地・「荒ぶる魂」の原点でもある近鉄花園ラグビー場から打ち上げの1,000発の花火を鑑賞し、大阪の300万ドルの夜景を一望しながら、大先輩から平成の若手まで世代、そして支部を超えた懇親を深めた。

枚岡神社

2日目は、「行ってよかった」外国人に人気の日本の観光スポット2014第1位の「お稲荷さん」で有名な伏見稲荷大社を訪問。伏見稲荷大社の菅居正紀氏(西・53)より、『伏見稲荷大社よもやま話』というテーマでご講演を頂き、本殿を正式参拝。史跡の荷田春満旧宅などを特別に見学させて頂いた後、老舗「祢ざめ家」で京都・伏見名物の焼鳥やうなぎの蒲焼、そして日本酒などで打ち上げ、大いに盛り上がった。

伏見稲荷

来年は、四国支部のお世話で足摺岬と四万十川で開催される予定。今後もさらに近隣の各支部との交流や連携を深め、もって塾友会全体を盛り上げていきたい。また「行きたくなる・ワクワクする・飲みたくなる」、そういう魅力のある元気で楽しい関西支部を目指し、安川支部長を中心として支部が結束して自立的な支部運営を進めていきたい。

なお次回は、8月1日(土)午前11時から、日本一高いあべのハルカス・大阪マリオット都ホテルで前川喜平 文部科学審議官をお招きして記念講演・支部総会を開催する予定である。

記・生島啓二(北・5)
参加者は次のとおり。
記念講演講師 菅居正紀(S53西)、和敬塾塾長 前川昭一、和敬塾専務理事 佐藤一義、塾友会会長 柳川邦衛(S33南)、塾友会幹事長 石川信介(S40北)、北陸支部支部長 森本栄史(S52南)、中部支部支部長 城野雄博(S61南)、中国支部支部長 冨永嘉文(S50北)、四国支部支部長 平見勇雄(S58北)、小野益美(S33南)、篠原克明(S34北)、片岡隆(S34南)、瀬尾宏郎(S34南)、宮本榮市(S36西)、谷口善志郎(S36南)、高嶋定弘(S37南)、大石紀夫(S37北)、谷口佳照(S38西)西垣文雄(S38北)、近森新(S39南)、阪口嘉平(S40西)、田中榮一郎(S42北)、江間範夫(S42南)、川渕秀和(S42西)、上田正三(S42北)、岩城本臣(S44北)、渡辺優(S47北)、山野謙二(S47北)、岡林高弘(S47北)、大森誠二(S47北)、鈴木修(S47北)、西本真(S51北)、安川啓利(S52北)、浅井康平(S52北)、平田太介史(S52北)、髙橋真(S52北)、吉井友実(S52南)、澤西徳幸(S53北)、柏原義之(S56西)、鳴川雅也(S59北)、吉村明(S59南)、沖垣佳宏(S60西)、谷川正秀(S61北)、立川哲哉(H1西)、山川雅行(H1西)、梅本浩一朗(H4西)、山本淳司(H5南)、生島啓二(H5北)、田邉昌博(H11北)、岩城方臣(H12北)、田垣学司(H15北)、堀川雅典(H16南)、玉山勝崇(H17北)、竹田正邦(H17西)、石川洋美、川渕純江、谷川美加、吉井理子

武貞達彦君(昭和59年南寮卒)高校生に向けてグローバル経済を語る

武貞達彦君(昭和59年南寮卒)高校生に向けてグローバル経済を語る

2015年3月19日(木)新潟県立五泉高等学校に、キャリア教育講演会の講師として、(株)海外交通・都市開発事業支援機構の執行役員・事業推進部長の
武貞達彦君を招いて、「日本と世界のつながり-グローバル経済の中で-」というテーマで、約440人の高校生に向けて熱く語っていただきました。

自らの50カ国以上に及ぶ海外出張の経験から、日本では想像できないようなエピソードの紹介や、日本経済が直面している現状や課題を分かりやすく説明していただきました。
最後に新潟という「裏」日本の、さらに地方であるが故の有利性、例として発展地域である東アジアに対する良質な農産物や手工業製品の輸出において可能性が大であること
(新潟県の米や野菜、燕三条の刃物・ハウスウエアーや五泉のニットなど)をお話しいただき、人口や産業の衰退が止まらない地方に居住する者に勇気をいただきました。
話の内容もさることながら、端々で滲み出てきた人間性に生徒達は大いに感銘していました。
どこでも誰とでも付き合える柔軟性、仕事で嘘をつかないという誠実さ、仕事は一生懸命やると

楽しいといった前向きさ。
これらは自身の生まれもってのものが大きいでしょうが、和敬塾での4年間の生活も大いに関係していると思われます。
武貞君ありがとう、そして和敬塾にも感謝します。今更ながら和敬塾のありがたさが身にしみました。
塾友の皆様、武貞君のように、高校生に対して講演をしていただける方、いらっしゃいませんでしょうか、おられましたら、五泉高等学校の増井まで連絡ください。ジャンルは問いません。

昭和59年南寮卒  増井 治(新潟県立五泉高等学校 教諭) [ mailto:masui.osamu@nein.ed.jp ]masui.osamu@nein.ed.jp

和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念 四国・中国・関西支部合同事業のご案内

和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念 四国・中国・関西支部合同事業のご案内

拝啓 時下 塾友の皆様におかれましては、ますます御清栄のこととお慶び申し上げます。コリー新聞2015年新春号で予告をさせて頂きましたが、今回初めて関西支部が、2回目となる四国・中国・関西3支部合同事業を、和敬塾創立60周年・前川喜作塾父ご生誕120周年を記念して企画・担当することになり、大阪や京都の魅力を再発見・満喫して頂けるよう、約1年間の準備を経て、下記のとおり実施することになりました。時節柄ご多忙と存じますが、多数ご参加頂きたくご案内申し上げます。ご家族同伴も大歓迎です。なお当日は、前川塾長もご出席の予定です。皆様のご参加を心よりお待ちしております。敬具

中国支部支部長 富永嘉文   四国支部支部長 平見勇雄   関西支部支部長(実行委員会会長) 安川啓利

 

日  時 平成27年5月9日(土)~10日(日)

会 費 宿泊コース 22,000円(同伴20,000円)、9日・日帰りAコース12,000円(同伴10,000円)、10日・日帰りBコース8,000円(同伴6,000円)  【全コース記念品付】 *前日及び当日キャンセルは全額ご負担

行  程
5月9日 午後1時 宿泊コース・日帰りAコース  ホテルセイリュウ(別紙・地図参照) ご集合・受付
●午後2時~午後4時 関西で『いしきりさん』でお馴染みの石切神社参拝と参道散策⇒元春日・河内国一の宮でパワースポットの枚岡神社正式参拝(石切神社から枚岡神社・ホテルはバス送迎)
●午後4時~天然ラジウム温泉・休憩
●午後6時~日本一高いあべのハルカスなど大阪の200万ドルの夜景を一望しながら、飲み放題の大懇親会
●午後8時~ラグビーW杯会場・近鉄花園ラグビー場から打ち上げの1,000発の花火をスカイラウンジから鑑賞

5月10日 午前9時30分 日帰りBコース 伏見稲荷大社社務所ご集合  (JR奈良線稲荷駅・京阪伏見稲荷駅すぐ)
伏見稲荷大社 京都市伏見区深草藪之町68 TEL 075-641-7331
●午前8時30分 宿泊コースバス出発
●午前10時~「行ってよかった」外国人に人気の日本の観光スポット2014第1位の伏見稲荷大社正式参拝・散策
   伏見稲荷大社  菅居 正紀氏(西・53) 案内・講演  『伏見稲荷大社よもやま話』
●午前12時~老舗「祢ざめ家」で京都・伏見名物の焼鳥や日本酒などで打ち上げ  午後2時ごろ現地解散

実行委員会顧問 川渕秀和・田中栄一郎・岩城本臣・高松富博
担当幹事 篠原・西本・安川・吉井・浅井・平田・山川・吉村・小山・岩城(方)・田垣内・堀川・玉山・竹田

関西支部・若草山山焼き年賀交歓会に53名が参加!

1月24日土曜日、素晴らしい天候のもと、関西支部恒例の年賀交歓会が、平田太介史副支部長(北・52)のお世話で、奈良市の春日野荘で初めて開催された。当日は、これに先立ち、幹事の中野和正氏(北・1)のご案内により、春日大社正式参拝と奥山めぐりも実施され、横山 章副会長(南・55)、平見勇雄副会長・四国支部長(北・58)、田中克人首都圏支部長代行(西・42)、山本淳司北陸支部幹事(南・5)をはじめ、53名の塾友・ご家族の皆様のご参加を頂いた。
今回も、幹事の京谷宗吾ご夫妻(北・12)、最年少で初参加の上野 潤ご夫妻(南・18)ら、若手も多数ご参加・お手伝いを頂き、安川啓利支部長(北・52)の年頭のご挨拶などのあと、会計監査の篠原克明氏(北・34)の乾杯でスタート、大いに年賀交歓会は盛り上がった。後半は屋上に移動、甘酒を飲みながら若草山からの花火と伝統の山焼きを鑑賞、意外に関西でも初めてという方が多かった。
奈良・万葉若草で素晴らしい新年のスタートを切ることができたが、今年は伝統の結束力を堅持し、さらに美徳と自立を追求しつつ、近い将来若手の皆様にバトンタッチすべく、より強固な関西支部の運営基盤を確立するとともに、次回5月9日(土)~10日(日)の大阪・京都での和敬塾60周年・前川喜作塾父生誕120周年記念四国・中国・関西支部合同事業に向けて、初めてのホスト役として、幹事会で本格的な準備を進めて参ります。

春日野荘¥記念2書出し

 

参加者は次のとおり。

田中克人首都圏支部長代行(S42西),横山 章 本部副会長(S55南),平見勇雄 本部副会長・四国支部長(S58北),山本淳司 北陸支部幹事(H5南),片岡 隆(S34南),篠原克明(S34北),河村敏介(S36北),,高嶋定弘(S37南),西垣文雄(S38北),忠岡賢一(S40南),上田正三(S42北),江間範夫(S42南),川淵秀和(S42西),田中栄一郎(S42北),吉村典晃(S42西),北村翰男(S43西),岩城本臣(S44北),高松富博(S45北),栗本一男(S46南),松浦健次(S46南),白川友則(S47南),大西良一(S49北),西本 真(S51北),浅井康平(S52北),平田太介史(S52北),安川啓利(S52北),吉井友実(S52南),上野誠(S59北),鳴川 雅也(S59北),吉村 明(S59南),沖垣佳宏(S60西),谷川正秀(S61北),中野和正(H1北),山川雅行(H1西),生島啓二(H5北),小山慎二(H10南),志野博三(H10南),岩城方臣(H12北),京谷宗悟(H12北),松本直哉(H14東),田垣内学司(H15北),堀川雅典(H16東),竹田正邦(H17西),玉山勝崇(H17北),上野 潤(H18南)
(同伴者様)河村敏介様御夫人,川淵秀和様御夫人,田中陽子様(田中栄一郎様御夫人),瀬尾宏郎様御夫人,吉井妙子様(吉井友実様御夫人),吉井理子様(吉井友実様御令嬢),京谷照美様(京谷宗悟様御夫人),上野潤様御夫人

記・生島啓二(北・5)

春日大社¥記念2書出し

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その8~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その8

 

日本語の“国語”化への道 ~国語辞典「言海」出版~(2

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

本邦初の近代的国語辞典「言海」の誕生に至る経緯は前回に見てきた通りであるが、では言海がどのような意義・性格を持っていたか、という部分について概略を述べたいと思う。言海が成立した明治の20年代は、明治生まれの新世代がいよいよ若者として社会に進出を始めた頃と一致し、また日本が近代以降初の対外戦争である日清戦争などを通じて、国家というものの体を手探りながらも成しつつあった時代でもあった。

 

 

■“日本普通語”と国民の創成

 

 大槻文彦らの凄まじい苦労の末に刊行された言海は、その苦労に見合うように世評もすこぶる高く版を重ね、文筆家周辺のみならず一般家庭にも広く普及をしていった。これは、言海が一部専門家のための特殊な用語事例のみを収録した専門書ではなく、広く地域を問わず日本国民全体を読者としうるほどの普遍性・網羅性を有していたからであろう。それこそが江戸時代にもあった各種字引類との違いであった。

 

言海は地名や人名などの固有名詞ではなく、一般的な日本人が用いるであろう言葉(それを大槻文彦は日本普通語と呼んだ)が主となっておよそ四万語が収められた。現在の代表的国語辞典である広辞苑第六版の二十四万語と比べると少ない印象を受けるが、当時としては比類のない規模を誇った。

 

言海が必然的に読者としてその射程に捉えたのは、前述のとおり日本国民全体である。

 

江戸の時代、お国といえば庶民にとってはそれぞれの生まれ住まう地域を意味していた所、明治維新以降、廃藩置県や徴兵制、何より学校公教育の普及により、次第次第に一般庶民にも「我等は日本国の国民である」という意識が広がりを見せ始めたいた頃である。

日本国民が出身地域によらず同一の日本国民であれば、言葉もまた地域によらず同一性を確保されねばならない…。言海の示した「網羅的な日本普通語」の姿は、そういう理念の具現化でもあったのだろう。大槻文彦は述べる。

 

一国の国語は、外に対しては、一民族たることを証し、内にしては、同胞一体なる公儀感覚を固結せしむるものにて、即ち、国語の統一は、独立たる基礎にして、独立たる標識なり。されば、国語の消長は、国の盛衰に関し、国語の純、駁、正、訛は、名教(道徳)に関し、元気に関し、国光に関す。

 

日本普通語、言い換えれば国語の統一こそが独立の証。民族統一の証。元来言語学の門外漢であった大槻がかくも精魂込めて国語辞典の編纂にあたったのは、男子の一生を賭すにふさわしい国事であるという認識があったからであろう。

 

五十音の採用 西洋志向と廃仏毀釈の影

 

言海に関して更に特筆すべきは、索引がいろはにほへとではなく五十音を採用したことだった。

 

江戸時代、寺小屋などで子供たちは読み書きを学習する歳、最初に教えられるのは、あいうえお…ではなく、いろはにほへと…のいろは歌であった。

 

いろはにほへと              色は匂へど
ちりぬるを                     散りぬるを
わかよたれそ                 我が世誰ぞ
つねならむ                     常ならむ
うゐのおくやま             有為の奥山
けふこえて                     今日越えて
あさきゆめみし             浅き夢見じ
ゑひもせす                     酔ひもせず

 

いろは歌は日本語を構成する47の基本的な発音を1文字ずつ重複すること無く使用され、しかもそれが一つの意味ある文章をなしている。日本人に馴染みの深い七五調のリズムも相まって唱和にも向いている。成立は平安時代中期頃と言われており、「我が世誰ぞ常ならむ」という言葉に象徴されるように、「この世に永遠のものなど無く、全ては変転していく」という仏教的な諸行無常の考えを説いている。

 

幕末に来日したスイス人のエメェ・アンベールは、この“日本のアルファベット”が寺小屋などで唱和されている光景に興味を覚え、内容を以下のように解釈し、驚きを持って紹介した。

 

「色も香いも、消えていく。われわれの世界において、何か永久的なものなどあり得るだろうか?今日の日は、虚無の深淵の中に消滅していき、そのはかなさは、夢のようである。それは、微細な不安すら残さなかった。」

 

アンベールは、このいろは歌がいかなる書物よりも雄弁に日本人の基礎的性格を表現していると評し、この諸行無常の価値観は、例えば日本の家屋は障子や家具の効果的な使用により、一つの部屋が応接間にも食堂にも寝室にも容易に変化する部分などにも表れているとした。いろは歌は生活・教育の両面において長い年月を経て日本人の血肉となっていたのである。

 

一方、現在の小学校の国語の授業は、まずは「あいうえお…」と五十音の暗唱から始まるのが普通であり、いろは歌は古典の授業で取り上げられることはあっても日常からほぼ姿を消したと言ってよい。教育の世界でその変化が決定的となったのは、言海の発行と近い明治20年代前後の事であったという。

五十音はまずは母音のあいうえおから始まり、いろは歌とくらべても非常に規則的、システマティックな印象を受ける。一方でいろは歌と違い、意味のある文章にはなっていない。

 

五十音もいろは歌と同じく、その原型は平安時代の頃に仏教における仏典の発音研究の過程で派生的に誕生したものらしいが、それを発音表として確定させたのは、以前も紹介した本居宣長ら江戸時代の国学者達だったようだ。

本居宣長は「漢字三音考」の中で、「皇国の古言は五十の音を出ず。これ天地の純粋の音のみ用ひて。混雑不正の音をまじへざるがゆえ也」と、五十音こそ古代の純粋な日本語の発音であるとの見解を、やや極端なな形で述べている。

彼は中国やインド由来など外来の文化や思想を漢(から)意(ごころ)としてしりぞけ、日本の純粋性のようなものにこだわりを見せたことは前にも述べたが、五十音の研究にはその辺りの事情も絡んでいたのだろう。いろは歌はあまりにも仏教的(≒からごころ)すぎる。(五十音も仏教との関わりの中で生まれたものだったのだが…)

 

明治維新を成し遂げた思想的な原動力は、西洋に習おうとする洋学の系譜と本居宣長以降に盛んになった国学の系譜が混ざり合っているが、その両者にとって都合の良いのはいろは歌よりも五十音であった。西洋を範とする洋学者の側からすれば、発音が母音と子音に分けられて規則正しく配列された五十音は合理的であり、日本のアルファベットとするにふさわしく思われる。そして国学者の側からすれば、五十音は天地開闢以来の古代日本の純粋な日本の発音と考えられたからだ。

 

 

更に教育の場からいろは歌が姿を消した理由の一つとして考えられているのが、当時の日本で行われていた文化破壊の蛮行、廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)の影響である。

日本では「神様仏様」というように長い年月をかけて神道と仏教が交じり合っていた所、神道の長である皇室をたてまつって発足した明治新政府は、神道と仏教の分離を試みた。結果、仏教を軽んずる風潮が生まれ、日本各地で民衆によりお寺や仏像が破壊されるという事態も明治の初期には頻発している。現存していれば重文国宝クラスになったかもしれない仏教遺産が多数破壊されたのだから、もったいなくまた罰当たりな話だが、以前も述べた通り、当時の知識人有力者の中にも旧来の伝統や遺産には何ら価値を見出さない風潮が強く、貴重な遺産の破壊や散逸を嘆いたのはむしろ西洋人達であったという。

実際の話、殖産興業・富国強兵を旨とする明治日本の基本方針に、諸行無常とか盛者必衰とかといった仏教的な価値観はそぐわぬ面があったのも事実で、さまざまな理由の中でいろは歌は次第に五十音に取って代わられていったものと考えられる。

 

こうして日本初の近代的国語辞典である言海には五十音が採用されたが、意外な人物がそれを批判した。大槻文彦と同じく明六社の主要なメンバーであった福沢諭吉である。

開明的な福沢諭吉が五十音よりいろは歌を支持したのは意外な話だが、福沢諭吉は何より実用性を重んじた。いろは歌は庶民の世界にまだまだ深く根付いていたため、五十音よりいろはの方が読者にとっては実用的であると考えたのだ。変にイデオロギーが絡んでいないあたりがさすがである。

 

まさに諸行無常を地で行くように公の場から姿を消していったいろは歌だが、大正年間の頃まで電話帳はいろは順で並んでいたというから、如何に民衆に染み込んでいたかという事が良くわかる。

 

近世と近代を結ぶ言海

 

文法、意味の特定、普通語、五十音…。ここまでの紹介だと、言海という辞典はどこかシステム的すぎて人間味に欠ける、あるいは近代日本の帝国主義的な欲望をぎらつかせているという印象を持たれるかもしれない。言海が持つその網羅性・システム性がかえって日本語表現の可能性を狭めたという批判もある。

 

一方で、言海は単なる辞典の枠を超えて多くの愛好者も生んだ。後年の作家であえる夏目漱石や芥川龍之介の作品内にも言海は登場し、戦後の作家の開高健も愛読していたという。現在も読書人の間では人気は高く、文庫にもなった他、古書店でも買い求められることも多いらしい。

 

言海の編纂の過程で、大槻文彦は東西古今の様々な文献にあたり、その中には江戸時代に編纂された雅語辞典や博物図鑑などの近世辞書も多く含まれており、用語の解説にそれら江戸時代の文献からの引用が多いことが近年指摘されている。近代的な体裁を持つ一方で、文章そのものは古典の味わいを併せ持っているのだ。そのあたりのギャップが独特な魅力となり、また明治前半期の日本語空間をあらわす一級のサンプルにもなりえているという評もある。

 

例えば、よく引用されるのが“猫”に関する記述。

 

人家ニ畜フ小キ獣、人ノ知ル所ナリ、温柔ニシテ馴レ易ク、又能ク鼠ヲ捕フレバ畜フ、然レドモ、竊盗ノ性アリ、形、虎ニ似テ、二尺ニ足ラズ、性、睡リヲ好ミ、寒ヲ畏ル、毛色、白、黒、黄、駁等種種ナリ、其睛、朝ハ円ク、次第ニ縮ミテ、正午ハ針ノ如ク、午後復夕次第ニヒロガリテ、晩ハ再ビ玉ノ如シ、陰処ニテハ常ニ円シ。

 

文語で書かれているため現代の我々には読みにくい部分もあるが、「ねずみを捕ってくれるが盗み癖がある」とか「眠ることを好んで寒さを嫌う」とか「朝は体を丸めており、真昼頃には針のように体が張り、……、夜は再び玉のように丸まる」とか、情景が目に浮かんでくるようで何ともユーモラスだ。学術的でも体系的でも全くない。こういう味わいは近年の辞書にはあまり期待できない部分だろう。この記述にも大槻文彦のユーモアと共に、江戸期の博物図鑑の影響をみる研究もある。

芥川龍之介はこの記述を面白がり、随筆「澄江堂雑記」において、

「これをしも「竊盜ノ性アリ」と云ふならば、犬は風俗壊乱の性あり、燕は家宅侵入の性あり、蛇は脅迫の性あり、蝶は浮浪の性あり、鮫は殺人の性ありと云つても差支へない道理であらう。按ずるに「言海」の著者大槻文彦先生は少くとも鳥獣魚貝に対する誹謗の性を具へた老学者である。」

と、愛着込めて皮肉った。

 

言海そのものは日本の近代化の要請にこたえる形で成立したものだが、言海の中において近代以前と近代は決して断絶はしてはいなかった。その意味や意義については、今後も我々は考えていくべきであろう。

 

かな文字運動の方へ

 

洋学者の祖父、儒学者の父を持ち、和漢洋に渡る膨大な資料を駆使して言海を成立させた大槻文彦であったが、彼本人は明六社の他メンバーと同じく漢字廃止論に傾いており、明治十四年に発足したかな文字運動団体「かなのくわい」(假名の會)に参加している。

 

かなのくわいは皇族の有栖川宮 熾仁親王を会長にいただき、一時期は会員数も一万を超えるなどかなりの規模を誇ったようだが、かな文字の表記を伝統的な歴史的かなづかいとするか、現在我々が使っているものに近い表音的かなづかいにするかで意見が対立するなどまとまりには欠け、言海の初版発行位の前年の明治二十三年(1900年)頃にはほぼ活動停止状態となってしまった。かな文字運動のより本格的な再興は、後年のカナモジカイの発足を待たねばならない。

 

(続きます)

 

和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念 四国・中国・関西3支部合同事業のご案内【予告】

和敬塾創立60周年・塾父生誕120周年記念 四国・中国・関西3支部合同事業のご案内【予告】

今回初めて関西支部が、四国・中国・関西3支部合同事業を企画・担当することになり、大阪や京都の魅力を再発見・体験して頂けるよう、支部の総力を上げて鋭意準備を進めております。正式な予定や会費などは、後日メールまたは郵送であらためてご案内いたします。他支部からのご参加、ご家族同伴も大歓迎です。皆様のご参加を心よりお待ちしております。

☆日 時
平成27年5月9日(土)~10日(日)
☆内 容(予定)
5月9日
午後1時
ホテルセイリュウ集合・受付
午後2時~午後4時
◎元春日・河内国一の宮でパワースポットの枚岡神社正式参拝
◎関西で『いしきりさん』でお馴染みの石切神社参拝と参道散策
午後4時~
◎露天の天然ラジウム温泉&休憩
午後6時~
◎日本一高いあべのハルカスなど大阪の200万ドルの夜景を一望するホテルで飲み放題の大懇親会
午後8時~
◎スカイラウンジから鑑賞する近鉄花園ラグビー場で1,000発打ち上げの2015花園花火大会
・大部屋で2次会
5月10日
ホテル8時30分バス出発
午前10時~
◎「行ってよかった」外国人に人気の日本の観光スポット2014第1位の伏見稲荷大社正式参拝・散策
伏見稲荷大社 禰宜
菅居 正紀氏(西53)案内・講演  『伏見稲荷大社よもやま話』
午前12時~
◎京都伏見名物の焼鳥や日本酒などで打ち上げ
午後2時ごろ解散

・実行委員会顧問
川渕 秀和(元本部会長・西42)  田中 栄一郎(元関西支部支部長・北42)
岩城 本臣(前関西支部支部長・北44)  高松 富博(元旧奈良支部支部長・北45)
・実行委員会会長
安川 啓利(関西支部支部長・北52)

・お問い合わせ
生島 啓二(関西支部幹事長・北5)

和敬塾塾友会関西支部 平成27年 若草山山焼き年賀交歓会のご案内

平成26年11月吉日
和敬塾塾友会関西支部 平成27年 若草山山焼き年賀交歓会のご案内
拝啓 今年もあとわずかになりましたが、塾友の皆様にはますますご清栄のこととお察し申し上げます。平素より、関西支部の運営・活動にご理解とご協力を賜わり、心より御礼申し上げます。
さて平成27年の関西支部のスタートといたしまして、下記のとおり今回は初の試みとなる若草山山焼きの鑑賞を兼ねた年賀交歓会を実施する運びとなりました。時節柄、公私ご多忙の折とは存じますが、奥様・ご家族様ご同伴・お誘い合わせのうえ、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。       敬具
支部長 安川啓利
                              


◎日時   平成27年1月24日(土)  午後2時 (時間厳守)
◎集合場所 近鉄奈良駅 南西口バスロータリー 若草書店前 (バス送迎)
≪オプショナルツアー参加者 午前11時 春日大社社務所集合≫
◎会場   春日野荘 奈良市法蓮町757-2 TEL0742-22-6021 2階畝傍の間
◎会費   お一人様8,000円 ご同伴者6,000円≪オプショナルツアーは別途精算≫
◎スケジュール
≪オプショナルツアーからの方≫
11:00 春日大社社務所集合 正式参拝 11:45〜12:45 春日奥山散策
13:00 大とんど 13:30 春日野荘へ出発 会場で合流 畝傍の間
≪年賀交歓会からの方≫
14:00近鉄奈良駅若草書店前集合 バスで送迎 14:30 受付 15:00~ 年賀交歓会 畝傍の間
17:45 お開き18:00 屋上展望で山焼き鑑賞 甘酒、スープ
18:15 若草山より花火18:30 山焼き点火 19:00 近鉄奈良駅に送迎バス出発
◎担当幹事 安川・平田・浅井・玉山・生島

2014年秋季野球大会のお知らせ(11/9 Sun)

平成26年度秋季の塾友・塾生交流「軟式野球大会」を下記により開催しますのでご案内いたします。

同期会連絡網の活用や後輩への呼びかけにより、野球愛好の塾友に声を掛けていただくようお願いいたします。

 

 

1.日  時: 平成26年11月9日(日)  7時30分集合

・ 試 合  8時00分~10時00分

・ 懇親会 未定

 

2.場  所: 豊島区総合体育場野球場

(東京都豊島区東池袋4-41-30  TEL 03-3971-0094 )

 

3.会  費:  2,000円 (傷害保険料等に充当します。)

 

4.懇 親 会: 未定

 

5.そ の 他:

(1)雨天の中止の場合は、事前に参加者に連絡します。

連絡がないときは、7時30分に集合してください。

(2)マイグラブ、マイバットをお持ちの方は、ご持参いただければ幸いです。

 

以 上

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◇ 参加のご連絡は、塾友会ホームページのお問い合わせメール( wakei4world@gmail.com 、H16北 古閑)にお願いいたします。

 

 

10月25日はホームカミング大会です!

10月25日はホームカミング大会です!

 

第25回ホームカミング大会を10月25日(土)に和敬塾で開催します。

テーマは『和敬塾は「まほろば」、今一度 心に和敬塾を!』です。

 今回は、昭和59年卒の卒塾生が主幹事となって準備を進めております。

10月14日現在で出席の回答をいただいている皆様のお名前を掲載しますので、懐かしいお顔に再会するためにぜひ足をお運びください。

 

○ 当日の次第は、次の通りです。(予定)

受付開始 午前9時30分

第1部 式典開会  10時30分  大講堂

開会

物故者追悼

主催者挨拶   塾友会会長 柳川邦衛(S33南)

祝辞      和敬塾理事長 前川正雄

塾歌斉唱

第2部 記念公演  11時00分  大講堂

祝辞      和敬塾塾長 前川昭一

松坂慶子さん朗読劇「額田王と吉野」~和敬塾特別版

主演 松坂慶子さん

篠笛 鳳声智晴さん 又は 植松容子さん

解説 上野誠(S59北)

第3部 懇親会   12時30分  本館庭園

(雨天の場合は食堂、また雨天の場合は準備のため開宴が少し遅れます)

※式典終了後、講堂からそのまま会場にお移りください。

開宴

主催者挨拶   実行委員長 新保英樹(S59西)

来賓代表挨拶  和敬塾専務理事 佐藤一義

  乾杯

祝宴・抽選会

来年の決意表明(S60卒塾代表)

 

 

 

 

 

 

 

○ 第25回 ホームカミング出席予定者(平成26年10月14日現在)

北寮 南寮 西寮
石井健三 S34 伊藤栄彦 S32 松原達哉 S33
木内正二 S34 柳川邦衛(藤田) S33 新村鋭男 S34
鳥山英二 S36 片岡 隆 S34 竹内利夫 S34
小寺洋一 S36 飯塚文夫 S34 梅田 要 S35
高井 浩 S36 弓削純一 S34 西村正彦 S36
萩野隆市 S37 加島鐐司 S36 村山昌弘 S36
細谷昌平 S37 野末明世 S36 稲本義久 S37
古屋 力 S37 松本洋一 S36 比果雅次 S37
松崎松平 S38 小野勝男 S36 斎藤朋久 S39
三宅章介 S38 海鋒博茂 S36 北野克樹 S39
武田與光 S39 海崎弘之 S36 平島博行 S39
池田泰雄 S39 四宮義之 S37 工藤 晃 S39
紅林一彦 S39 山口剛弘 S37 津村勲夫 S39
岡安宏真 S39 中村陽一 S38 浦辺太郎 S40
中村隆輔 S40 岸上 澈 S39 野村俊彦 S40
栗原直武 S40 酒井陸紀 S39 丸茂博史 S41
石川信介 S40 関根健治 S39 石井利典 S42
青木邦夫 S40 綱島佑吉 S39 川崎清明 S42
青柳義雄 S40 近森 新 S39 平田春生 S42
槇野 彬 S41 阿部紀一 S39 阿部雄次 S44
能登 崇 S41 佐々木眞 S39 笠原 裕 S45
岸本堅太郎 S42 幡鎌武夫 S39 早川浩明 S45
立野嘉之 S42 吉岡豊秀 S39 加茂隆夫 S45
松浦 宏 S42 本庄昭郎 S40 長尾梅太郎 S49
岩城本臣 S44 岡本泰治 S40 堀江祐介 S49
瀬川隆生 S46 田丸道雄 S40 河野秀昭 S49
富田康行 S46 都筑 興 S41 島田元幸 S50
保坂幸博 S46 澤田 学 S41 田中 稔 S51
竹尾道助 S47 古谷徳男 S42 宮原洋一郎 S51
柴田恭秀 S47 笠原將敏 S45 仁志正樹 S52
高橋功二 S49 山本博之 S45 椎名 功 S54
畦地政信 S51 斎藤忠一 S45 宮川純一 S55
井上隆史 S51 下荒地修二 S45 山本 茂 S55
安川啓利 S52 守田俊介 S45 高西淳夫 S55
金子富雄 S52 渡辺 誠 S45 西崎真次 S56
吉海泰至 S53 前田剛志(剛) S46 瀬尾元一郎 S57
田中明彦 S53 田中省吾 S52 大澤 尚 S58
米村 哲 S56 楠 雄一 S53 新保英樹 S59
平見勇雄 S58 中岡宏友 S53 森本雅司 S59
松岡正樹 S58 横山 章 S55 玉井 裕 S59
山田泰司 S58 小田一秀 S57 藤 和彦 S59
松下浩一 S58 松本康広 S57 北村俊一 S59
田村幸永 S58 青井賢司 S57 柴田裕生 S59
吉宮由真 S58 小崎雅也 S57 堤 浩一 S59
上野 誠 S59 田中一朗 S57 大元宏朗 S59
岩田耕一 S59 久野哲男 S58 笠原敏弘 S60
竹下 努 S59 北浦正人 S58 井手博文 S60
武田佳典 S59 木村和敬 S58 山白 敦 S60
永井達也 S59 豊田茂穂 S59 阿部芳典 S60
前田裕造 S59 浅井政彦 S59 井出博文 S60
黒木 茂 S59 長崎耕三 S59 伊大知達也 S60
桜井浩志 S59 水野淳一郎 S59 沖垣佳宏 S60
鳴川雅也 S59 吉村 明 S59 小高得央 S61
柳沢 剛 S59 平岡宏一 S59 鈴木 昇 S62
西元 誠 S59 佐藤達夫 S59 立川哲哉 H01
早川雅司 S59 東家文生 S59 齊藤一郎 H04
立野裕一 S59 岩本隆一郎 S59
手塚経彦 S59 武貞達彦 S59
小古井武夫 S59 福本太一郎 S60
河島 巌 S60 松本裕敦 S60
東 貞成 S60 奥田 徹 S61
水上智幸 S60 兎束哲夫 S62
井手淳一 S60 伊藤栄彦 S32
池田拓郎 S60 柳川邦衛(藤田) S33
角銅剛太 S60 片岡 隆 S34
有賀文威 S63 飯塚文夫 S34
青木貴行 H06 弓削純一 S34
高木孝昌 H10 加島鐐司 S36
太田充俊 H10 野末明世 S36
向井佑輔 H15 安藤浩一 H03
寺田一智 H15 佐々木馨 H05
古閑善丈 H16 結城安浩 H06
黒田英佑 H18 鈴木啓央 H06
松浦 一 H06
新井琢也 H06
細谷岳男 H06
大内 啓 H07
小林秀顕 H08
塚内智洋 H24

 

関西支部・秋の茶話会も盛況!40名が参加 ~産経新聞・吉村 剛史氏(西1)が講演~

 平成26年10月4日土曜日、台風18号が接近する中、関西支部恒例の秋の茶話会が、中央総合法律事務所で開催され、近年の茶話会としては多数の40名の塾友が参加した。今回の講師は、関西支部幹事で産経新聞社の吉村剛史氏(西1)。阪神支局・社会部や夕刊フジなどでご活躍、台北支局長を務められ、現在は関西空港支局をご担当。 その台北支局長のご経験から、日米中で生きるアジアの縮図とも言える台湾の最近の情勢について、期待どおり和敬塾しか聞けないリアルでオフレコのご講演を頂き、活発な議論も交わされた。

続いて山の会・ゴルフ会・猛虎会の活動報告、京都フィル音楽監督・齋藤一郎氏(西4) のコンサートのご案内もあり、さらに趣味の会も充実・発展、ますます活発に活動している。

懇親会は淀屋橋のビヤホールで開催、そして居酒屋での2次会、さらに難波の日本酒豊祝の立呑へ、最後はフラフラになったが、関西支部らしい秋の楽しい一日だった。

次回は新企画!平成27年1月24日土曜日午後3時から、奈良若草山の山焼き鑑賞・年賀交歓会を春日野荘で開催する。ご家族同伴でのご参加も大歓迎。皆様のご参加をお待ちしております。詳細は、後日あらためてご案内いたします。

参加者は次のとおり。
平見勇雄(北58)四国支部長
小野益美(南33)
片岡隆(南34)
篠原克明(北34)
松井精朗(南36)
宮本榮市(西36)
谷口善志郎(南36)
高嶋定弘(南37)
西垣文雄(北38)
古川英紀(西39)
登坂忠夫(北40)
北條弘一郎(北41)
上田正三(北42)
江間範夫(南42)
田中栄一郎(北42)
河口正隆(北43)
岩城本臣(北44)
岩田勝弘(北45)
高松富博(北45)
松浦健次(南46)
栗本一男(南46)
武村文男(南46)
長田正樹(西50)
西本真(北51)
安川啓利(北52)
吉井友実(南52)
平田太介史(北52)
浅井康平(北52)
柏原義之(西56)
沖垣佳宏(西60)
谷川正秀(北61)
大供真一郎(西62)
吉村剛史(西1)
金光秀人(北2)
生島啓二(北5)
岩城方臣(北12)
田垣内学司(北15)
竹田正邦(西17)
玉山勝崇(北17)
橘高裕季(西17)記・生島啓二茶話会_R

~北寮集まれ!~ ホームカミング大会二次会『北悠会』のご案内

~北寮集まれ!~ ホームカミング大会二次会『北悠会』のご案内

 

今年もホームカミング大会終了後に、恒例の北寮卒塾者の集まりである「北悠会」の宴を下記により催します。

北寮OBの皆様、お誘い合わせのうえぜひご参集ください。

 

今回のホームカミング大会の主幹事は昭和59年卒の塾友です。

式典に続いて、女優の松坂慶子さんの朗読劇があります。

北寮の主幹事は、懇親会の企画と運営を担当しております。

 

北寮現役塾生の参加も歓迎しますので、参加をお待ちしております。

 

 

◇ 日時:  平成26年10月25日(土) 午後3時30分ごろから

※ ホームカミング大会終了後となります。

◇ 参加費:  4000円 (現地会場で徴収します。)

※ 北寮現役塾生は無料です。

◇ 場所:  お料理「いり江」

住所: 豊島区高田1-36-21

電話: 03(3981)5463

※ 和敬塾から、目白通りを目白駅へ向かって左側です。

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日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その7~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その7

 

日本語の“国語”化への道 ~国語辞典「言海」出版~(1)


平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

明治初期の日本がいかなる形で西洋思想を受容し、その熱烈な信奉者となっていったかについての一断面は、前々回・前回に触れたとおりである。西洋にならうという事は単なる一過性の流行ではなく、そうしなければ日本は後進国として没落してしまうという危機感、そして西洋文明こそが全世界の文明国が目指すべき唯一普遍の“進化”目標であるはずだという確信が明治初期の知識人たちに共有されたのである。

 

では彼らが信奉した欧米列強諸国は自らの言語をどのように扱っていたかというと、イギリスなら英語を、フランスならフランス語を、ドイツ語、オランダ語、ロシア語…というふうに、各国はそれぞれの国で用いられる言語を、それぞれの国語としてまとめあげる作業を惜しまなかった。(ちなみに国語という言葉も明治期に誕生した和製漢語である。)

たとえばとある国家において、A地方とB地方が別の言語をそれぞれ用いていた場合、同じ国家であるにもかかわらずA地方出身者とB地方出身者は意思の疎通が困難となり、これでは国家の運営に多大な支障が生じてしまう。そそのため、近代的な統一国家は国語を整理し、学校教育による普及を通じてその国の住民たちに同じ言語や文化、伝統を共有する国民としてのアイデンティティを確立させようと務める。(その結果、日本においてはアイヌや琉球のように独自性の高い地方の文化や言葉は失われていく傾向に陥るのだが。)

 

辞典は、それら国語政策における大変重要なツールであったため、各国は官民問わずその国の国語をまとめあげた辞典の作成にいそしんだ。たとえば、アメリカで19世紀に出版された英語辞典「ウェブスター辞典」は、アメリカがイギリスより独立を勝ち取ったという歴史的経緯を踏まえ、イギリス英語ではなくアメリカ英語にもとづいていた、といった具合であった。

 

 

 

言葉の海のたゞなかに… 大槻文彦の苦闘

 

欧米列強を模範とした日本も、日本語を国語として整理体系化するにあたり、近代的な国語辞典の編纂は必須であった。その困難な作業をほぼ独力で成し遂げたのは、前回紹介した歴史書「萬国史略」の翻訳作業にあたった洋学者の大槻文彦(1847~1928であった。彼が半生を捧げて大成した日本最初の近代的国語辞典は、言(げん)海(かい)という。

 

WEB言海: http://www.babelbible.net/genkai/genkai.cgi

 

洋学者を祖父、儒学者を父に持っていた大槻は文部省に勤務していた明治7年、上司の西村茂樹より国語辞典の編纂を命じられるが、まさかこれが自身の後半生を賭すほどの一大事業になるとは夢に思わなかったに違いない。

当保、彼は日本語辞典をつくるにあたっては、アメリカのウェブスター辞典をそのまま日本語に翻訳すればよいと簡単にとらえていた。現代の我々からすれば、英語辞典をもとに日本語辞典をつくるという発想に突拍子もない印象を受けるが、以前も紹介したように当時の日本は翻訳教科書時代、読み書きの教科書すらアメリカのリーディングテクストを翻訳して使っていたような時代でもあった。

 

ところが、作業を進めるにつれ次第に事はそう単純ではないことが明らかとなる。英語を日本語に翻訳しただけでは、英語には存在しない日本語独特の表現や単語は当然もれてしまうし、同じ言葉でも国が違えばその意味するところは違ってくるものも多い。

(たとえば、brotherは“兄弟”を意味するが、年長の“兄”、年少の“弟”を意味する単語は英語にはない。)

 

更に日本語の中には意味のよくわからないもの、時代によって意味の変わってくるもの、由来が不明なものも多かった。語源にしても日本語本来の大和言葉もあれば、中国朝鮮由来の言葉やインド由来の言葉、ポルトガルやオランダ由来の言葉もある。更に福沢諭吉ら明六社のメンバーによって社会とか国民とか科学とか新しい言葉が次々と作られる真最中でもあった。(ちなみに大槻文彦も明六社の会員であった。)

とにかく前例のない作業であったため参考文献を探すところから始めねばならず(当然それら参考文献も現在のように整理されているわけではなかった!)、祖父や父の蔵書をはじめ各地に参考文献を求めて駆けまわる毎日が続いた。参考文献の中には、本稿その2に登場した漢字批判者の賀茂真淵や新井白石のものも含まれていたようである。

 

単語の意味を調べる一方で厄介だったもう一つの作業は品詞分類であった。現在では、単語はそれぞれ名詞・動詞・形容詞・副詞・前置詞…というように細かな分類がなされて辞書にもその言葉がいかなる品詞に属するかも記載されているが、西洋の言語学からやってきた品詞分類という発想はそれまでの日本語にはなかったため、単語の意味の特定と同時に、近代言語学的観点からの日本語文法の研究作業も同時にすすめねばならなくなった。結果、言海は国語辞典であると同時に文法書の性質も備えるに至り、冒頭に日本語文法を解説した語法指南の項が設けられるに及んだのである。作業量は更に膨れ上がった。

 

…こうして作業開始から7年目の明治15年に初稿があがり、更に4年の校正機関を経て明治19年に言海の原稿はようやく一応の完成をみた。

 

言葉の海のたゞなかに櫂(かい)緒(お)絶えて、いづこをはかとさだめかね、たゞ、その遠く廣(ひろ)く深きにあきれて、おのがまなびの淺(あさ)きを耻(は)ぢ責むるのみなりき。

 

言葉の海のただなかにあって船を進ませる櫂を失い、場所も定まらぬ中、ただその言葉の海の遠大さと深さに呆れ、おのれの学の至らなさを恥じるのみ…。10年以上の月日をかけて大槻文彦は日本語という苦海を漂った。

それでも、労苦の日々はまだ終わらなかった。今度は、印刷という技術上の問題が待っていたのである。

 

植字校正のわづらはしきこと、熟練のうへにてもはかどらず

 

原稿が完成すればいよいよあとは出版である。しかし文部省内部の種々の人事異動などの事情もあり、原稿は日の目を見ぬまま死蔵状態となってしまった。

更に2年後の明治21年、ついに自費出版という形で出版するはこびとなり原稿を下賜された大槻であったが、苦難はまだ終わらない。

 

印刷は当時日本では最新の印刷技術であった西洋伝来の活版印刷が用いられることとなったが、当初の原稿のままでは活版に適さない部分も多く出ていたため、一度校正の終わった原稿を更に校正する作業にとりかからねばならない。結局校正は6回に及んだ。

 

日本にはじめて活版印刷が紹介されたのは安土桃山時代のキリスト教宣教師によるものとされており、江戸時代には徳川幕府が朝鮮渡来の活版印刷を用いて書物の編纂を行ったこともあった。しかし民間の出版は長らく一枚の版木に文字や絵を彫り込む木版画印刷が用いられ続けており、文字一字一字を活字に分解し、ページごとにそれら活字を組み替えるという活版印刷の発想が本格的に民間に紹介されるのは幕末を待たねばならなかった。

が、アルファベットと各種数字や記号のみを用いればよい欧米と違い、日本語はひらがな・カタカナ、そして数万に及ぶ漢字があるため、いくら活版印刷が効率的とはいえその作業量は欧米のそれと比べて膨大なものになってしまう。辞典ともなればなおさらだ。

 

 

まず、ひらがなやカタカナなどかな文字の活字の規格が統一されていなかったため、文字の寸法がいちいち違うなどの問題が生じた。更に辞書のため、あまり一般的でなく活字の用意されていない漢字も頻出し、それらの活字は新たに鋳造せねばならなかった。

 

私事においても不幸は続発した。校正の協力者が脳溢血で倒れ、更には愛する妻と娘も病で失うなど苦難と不幸を大槻文彦は味わい尽くした。刊行計画は遅れに遅れ、予約者達は大槻文彦の名前をもじって大うそつき先生とさげすんだ。そのあたりの困難、苦闘、胸がつかえるような悲しみを、大槻文彦はことばのうみのおくがきに詳述している。

 

ことばのうみのおくがき

http://www.aozora.gr.jp/cards/000457/files/43528_17152.html

 

こうして明治24年、計画の発足より16年の月日を要したのち、ようやく言海は出版にこぎつけ、完成祝賀会には時の内閣総理大臣伊藤博文をはじめ各界のそうそうたるメンバーが集ったという。

 

(続きます)

名プロデューサーを偲んで (平成19年北寮卒 浅野克行)

大阪に向かっている。彼の訃報に接したのは3月。半年が過ぎてしまった。彼とは学生時代に和敬塾北寮で出会い、4年間苦楽を共にした。先輩に可愛がられ、後輩に慕われ、同輩に愛された彼は、今年の1月11日に命を落とした。

ラガーマンである彼は、体育祭で大活躍。そのごつい体と男気あふれるプレー で、柔道、綱引き、騎馬戦と、パワー系種目の第一人者となった。そしてよく飲んだ。我先にジョッキを手にし、決して強くはない酒を、仁王様みたいな顔をし てあおっていた。彼との飲み会は、いい思い出ばかりだ。

豪放磊落、と言いたいところだが、そうではないところに、彼の魅力がある。 ひとつひとつに真面目な人だった。こだわりも強く、洋服や家具など、身の回りのモノに人一倍の愛着を持っていた。同期の忘年会や学年旅行を何度も企画して は成功に導き、いつしか「P」というあだ名もついた。卒業の年には、塾友会幹事に満場一致で選出された。繊細で謙虚でマメにして、奥手。それが彼の勲章 だ。

こつこつまとめた同期会名簿をもとに、彼が年賀状を寄越してくれる。「明けおめ!まだまだ不定期勤務は続きます。今年もヨロ。」相変わらず圧の強いカクカクの字で。今年の正月は喪中だと丁寧に葉書をくれていた。

じゃーな、P。ジジイになったらまたくるわ。丹波路の 高き空みて カップ酒。合掌。

平成26年9月15日 浅野克行

ida

関西支部 秋の茶話会のご案内

平成26年8月吉日
和敬塾塾友会関西支部 秋の茶話会のご案内
拝啓 時下、塾友の皆様にはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は、関西支部の運営・活動にご理解とご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。
前回は、元奈良支部長でダイドードリンコ株式会社取締役会長の高松 富博氏(北・45)を記念講演の講師にお迎えし、過去最高の76名様のご参加のもと、盛大に平成26年度総会が実施でき、重ねて御礼申し上げます。
今回の茶話会の講師は、関西支部幹事で産経新聞社 前台北支局長の吉村 剛史氏(西1)、テーマは『最近の台湾情勢』についてであります。台北支局長として3年間ご活躍され、本年6月に帰国されたところであり、台湾情勢など日本を取り巻く現在の国際状況などについて、和敬塾でないとお聞きできないご講演を頂く予定であります。なお当日は、懇親会も予定しております。時節柄、ご多忙と存じますが、お誘い合わせの上、多数ご出席頂きますようご案内申し上げます。
敬具            支部長 安川 啓利

① 日 時  平成26年10月4日(土) 午後3時~
② 場 所  中央総合法律事務所 5階セミナー室
③ テーマ  『最 近 の 台 湾 情 勢 に つ い て』
④ 講 師      産経新聞社 前台北支局長   吉 村 剛 史 氏 (西・1)
⑤ 出欠返信 9月30日(火)までにwakeikansai@yahoo.co.jpまでご連絡お願い致します。
⑥ 担当幹事  西本、田垣内、玉山、生島

≪ 今 後 の 活 動 予 定 ≫
◎2015年 奈良若草山山焼き 年賀交歓会
日 時:平成27年1月24日土曜日 午後3時~
場 所:春日野荘 (近鉄奈良駅・JR奈良駅からの送迎あり)
*春日大社と春日奥山めぐり(午前11時~)のオプションもあります。
◎支部の活動報告や趣味の会行事などは、関西支部フェイスブックや本部ホームページに掲載しております。
〆切:9月30日(火)

関西支部~和敬猛虎会~

8月21日、阪神の首位浮上への期待が高まる中、関西支部有志で京セラドーム大阪での阪神vs中日公式戦を観戦し、阪神が勝利した。吉井友実会長 (副支部長・南52)のお世話で関西支部の趣味の会にスポーツ観戦が加わり、さらに活発になった。

第1回は、6月9日に甲子園で行われた阪神vsソフトバンク交流戦。甲子園特有の臨場感と浜風を感じながら観戦した。阪神の完封負けだったが、近くの中華料理万里での打ち上げで盛り上がった。

今回の打ち上げは、大阪なんばにある阪神ファンが集う炭火焼鳥とつけ麺の店きゅうじへ移動、川渕秀和名誉会長(元塾友会会長・西42)の乾杯でスタート、今後の阪神や関西支部の展望などを語り合った。

参加者は以下のとおり。

川渕秀和(西42)
西本真(北51)
小林由美
吉井友実(南52)
平田太介史(北52)
山本淳司(南5)-北陸支部
生島啓二(北5)
小山慎二(南10)
京谷宗吾(北12)
京谷夫人

記・生島

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2014夏 塾友・塾生交流野球大会開催のご案内

平成26年7月吉日

 

塾友・塾生交流軟式野球大会開催のご案内

 

塾友会首都圏支部の行事として、平成26年度の塾友・塾生交流「軟式野球大会」を下記により開催しますのでご案内いたします。

平成21年までは本部の行事として年2回ほど実施しておりましたが、場所の確保ができず休催していたところ、ようやく会場が取れましたので久しぶりに開催いたします。

つきましては、プレーされる方はもとより、心強い応援が必要ですので老若を問わず奮って参加いただくようよろしくお願いいたします。

併せて、同期会連絡網の活用や後輩への呼びかけにより、野球愛好の塾友に声を掛けていただくようお願いいたします。

 

 

1.日  時: 平成26年7月20日(日)  7時30分集合

・ 試 合  8時00分~10時00分

・ 懇親会 12時00分~13時00分

 

2.場  所: 豊島区総合体育場野球場

(東京都豊島区東池袋4−41−30  TEL 03-3971-0094 )

 

3.会  費:  2,000円 (傷害保険料等に充当します。)

 

4.懇 親 会: 野球の試合終了後、和敬塾・会食室(学生ホール1F)で懇親会を行います。

 

5.そ の 他:

(1)雨天の中止の場合は、事前に参加者に連絡します。

連絡がないときは、7時30分に集合してください。

(2)マイグラブ、マイバットをお持ちの方は、ご持参いただければ幸いです。

 

以 上

—————————————————————————————————————–

◇ 参加のご連絡は、7月16日(木)までに塾友会ホームページのお問い合わせメール( wakei4world@gmail.com 、H16北 古閑)または次にお願いいたします。

 

① 首都圏支部

(ア)Email: agenda-c@atlas.plala.or.jp または katsundo@mars.plala.or.jp

(イ)電話: 03-3523-3467

(ウ)FAX: 03-3523-3463

② 担当: 富田 康行(S46 北寮)

(ア)Email: qqsw72n59@sirius.ocn.ne.jp

(イ)携帯電話: 090-1582-4489

 

関西支部総会『ダイドードリンコ会長 高松富博氏が講演』、最高の75名が参加!

平 成26年7月5日土曜日、大阪・中之島のリーガロイヤルNCBで関西支部平成26年度総会が開催され、佐藤一義 和敬塾専務理事、島田元幸 本部副会長兼 群栃支部長(西50)、城野雄博 本部副会長兼中部支部長(南61)、平見勇雄 本部副会長兼四国支部長(北58)、下荒地修二 首都圏支部長(西 45)、田中克人 首都圏支部長代行(西42)、森本栄治 北陸支部長(南52)をはじめ、過去最高となる75名が参加した。当日は、京フィル音楽監督として活躍中の斉藤一郎氏(西4)の指揮による塾歌斉唱に始まり、事業報告と会計報告のあと役員改選が行われ、4年間多大なご尽力を頂いた岩城本臣氏(北44)から支部長代行の安川啓利氏(北52) に支部長が交代、新幹事に沖垣佳宏氏(西60)、吉村剛史氏(西1)、田垣内学司氏(北15)、竹田正邦氏(西17)が加わり、さらに世代交代を進めた。今 年は、地元のダイドードリンコ株式会社取締役会長で元奈良支部長の高松富博氏(北45)が、『夢を追いかけたら、自販機ビジネスがヒット』というテーマで 記念講演。ご自身でも初めてという貴重なご講演で、会社の歴史や商品開発、日本の祭りの取り組みなどとともに、和敬塾が大好きという思いも披歴された。

懇親会では、若手で総務幹事の岩城方臣氏(北12)がご夫人とともに結婚報告するなど盛り上がり、二次会は大阪の話題スポット・中之島の大川沿いにあるカフェバーに場所を移し、水の都・大阪の納涼を楽しんだ。来年平成27年は、和敬塾創立60周年・前川喜作塾父生誕120周年、若草山の山焼き鑑賞を楽しむ年賀交歓会、四国・中国・関西3支部合同事業の大阪・奈良での開催などを計画している。本総会で関西支部伝統の強固な結束力を再確認し、これから関西支部が先導的な役割を果たし、塾友会をリードするとともに、ワン関西で支部の時代を盛り上げていきたい。

 
記・幹事長 生島啓二(北5)2014総会集合¥補整_R

和敬塾関西昭和42年卒組「古稀祭」

猫も杓子もW杯で騒がしかった2週間余りでしたが、結局日本の実力はまだまだ世界には遠いという事でしょうか。

2014年6月15日はW杯コートジボワールとの最初の重要な一戦という、どこの家庭でもTVにかじり付いていた重要な日曜日でした。

丁度、その日の11時に大阪のとある場所でひそかに実施されたのが、和敬塾関西昭和42年卒組同期による”古稀祭”と称するお祭りでした。TVも見たいが、一生に一度の古稀を迎えても誰も祝ってくれない為、「自分たちで自分たちを祝おう!」という合言葉で祭り開催を決めた。丁度その日は、父の日でもあったが、ここまで来られた功績大は奥様達であるとばかりに、お礼の意味も込めて多くの奥様にも参加して貰った。此処までこぎつけるまでは、奥様達からは、「また和敬塾?この間も会ったじゃないの!」「50年も前の仲間なんでしょう?」「和敬塾と家族とどっちが大事なの?」というつぶやきや非難の目もあったが、下打ち合わせ会という名目で祭りの準備は着々と進められていた。今までも42年組はなんだかんだ理由を付けては、「酒祭」だとか「柿祭」という集まりをしては騒いでいるが、体の節々もコキコキ言って来たので今度は「古稀祭」だという。関西同期でどうしても参加できない友も3人ほどいたが、当日は福島や東京から42年組が駆けつけてくれたし、既に古稀は遠く昔に通り過ぎた大先輩も四国や関西各地から差し入れと共にお祝いに来て下さった。勿論、関西支部長の指示のもと、支部の若手も手伝いを兼ねて、10数年後には迎える古稀の下見に来てくれたことは言うまでもない。先日まで台湾の支局長をしていた某後輩(後輩にしては随分巨体だが)も終盤に転がり込んでくれ、一部ファンと称する人たちやなじみの飲み屋のマスターも加わって、総勢40名ほどの会費制、フリードリンク制の「古稀祭」であった。

古稀祭り

冒頭、仲間の黙祷(関西42年同期:喜多広育、中川隆雄)を初めに行い、残念ながら「古稀祭」に加われなかった彼らにも聞こえるように「塾歌」を全員で斉唱して古稀祭は始まった。

メインの出し物は、総合企画プロデューサー<田中栄一郎:北>、司会進行<川淵秀和:西>の元、3つのメインディッシュが準備されていた。

①   アメリカ仕込みのカントリー・ミュージックを<上田正三:北>が語りと共に華麗に演奏することで古稀祭のメインディッシュが始まった。某I先輩は興に乗って、スーザンを引っ張り出してワルツを踊りだす程であった(注:上田正三は奥さんを何故かスーザンと呼んでいるらしい)。エディ上田は今でも現役で舞台に上がっているが、お金を取れない舞台は久しぶりだとつぶやいていた。

 

②   50歳で早期退職をしてまで好きな演劇の道に入ったのが、現役俳優<平澤洋爾:南>だ。NHKの“ごちそうさん”他多くのCMにも出ているようだが、どんな役が付いても無難にこなせるように種々の練習を欠かせないらしい。歩き方、話し方、老け方、歌い方・・・。その中の一つである東映太秦流(うずまさ)殺陣の「基本10の作法」は20年の年季が感じられた迫真の演技で斬られ役の司会者も腰を引いていた。正眼、上段、下段、切り上げ、八双、鍔迫り合い、払い、抜き、切り下げ、突き。  お見事!

 

③   最後は、秘書に配属されたお蔭で、社長のお供で通った京都先斗町や祇園の茶屋仕込みという触込みの<江間範夫:南>が出てきた。“堤勢揃いの場”「問われて名乗るもおこがましいが……」鍛えし声色に加え、唐傘を片手に持ち 「日本(にっぽん)駄~右~衛門!」と見えを切るしぐさは流石である。本職はいったい何?いい会社だねえ!という声がしきりに飛んでいた。口三味線というのであろうか、「チントンシャン・・・ペペンペンペン」いやはや恐れ入りました。

それぞれ、年季が入った味のある内容で参加者一同も感激してくれたと思います。最後に全員で,You are my sunshine を合唱し、一同「東京オリンピックまでは元気に生きよう」という言葉を心に誓ったのであった。

駆けつけて下さった先輩、同期の仲間、そして後輩から多くの差し入れを戴き紙上を借りて御礼申し上げます。余りの多さに、全員に空くじなしでお土産としてお持ち帰りいただきました。

そして、残念ながら参加がかなわなかった、前川正一塾長、京都フィルの音楽監督に就任した斉藤一郎君、同期の川崎清明君からの心のこもった祝詞は途中でご披露させていただきましたところ拍手喝采であったことをお伝えしておきます。

興奮冷めやらぬ一部の先輩、同期の面々並びに奥様方は準備されていた2次会の場で更に盛り上がったのでありました。こういう古稀祭を開催することで、和敬塾の良さ・伝統・結束が全国に広がれば、塾のPRにもなるものと信じています。継続イベントである全国ゴルフ会、ニューイヤーコンサート、囲碁大会、山の会等に古稀祭も加えて頂ければありがたい。 (文責:川淵秀和)

出席者:35野上繁、36谷口善志郎、39池田泰雄、41萩野康哉、42山田恭久夫妻、江間範夫夫妻、上田正三夫妻、平澤洋爾夫妻、田中栄一郎夫妻、林宏夫妻、寺本保英夫妻、吉村典晃夫妻、川淵秀和夫妻、田中克人、鈴木邦彦、44岩城本臣、48江間康雄、51西本眞、52浅井康平、安川啓利、吉井友実、56尾崎好輝、60沖垣佳宏、吉田治、H1吉村剛史、H5生島啓二

第44回関西支部ゴルフ会

梅雨の晴間、6月4日(水)兵庫県は播磨の地にある「武庫ノ台ゴルフコース」において、第44回関西支部ゴルフ会が開催された。

この会は年4回の頻度で開催されており、早や11年間続いている歴史あるゴルフ会だ。この会は、開催当初より、大会世話人として瀬尾宏郎氏(34・南)と西祐作氏(37・西)両名の絶大なるご尽力により続いている。

今回は参加者13名、4組の小ぢんまりとしたゴルフ会ではあるが、和気あいあいとした雰囲気の中、9時15分のスタートで始まった。

この種のゴルフコンペでは、ダブルぺリア方式が多い中、この会は歴史のある会にも拘らず大会世話人のご努力により、ハンディキャップ(HC)方式である。と云うことは、

この方式ではより平等を期するため、数年に1回、HCの改正が行われ、常に新しいHCで競技が続けられているのである。

試合結果は、優勝者が何と7アンダーの99で回った小生であった。いかに今までの成績が悪かったかの裏返しであるが、次回のHCは21と云う二度と優勝が不可能なものとなった。

2位は、今回のベストグロスと云う栄冠を勝ち取った大会世話人の西祐作氏で、グロス91、ネット69と云う素晴らしいスコアだ。

3位は、萩野康哉氏(41・北)で、グロス106、ネット70であった。

競技には参加されなかった大会世話人である瀬尾氏は、わざわざ表彰式にご出席いただき、懇親会を盛り上げて下さった。

 次回の第45回大会は、9月24日(水)を予定しており、多くの方の参加を約し散会となった。皆様、ご苦労様でした。
江間範夫 〈記〉

関西支部ゴルフ写真

 

 

〈参加者〉 森篤(36・北)、森本欽公(36・西)、松井精朗(36・南)、中村信三(37・西)、西祐作(37・西)、比果雅次(37・西)高嶋定弘(37・南)、萩野康哉(41・北)、江間範夫(42・南)、田中榮一郎(42・北)、福田稔(43・西)、徳永明夫(44・北)、高松富博(45・北)

第1回甲子園会

第27回和敬塾塾友会全国ゴルフ大会 in 長崎 ~その2~

◇ 長崎観光

1.九州・山口の近代化産業遺産群のひとつ「軍艦島」に上陸

平成26年4月13日、ゴルフ大会当日の日曜日、私たち観光組は、前夜祭の余韻も冷めやらぬまま、地元稲佐山観光ホテルの小林秀顕社長(H8南)のアテンドにより、早朝に長崎港をクルーズ船で出発した。

あいにくの雨となったが、眼前には長崎港を取り囲む濃い緑の山々があり、右手には日本有数の造船所のクレーン群が見える。

左手の南山手に建つ グラバー邸に見送られながら、私たちの船は港口に架かる女神大橋をくぐり、すべるように外海へと出た。

目的地は、通称「軍艦島」と呼ばれる端島。長崎港の南西約19キロメートルに位置する周囲わずか1.2キロメートルの小島だ。明治期から海底炭鉱によって栄え、昭和30年代には五千人を超す住民が暮らしていた。鉄筋コンクリート造りの高層住宅が建ち並び、その姿が軍艦のようなのでこの名がついた。

昭和49年の閉山とともに住民が去り、今は無人島となったが、明治期の産業遺産を地域の観光に活かそうと、島の南部に通路が整備され、観光客が上陸・見学できるようになった。

私たちは横なぐりの雨のなか、レインコートを着て廃墟となった島に上陸し、日本の近代化を支えた人々とその家族に思いを馳せた。軍艦島は平成21年1月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、ユネスコの世界遺産暫定リストに登録されている。

2.長崎中華街のちゃんぽんを堪能

長崎市内に戻ってからは、中華街と長崎歴史文化博物館を訪れた。

中華街では昼食に名物のちゃんぽんや皿うどんを賞味した。

ちゃんぽんは、明治の中頃、中国から日本に来た留学生に安くて栄養のある食べ物を提供しようと、当時の中華料理店の店主が考案したものだそうだ。

私たちはおいしい名物料理をたっぷり堪能した。

3.長崎歴史文化博物館で江戸時代にタイムスリップ

昼食後は行政書士の橋本剛氏(H4西)の案内で、長崎歴史文化博物館を見学した。

江戸時代の長崎奉行所があったところに瓦屋根の歴史的建造物が再建され、博物館として利用されている。その外観だけでも一見の価値がある。

館内に入ると、キリシタンゆかりの品やオランダとの通商時代の文献などが展示してある。この日は伊藤若冲の企画展が開催されており、稲佐山観光ホテル小林秀顕社長の計らいで期せずして江戸中期の奇才の逸品を楽しむことができた。

4.おわりに

今回の長崎観光では、地元長崎支部のみなさまにたいへんお世話になりました。特に、観光ルートの企画や訪問先の手配をされた稲佐山観光ホテルの林秀顕社長と小林央幸専務(H10南)、当日のアテンドをされた橋本剛氏には、参加者一同、心からお礼を申し上げます。

 田嶋典明(S53北)記

観光組集合写真

 

第27回和敬塾塾友会全国ゴルフ大会 in 長崎 ~その1~

 

◇   ゴルフ大会

オーガスタでマスターズの熱戦が繰り広げられていた4月13日(日)、長崎の地においても全国ゴルフ大会の熱き戦いが行われましたので、レ ポートいたします。

戦いの舞台は、パサージュ琴海アイランドゴルフクラブ。大村湾に突き出た半島の中にあり、日本ではめったに味わうことのできない本格的なリンクスコースです。平成22年に日本プロゴルフ選手権が開催された、九州のゴルフ場ランキングでも常に上位に入る人気コースです。

あいにくの雨が降りしきる過酷な条件の中、10組37名の選手は1人のリタイアを出すこともなく、ラウンドを貫徹されました。改めて、和敬塾 の先輩方の精神力に感服いたしました。

パサージュ琴海と言えば3番ホール。173ヤード、海越えのショートです。哀れにも白球が海の藻屑と消えた方、ドンピシャに付けて見事ニアピ ンを奪った方など、悲喜こもごものドラマが待っていました。

優勝は昭和39年西寮卒の平島先輩。「帰りたい、帰りたい。」とボヤきながらも、しっかり優勝トロフィーを持ってお帰りになられました。

ベスグロは、昭和44年北寮卒の岩城先輩。賞品として、昭和33年南寮卒の柳川先輩からご提供いただいた、ご友人(!)のジャック・ニクラス氏直筆 のサインを獲得されました。

ゴルフのスコアについては、個人情報保護と参加者の名誉の観点から割愛させていただきます。

寺田俊章(H10南)記

 ベスグロ賞の岩城さんとジャック・ニクラウスの直筆サイン色紙と贈呈する柳川さん

スタート前の集合写真

第25回ホームカミング大会を10月25日(土)に開催!

ホームカミング大会は今年で25回目を迎えます。主幹事を昭和59年卒の塾友が務め、例年通り10月の最終土曜日、25日に開催します。

テーマは、『和敬塾は「まほろば」、今一度 心に和敬塾を!

素晴らしい場所、住みよい場所の意を、古語「まほろば」に込めました。

そして今年は、女優・松坂慶子さんに朗読劇を演じてもらうことになりました。額田王に扮した松坂さんが「古代の衣装」を身にまとい、大講堂に登場します。和敬塾向けの特別公演とすべく、準備を始めたところです。

松坂さんは、「和敬塾で、今回、朗読劇をさせていただく機会をいただき、ありがとうございます。愉しんでいただけましたら幸いです」と、目白台の和敬塾訪問と公演を楽しみにされております。

午後は、いつものように本館前庭でのガーデンパーティーを予定する。前回は台風接近という荒天のもと、大食堂で空間も時間も濃密なひと時だった。この秋はぜひ、爽やかな外気にふれる歓談の場となれば」と願っております。

日本を代表する女優の特別公演という華やかな催しが加わったホームカミング大会に、ぜひ、奥様や家族連れで参加してください。

また、59年卒各寮の皆さん、まさかの松坂慶子さんご来塾という展開に、人出が大幅に足りません。秋本番へ、お手伝いをお願いします。

森本雅司(S59西)記

○   朗読劇「額田王と吉野」(和敬塾特別版)とは…

額田王(ぬかたのおおきみ)の生年は諸説あるが、舒明・皇極・孝徳・斉明・天智・天武・持統の7代の天皇の時代を生き抜いた女性とされる。大化の改新から壬申の乱を経て飛鳥や藤原京の造営に至った激動の時代の宮廷歌人だった。

その晩年は、吉野行幸を度々繰り返した持統朝に重なり、宮廷歌人の地位は柿本人麻呂に取って代わられていた。

人生の苦楽、愛の気高さや移ろいやすさも知った額田王のもとに、吉野入りしていた皇子から手紙が届く。額田王は問わず語りに、自らの半生を語り出すのであった。

この朗読劇は、原作「額田王と吉野 古(いにしえ)に恋ふる鳥」(書肆アルス刊、著者は上野誠・奈良大教授・S59北)を、松坂慶子さんが演じている。

奈良県吉野町で初演、東京・よみうりホールで東京公演を行い、今年6月には愛知県豊田市公演などが予定されている。

本来は、朗読する松坂さんのほか子役、尺八、筝・十七弦などが脇を固める。ホームカミング大会では、松坂さんと、弦楽器の伴奏を予定しており、和敬塾公演の特別バージョンとすべく、準備を進めている。

 

松坂慶子さん

 

 

[ 写真は、奈良県吉野町教育委員会様からご提供いただきました。]

[ 松坂慶子(まつざか・けいこ)さん経歴 ] 1969年に映画デビュー。81年「青春の門」、「男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎」で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。翌年「蒲田行進曲」で連続受賞。90年「死の棘」がカンヌ国際映画祭グランプリと国際批評家連盟賞の二冠に、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞も。
 近年の主な作品は、映画「犬神家の一族」(06年)、「武士の家計簿」(10年)、「綱引いちゃった!」(12年)、NHK大河ドラマ「篤姫」(08年)、火曜ドラマ「マドンナ・ヴェルデ」(11年)、土曜ドラマ「キルトの家」(12年)、ドラマW「チキンレース」(13年)、フジテレビ「長谷川町子物語~サザエさんが生まれた日」(13年)など。

◎  新保実行委員長ご挨拶 「記憶に残る大会に!」

第25回ホームカミング大会の実行委員長となりました。

来年は「塾父・前川喜作翁の生誕120周年」と「和敬塾創立60周年」という節目の年を迎えます。

その前年にあたり、年初の記念イベント「和敬ニューイヤーコンサート」を嚆矢として、秋のホームカミング大会も記念イベントの一翼を担いたいと考えております。

そのためにも、本年の実行委員は、「記憶に残る、元気の出る大会」にするべく、精一杯頑張っていきます。是非皆様のご支援・ご参加を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。

第25回ホームカミング大会実行委員長 新保英樹(S59年西)

7月26日(土)に開催予定「全国囲碁大会(和敬囲碁名人戦)」

 

『塾友会・全国囲碁大会』のご案内

永世名人位争奪

第21回和敬塾囲碁名人戦

主管:塾友会本部  共催:首都圏支部

 

■ 日   時    平成26年7月26日(土) 午前9:45集合(受付、組合せ)

棋戦 10:00~16:00  表彰式・懇親会 16:30~17:30

 

■ 会   場    日本棋院・有楽町囲碁センター 

住所:(〒103-0028)東京都千代田区有楽町2-10-1 交通会館9階

JR有楽町駅 京橋口、中央口正面のビル

TEL:03-6269-9133

■ 参加資格    塾友・塾生・塾職員・塾関係者及びそのご家族などで主催者承認の者

 

■ 競技方法    【名 人 戦】オール互戦

【A クラス】有段者・ハンデ戦

【B クラス】級位者・ハンデ戦

 

■ 表   彰    理事長杯(持ち回り、レプリカ付き)、塾友会長杯、首都圏支部長杯 、

※他・賞品の寄付歓迎。

 

■ 永世名人  名人戦にて通算5回または連続3回優勝者を永世名人として表彰し、

永世名人杯を授与。

*現在、橋本誠介6段(36北)が通算3回の最多優勝者です。

 

■ 競技終了後打ち上げの清宴を行います。

■ 7,000円(当日、会場にて申し受け致します)

※ 会場費、昼食代、清宴代、賞品代など一切含みます。

 

■ お申込み    囲碁趣味塾友の方々に別途郵送にてご案内します。

また、同案内のない方も参加ご希望の方は以下の大会実行委員宛

ご連絡下さい。

 

◇大会実行委員

[塾友会本部・囲碁幹事]

桑原信二(46北) 携帯:090-4524-2757090-4524-2757

E-mail:snkuwahara@s07.itscom.net

〔首都圏支部・囲碁幹事〕

西村正彦(36西) 携帯:090-6300-2068090-6300-2068

小澤 拓(h2北) 自宅TEL:042-855-5211042-855-5211

E-mail:hiro-ozawa@jcom.home.ne.jp

 

以  上

塾友会中国支部総会(新年会)

塾友会中国支部総会(新年会)

 

1月26日に広島市内のエンジェルパルテにて、新年会を兼ねた総会を開催しました。今回は、久々の日曜日正午開催ということもあり、広島県東部の福山市、岡山県、そして山口県からも、近年では最も多い総勢18名が集いました。

総会は、冨永支部長の挨拶の後、決算及び事業報告が「簡潔に」行われ異議なく了承されました。

新年会は、中国支部初代支部長の永井顧問の乾杯発声でスタート。続いて富田塾友会副会長よりご挨拶をいただき、その後順次出席者から近況報告が行われました。

既に社会の第一線から退かれている方を含め、異業種でありながら、最大年齢差40歳の人たちが集える会というのも、和敬ならでは。初対面でありながらも、旧知の仲のような信頼感が心の奥底に芽生えてきます。先輩を前に、ビールは飲み干してから注いで頂く、そんな和敬時代の習慣に舞い戻ってしまうのも、楽しいひとときです。

そして宴たけなわの中、和敬塾に勤務している大谷氏によるエール、CD伴奏付きで塾歌の斉唱、最後に溝手顧問による中締めと、あっという間に2時間が経過しました。

この会の席上、中国支部のそれぞれの地域でも「集まる会」を開こうということになり、さっそく2月22日には4名参加のもと「福山地区会」が、また3月8日には8名参加のもと「新春の会in山口」が開催されました。「in山口」については別稿をご覧ください。

最後に、遠路よりお越し頂きました富田塾友会副会長、本会の様子を撮影し、参加者全員に写真配布頂きました兒玉先輩に心から御礼申し上げます。

(佐藤政秀)

出席者

富田 康行(46北) 永井 昌治郎(34北) 兒玉 辨二(36南) 溝手 憲一郎(37西) 中村 修司(38南) 近森  新(39南) 山田 功(41北) 新田  実(44南) 大嶋  登(46北) 奥谷 勝則(48南) 田内 裕千(49南) 冨永 嘉文(50北) 山本 正(52北) 岡本 久泰(58南) 藤本 寿徳(H3西) 大谷 英二(H5北) 田中 宏幸(H5北) 佐藤 政秀(H9南)

塾友会中国支部総会(新年会)

塾友会中国支部総会(新年会)

H15北卒 vs H16北卒のゴルフマッチプレー報告

皆さん、こんにちは。 平成16年北卒の古閑です。

 

2014年3月2日に、H15北卒 vs H16北卒のゴルフマッチプレーを実施しました。

 

今回の会場は、ニュー南総ゴルフ倶楽部。
http://www.newnanso.com/

 

朝から小雨が降り、気温も低く寒かったため他のお客様は相次いでキャンセルされていたとのこと。
待ちに待った和敬ゴルフということで我々は当然のように決行してきました。

 

 

和敬ゴルフ

和敬ゴルフ

 

H15年北卒の福田さん&上村さんペアと、H16年北卒の高松&古閑ペアのマッチプレー。

1ホール毎に、それぞれのペアのストローク数を掛け算して出した数値が低い方が勝ちのルールです。
この、「掛け算」ってとこがポイントで、足したストローク数が同じでも、良いスコアを出したプレーヤーがいると点数が変わってきたり。

 

先輩に気を使ってあまり言えないのですが、過去5回?の開催でH16年ペアは負けなし。

 

 

和敬ゴルフ集合写真

和敬ゴルフ集合写真

 

今回の結果は、、、、 前半OUTは、序盤はH16ペアが3UPまでリードを広げるも、最終的にはなんとドロー。

 

 

和敬塾ゴルフ福田さん

和敬塾ゴルフ福田さん

まぁこれで先輩に花を持たせたよね、ということで、後半INは、あっと言う間にH16ペアが5UP獲得し、 またしてもH16ペアの勝利。

 

和敬塾ゴルフ上村さん

和敬塾ゴルフ上村さん

お土産に、H15ペアから、千葉県市原市産の梨で作った「梨ゼリー」を贈って戴きました! 今回も、ありがとなっしー!!

 

 

梨ゼリー

梨ゼリー

 

帰り道の途中、次回は「海釣り対決にしよう!」との話で盛り上がりましたので、 今度は海釣りの結果をご報告できることを楽しみにしております。

 

塾友会 本部役員 古閑

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その6~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その6

 

明治前半期の欧化主義と日本語(2)

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

明治日本は進歩的な西洋文明に比べれば未だ開かぬ後進国である以上、日本は社会・文化、そして言語に至るまで全てにおいて西洋を手本とし進歩発展しなければならぬ…。

 

現在に至るまでなお生き続けるこれら西洋(≒近代世界)信仰が明治初期に日本人達の間で大いに受け入れられたことは既に見てきた通りであるが、今回は「日本語表記の近代史」という本記事の趣旨からはやや外れる部分もあるが、それら進歩思想の日本における受容の背景の一端について触れてみたいと思う。

 

 

歴史教育の観点から ~「パーレー(ばん)国史(こくし)」と日本人~

 

キリスト教世界であった西洋においては、歴史叙述もまた

 

天地創造→アダムとイヴ→(中略)→キリスト降臨→(中略)→最後の審判→至福千年

 

というような新旧聖書の世界観が色濃く反映されたものであった。こういったキリスト教的世界観に基づく世界史叙述をUniversal(ユニバーサル) History(ヒストリー)(普遍史)と呼ぶ。

普遍史はギリシャ・ローマの時代に成立し中世期には西洋世界では広く受け入れられたが、その後のルネサンスや大航海時代、啓蒙主義の時代を経て科学と発見の世紀であった19世紀当時には、既に過去の時代の遺物となっていた。地層を調べれば見たこともない変な生き物の化石が大量に出土、海の向こうには(聖書に一言も記述もない)新大陸アメリカがあり、そもそも地質学を研究すればするほど地球の歴史は聖書の記述(せいぜい数千年)よりよほど古いらしい事が裏付けられ、そもそもヒトは神の似姿ではなくサルの仲間から進化したのではないか…、もはや西洋人も信心深い聖職者や善良で保守的な庶民などを別にすれば、世界史=聖書(普遍史)だと信じるものはほとんどいなくなったのである。

科学や歴史学などのアカデミズムの世界からはほぼ見捨てられた普遍史的な世界観は、一方で一般庶民向けの歴史読み物や初等教育の世界ではまだ命脈を保っていた。そして明治初期の日本に持ち込まれた世界史の教科書が、まさにその普遍史であった。

 

 

明治初期の日本の教育事情は「翻訳教科書時代」と呼ばれるほど教材を欧米に頼りっきりであり、世界史の教科書もまた米国製のパーレー萬国史が翻訳して使用された。(ここではUniversal Historyは「普遍史」ではなく「万国史」と翻訳されている。)

パーレー萬国史を日本に最初に持ち込んだのは本稿おなじみの福沢諭吉で、翻訳作業に当たったのは後に日本最初の近代的国語辞典「言海」を著した洋学者の大槻文彦であった。翻訳作業の後に明治7年に「萬国史略」として教育現場に投入された本書は、翻訳の課程で神による天地創造やアダムとイヴ、イエス・キリストなどのキリスト教的な記述は削除されたが、(キリスト教化された)西洋こそが文明国であり、それ以外の世界は野蛮国、未開国、やや文明化された半文明国であるという今日の目から見たら極めて西洋中心主義的な世界認識はそっくり継承されている。わざわざアメリカ製の教科書を使用するのも、それまで日本には存在しなかった“世界史”の概念を教育に導入する上でやむをえぬことではあったが、この進歩する西洋と停滞する東洋という構図、そして我らが日本もまた停滞する東洋の半文明国に過ぎないという認識が教育を通じて明治初期の学生たちに共有されたわけだ。しかし日本人は怒るどころかそんな世界観をあっさりと受け入れ、むしろ「自分たちも早く西洋のような文明国にならねば」とますます積極的に欧化主義に傾くこととなった。その辺の事情は前回にも触れたとおりである。

そして後年、明治初期のこれら西洋中心主義への潜在的な反発は、より極端な形で表出することにもなる。

 

萬国史略 http://www.library-noda.jp/homepage/digilib../meiji/018.html

 

科学の観点から ~「進化論」と日本人~

 

欧米の書物の翻訳作業と並び、明治初期に国を挙げて行われた日本近代化の取り組みの一つに、外国人の指導者・助言者の各方面に渡る積極的登用であった。いわゆるお雇い外国人である。

イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシアなどの欧米列強諸国からこれまた多方面(政治経済、法制、哲学芸術、科学、医学、軍事、教育などなど)に渡る専門家が次々と明治政府の招聘を受ける形で来日した。大学で教鞭をとる者、技術者として現場を指揮する者、政府の顧問として政策への助言を行う者、明治期に於ける彼らお雇い外国人の果たした役割は非常に大きいものがあったのは周知の通りである。

そんなお雇い外国人たちの中でもこんにち最もよく知られる人物の一人に、米国出身の生物学者エドワード・S・モースがいる。東京帝国大学で生物学の講義を持つ傍ら、大森貝塚の発見・発掘調査を行い考古学や民俗学への研究の端緒も開くなど、生涯に渡り日本と深い関わりを持った人物であった。晩年の回想記「日本その日その日」は明治期日本の姿を今に伝える貴重な資料ともなっている。

 

多方面に渡る活動を通じて日本近代史に深い関わりを結んだモースであったが、教育者として随一の功績は、やはり当時欧米の最新学説であった進化論を日本に初めて紹介したことであろう。発足間もない東京帝国大学に於けるモースの講義が、我が国における進化論普及の端緒となった。

19世紀後半、イギリスの博物学者ダーウィンらによって提唱された進化論は、単なる生物学の枠を超え社会観・人間観そのものを揺さぶる大論争をヨーロッパにもたらした。従来のキリスト教的自然観においては自然も人間も等しく神の被造物であり、特に人間は最も神に近い存在であったところが、進化論に従う限り自然は神の御心ではなく生物同士の厳しい生存競争によって支配されており、人間もまたそんな自然の一部に過ぎずその祖先はサルと同じ……、先に紹介した普遍史の世界観を決定的に崩壊させたのも進化論だった。

 

生物が厳しい静音競争の中で個々の能力を絶えず変化させながら進化してきたという考えは、人類が絶えまない争いの歴史の中で文明を発展させてきたという歴史の原理の説明にも応用が効くのでは無いか?

生物学の原理である進化論を安易に社会学や歴史学に当てはめようとするこれら社会ダーウィニズムの発想は、こんにちでは正当な根拠を持たない単なるイデオロギーであるとされている。この方面における最悪の事例は、優れた人種は劣った人種を滅ぼしても構わないとし、実際に“劣等人種”とされたユダヤ人の絶滅をはかったナチスドイツのケースだろう。

しかし19世紀の当時においては最新の科学的学説でもあった進化論は洋の東西を問わず多くの先進的知識人に影響を与え続け、文明や文化の発展を語る上での重要なツールとして流用された。

進化論はキリスト教国家ではなかった明治日本では割とすんなりと受け入れられた。そして折からの欧化主義と相乗効果をなしながら、日本もまた西洋のような文明国に“進化”せねばならぬという社会思想につながっていったことは最早言うまでもない。19世紀の世界は強い国が弱い国を武力で支配する道理なき帝国主義の時代でもあったが、進化論の適者生存の考えを優勢劣敗、強者による弱者の支配の肯定と解釈する事もあながち突飛な発想とはされず、富国強兵を旨とする明治日本のドクトリンと一致する側面があった事も言うまでもない。

この優勢劣敗の発想は軍隊の強さとか領土の広さといった単純な国力の話にとどまらず、文化や言語の分野にも及ぶ。前回紹介したように徳富蘇峰や田口卯吉ら民友社系の言論人たちは日本文化に対する西洋文化の優越を信じていたし、日本語という言語もまたも社会の進化とあわせて新しい形に進化するべきだという発想にも繋がっていった。

直接的な関係で言えば、モースの進化論講義を聴講していた地球物理学者の田中(たなか)(だて)(あい)(きつ)は、日本語表記改革運動にも深く関わり、「日本語の表記にはローマ字を用いるべし」という熱心なローマ字国字論者となった。また、明治後半から大正期にかけて進化論の普及に貢献した生物学者の丘浅(おかあさ)次郎(じろう)も、社会進化と言語の関係に深い関心を抱き世界共通言語を志向したエスペラント語運動に関わった最初の日本人となった。(丘浅次郎についてはいずれまた紹介したい。)

 

 

今思うとキリスト教的世界観が底流にあるパーレー萬国史とそのキリスト教を否定する内容を孕んだ進化論がほぼ同時に日本に移入されたというのもなかなかに皮肉な話である。しかし万国史の持つ西洋中心的世界観、そして進化論に付随する形で受け入れられた社会進化論、これらは明治初期の欧化主義のいわば両輪であり、日本語の近代化という本稿のメインテーマにも影に日向に影響を与える事となるのであった。

(続きます)

第24回ホームカミング(HC)大会実行委員会よりの御報せ「DVD完成の遅延」

第24回ホームカミング(HC)大会実行委員会よりの御報せ
  「DVD完成の遅延」

塾友の皆様、余寒の頃、益々ご清栄の事と存じます
第24回HC実行委員会は,第25回HC実行委員会(S59年卒)の方と,その引継を始めております。
今年のHC実行委員会の面々は,推進力とパワーに満ちたメンバーで,皆様のご期待に必ずや応えてくれることと思います。

さて,お詫びを兼ねての御連絡です。第24回HC実行委員会のアルバムDVD作製でありますが,当初の予定より完成が遅れまして,3月になってしまいます。
誠に申し訳ございません。
完成次第,皆様のお手元にお届け致しますので,今しばらくお待ちください。 御理解宜しく御願い申し上げます。

以上

「丸紅和敬会」を発足しました

2014年2月6日(木)、丸紅株式会社および丸紅グループ会社の塾友会メンバーにて「丸紅和敬会」を発足しました。
発足式では発足メンバーである8人全員が一堂に会し、それぞれの学生時代の思い出を語り合い、大いに盛り上がり
ました。当会は、メンバー相互の親睦・情報交換や塾生の就活支援等を目的とし引続き活動をしていく予定です。

発足メンバーは下記の8名です。
S59北 鳴川 雅也
S60南 吉野 功一
H6北   北澤 真也
H6西  増野 浩一
H9南  橘 雅門
H12北 山岡 航
H14西 船田 泰
H17西 川口 高志

 

marubeni wakei

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関西支部年賀交歓会に37名が参加 ~東京五輪と音楽で盛り上がる~

1月25日土曜日、大阪新阪急ホテルで、富田康行本部副会長(北・46)、富永嘉文中国支部長(北・50)、平見勇雄四国支部長(北・58)、田中克人和敬ニューイヤーコンサート事務局長(西・42)はじめ37名様のご参加を頂き、年賀交歓会を開催した。

この度京フィル音楽監督に就任した斎藤一郎氏(西・4)の指揮による塾歌斉唱で、関西支部の新年のスタートを切った。

当日、東京五輪大会組織委員会(会長森元首相)の副事務総長に布村幸彦氏(北・52)が就任というニュースが新聞で発表された。同期の安川啓利支部長代行(北・52)よりご紹介のあと乾杯、世代を越えて楽しく歓談し、盛り上がった。

斎藤一郎氏と関西支部世話役の上田正三氏(北・42)より、4月19日の京都コンサートホールでの京フィル音楽監督就任披露コンサートのご案内や今後の支援のお願いがあり、さらに田中栄一郎前支部長(北・42)から、6月15日、42年卒の塾友による北新地のライヴハウスでの古希の会の開催も紹介された。

毎年なんと約12時間飲み続ける年賀交歓会、今年も午後12時にスタートした一次会、そして二次会、若手を中心に梅田から鶴橋へ場所を移し、延羽の湯で天然温泉に入り三次会、深夜に天王寺でお開きになった。

来年の年賀交歓会は、奈良市の若草山の山焼きを鑑賞しながら新年の宴を開催する案も提案された。

東京五輪やクラシックなどで大いに盛り上がった年賀交歓会だったが、今年も話題盛りだくさんの関西支部前半の活動予定は次のとおり。さらにオール関西で各支部との連携強化を図り、多彩な交流事業も展開をしていく。

春の茶話会ー4月26日(土)午後3時(中央総合法律事務所) 講師ー(株)アテクト代表取締役社長 小高得央氏(西・61)
平成26年度総会・記念講演ー7月5日(土)午後3時(場所未定) 講師ーダイドードリンコ(株)代表取締役社長 高松富博氏(北・45)

【記・生島啓二(北・5)】

参加者は以下のとおり。 富田康行(北・46) 田中克人(西・42) 富永嘉文(北・50) 平見勇雄(北・58) 小野益美(南・33) 瀬尾宏郎(南・34) 片岡 隆(南・34) 谷口善志郎(南・36) 西 祐作(西・37) 高嶋定弘(南・37) 稲本義久(西・37) 谷口佳照(西・38) 北條弘一郎(北・41) 上田正三(北・42) 江間範夫(南・42) 田中栄一郎(北・42) 川渕秀和(西・42) 岩城本臣(北・44) 大西良一(北・49) 西本 真(北・51) 浅井康平(北・52) 平田太介史(北・52) 安川啓利(北・52) 吉井友実(南・52) 大野正康(北・53) 佐々木茂樹(南・55) 服部豊信(西・55) 柏原義之(西・56) 生島啓二(北・5) 岩城方臣(北・12) 京谷宗吾(北・12) 田垣内学司(北・15) 玉山勝崇(北・17) (同伴) 小林 明(京フィル理事長) 下田雅史(京フィルマネージャー) 芝 沙織

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(第14回)2013年和敬塾42年西寮卒 広島旅行始末記

(第14回)2013年和敬塾42年西寮卒 広島旅行始末記

11/12(火)13(水)広島~宮島~厳島~江田島~呉

( 注:敬称略   文責:川淵 )

 

1112 11:50前後に東京、大阪、九州から馳せ参じた面々がJR広島駅に集合した。

本来は四国、名古屋からも駆けつけるはずだが、四国は急遽欠席(藤代)し、

名古屋(山本)は旅館に直行した為、広島駅に揃ったのは

東京組:三井夫妻・川崎・鈴木・石井・羽原・田中・平田

浜松組:大竹

大阪組:中井・吉村・山田・川淵夫妻

九州組:渕川・相沢・中村             以上17名であった。(全員は18名。)

 

今回の企画立案は、広島県出身の石井と隣の岡山県出身の羽原の二人が中心になって進めてくれ、事前に何度も下見を繰り返してくれたと聞いている。翌13日夕方、先乗りの山本を加えた18名は呉駅(平田は墓参りに四国へ)並びに広島駅で東西に分かれ解散したが、石井・羽原お二人のお蔭で、古希を迎えた(る)我々には素晴らしい印象に残る旅行であったことを初めに申しあげておく。

以下、川崎幹事長の指名で川淵が「始末記」をしたためる事になったが、何しろもう古希を迎える年齢になった私が少ない記憶を頼りに書くため、以前のようにぽんぽんと言葉も浮かばず、文中に”奈良の熊”というような不穏当な言葉使いや記憶違い、誤字・脱字や順番間違いなど多々あると思いますが、そこは大目に願います。三井会長、川崎幹事長の応援もあり始末記は完成した。   

以下が全員集合写真。

集合写真

 

「旧江田島海軍兵学校」の見学を終えて(13.11/13)後ろにレンガ建てが見える玄関前。 

 

 

■三井会長、川崎幹事長のお声がかりで始まった旅行会も今回で14回を迎え、常連メンバーに新規メンバーも入り乱れ、なかなか味のある「42年西寮友の会」に仕上がってきた。

西寮同期は46名であるが、故人6人、住所不明3名となり、現在37名が現役ということで、参加者16名は略略50%の出席率といえる。

旅の途中で例の通り携帯電話による参加もあり、よりにぎやかになったのは言うまでもない。

唯一九州から不参加であった近藤直(未だ不参加)は「まだ現役で働いているが、次回は必ず行く?」とのことを言っていたし、ハワイにいる堀内欽一からの「ALOHA!!電話は丁度呉港に向かう最中の船中であったが元気な声での参加であった。まるで日本にいるが如く聞こえたが、本当にあのハワイなので長電話はまずいと思い「そろそろ切るぞ」と言ったが、堀内からは「大丈夫だ。これは会社の電話だから・・・・」ということで数人に電話は回った。残念ながら、北海道の栃木、南、長野の木内、東京の藤井、園部、名古屋の吉田、安村、たちの声は聴けなかった。それにしても、もう6人も逝ってしまったのか。(皆早すぎるぞ! 斉藤・時田・本多・三浦・喜多・中川・・・・・・合掌!)

 

■11/12昼食  広島駅ビル「酔心」 広島名物”アナゴ飯”を食す。

初めてのことだと思うが、昼食時にビールの一本も出なかった。確かに誰からも声もかからなかった。

それ程、皆胃腸が弱ってきたのか、それとも遠慮深くなったのか、女性がいたからかどうかは分からない。

久闊を叙して(ともがら)牡蠣を食う   三井利忠

(三井会長の影の声:「酒の一本でも欲しかったなあ。初めてだね。」川淵「そうだね。はい!」)

 

■昼食後タクシーで原爆記念資料館(平和公園)に

資料館を初めての人も、十数年ぶりの人も居たが、何とも言えない複雑な感覚であった。三井会長からは「45年ぶりの広島原爆資料館ではやはり涙を禁じ得ませんでした。」とのメールを貰いました。やはり、原爆は駄目だし、それをほうふつとさせる原発は減らす方向が正しいのだろう。小泉元首相が言うように「即刻止めるべきだ」というのはどうかとも思うが、二度とこのような不幸はごめんだ。

 

平和公園前での集合写真

・平和公園前で集合(山本は未だいない)

 

 

■船で平和公園→宮島に   今晩の旅館は「みや離宮」と言います。(ひろしま世界遺産航路にて)

野生の鹿と一緒に旅館の仲居さんが港までお出迎えです。宴会の前に厳島神社を参拝しました。何度も台風で被害がありましたが、釘止めしていない床板の為、何度でも生まれ変われるようです。

 

33広島旅行始末記

 

1本の根っこから9本の松という珍しいのも見たし、能舞台5重の塔も”厳島神社“を盛り上げていました。名物「もみじ饅頭」を買い求めて、土産物店を覗き歩きました。

 

5広島旅行始末記

宮島はしゃもじが有名です。数mの大しゃもじが展示されていました。宿が”夫婦円満””長寿”のしゃもじをプレゼントしてくれました。我が家は2本とも貰いました。夫婦円満だし両親を見ていたら長寿になりそうだから1本で良いと断ったが、奈良の熊が・・失礼!・・中井に「君たちには2本が必要だ」と渡された。

 

食事前に夕やみ迫る港に集合。

満潮の為歩けないので、船で厳島神社の鳥居の下を巡るという幹事の趣向はなかなか乙なものであった。

ライトアップされているため、なかなか荘厳な雰囲気がしたものでした。

 

広島旅行始末記8

 

広島旅行始末記9

 

これはほゞ満潮の時、干潮の時は神社まで参道が出来る。それにしても立派な鳥居だ。

厳島神社の鳥居を背景に一同集合

 

広島旅行始末記10

 

冬潮の海よりくぐる大鳥居    川崎清明

■いよいよ宴会です。

 

隣では、カラオケをやっているのかうるさいほどの宴会ですが、我々は流石に大人の宴会です。

川崎幹事長の開会宣言、幹事の予定説明に続き、川淵の発声で取りあえず乾杯。

 

 

そのあと、三井42年西寮同期会会長が今回の旅行の石井幹事・羽原幹事への感謝の言葉と、久しぶりの友が多く出席したことを素直に感謝し、続けて「もう我々の年代になると色々体にきしみも出ているので、体のことは出来るだけ言わず、前向きに明るく一人一人に近況挨拶をしてもらいます」ということで、次々に仲間は挨拶をしたのです。勿論、ご婦人方も同じです。久しぶりの渕川の嬉しそうな顔。満面笑みです。

 

宴会終了後は501号室に集合して二次会。皆子供に戻っているようです。(下記写真)

久しぶりの友とは、奈良の熊さんの横にいる、相沢・平田・中村・渕川の4人です。

広島旅行始末記13

 

 

(順不同)  皆が何を話していたのか?忘れてしまった。

 

山田:相変わらずチャチャを入れるタイミングが旨い。盛り上がりには欠かせない人物。オートバイ事故の

後遺症も大分癒えたのか一緒に全行程を歩いた。大黒正宗健在!

大竹:親子で歯医者を継続中。親父は手を出さないでと言われている。皆に掛川茶をお土産に配ってくれた。お客様第一!お客様は神様!80才まで20本!と言って歯医者に誘う名人。

渕川:親子で税理事務所経営。給料は息子からもらっている。奈良の熊が税務署の調査についてアレコレ質問していたが、私は熊の税務については詳しくないと。それも確かにそのとおり。渕川らしい。

平田:何度かの病を克服。墓参りに四国(愛媛)へ。髭と頭の艶に往年のプレイボーイの面影があるとかないとか。もう役には立てませんとは本人の弁。

田中:和敬ニューイヤーコンサート(1月12日)に命を懸け成功を期している。この人はいつも何かに命を懸けているので手術ばかりしている。がんの治験はベテラン。登山には命を懸けないように。

相沢:下関から登場。いつもニコニコしているこの人ベビーフエイスに相当皺が増え、段々生まれたての赤

子に戻って行くようだ。

山本:週に数回テニス。奥様とハイキング。たまに囲碁と元気。ライバル本多を失いすっかり口数が少なくなった。

三井:俳句、郷土史研究、畑仕事に没頭。ゴルフからは片足を洗った。“おつまみは無いの?”と忙しい奥様の外出先にメールをするのが玉にきず。内助の功がなければどうなるの?

三井夫人:西宮(新婚のお嬢様)~町田~広島と忙しいのです。夫の秘書の他、夫の重い荷物持ちも兼ねる力持ちの賢妻。ソフト部の理事。

石井:名門広島大付属高校の出身ということで今回の旅の全体監修を務める。高校の同級生のコネで船の臨時便まで手配。月何回かの泊りがけの麻雀賭博が生きがい。

羽原:隣県の岡山出身ということで今回の旅行の裏方として金集めに徹する。今は、和敬囲碁と和敬ゴルフ(長生会)の幹事として活躍。

中井:「ペディベア」「熊ちゃん」と本人はいうが「奈良の羆(ヒグマ)」も年を重ねて確かに可愛くなった。奥様孝行でハワイに行ったが、ハワイにも熊が出ると噂になった。ハワイ在住の堀内が「あれは日本から遊びに来ただけで直ぐに帰るから心配するな!」と動揺を抑えるのに苦労したとの噂もある。

川淵夫人:「貴方また和敬塾?」と言っているが結構楽しそう。なぜみんな奥様を連れてこないの?亭主が退職後大きな身体で家を占拠し、大きな声を一日中聞かされて、私の身にもなって下さいと訴えていた。皆頷いて、同情しきりであった。

川淵:奥さんの荷物まで持つ優しい夫?奥様孝行しなくてはいけない理由があるのかないのか?家庭に欠

かせないかどうかは別として、同期会には絶対欠かせない人物であることは間違いない。奥様どう

か同期会に免じて、お心を広くお取扱いを宜しくお願いします。カメラマンご苦労様でした。

吉村:野外の料理の達人であると同時にパソコンの達人でもある。この間の奈良の柿狩りでも8kgの肉を料理。焼きそば、チャーハンもお手の物。鳴物入りのメールで送られてくる年賀状が楽しみである。

学生時代から最も向上(成長)した同期と言われる。

川崎:和敬句の会、「汀俳句会」、ワンゲルOB会、職場OB会などで多忙。

これまで胃を切ったり、山から落ちたりしたその都度面倒を見てもらった奥様が何やら難しい病気に

罹り、相当動揺したらしい。漸く奥様の病状も落ち着いて同期会旅行に参加できた。

鈴木:会社は順調だが、あと1~2年で辞めるつもりだと。新宮へ実家の空気入れ替えとミカン狩りに行っ

ているようだ。アーチェリーの様には行かないだろうが、胡弓の腕も大分上達したようなので、来年

の同期会は鈴木の胡弓演奏をバックに中華料理もいいなという声もあった。

中村:兎も角毎日忙しい。OB会、町内会、児童交通指導、老人会・・・・・・。面倒見が良いのか、罪滅ぼし

かは知らないが、どうも地元では欠かせない人物のようだ。

選挙に出る準備と言う噂もある。中村町長、万歳!

1113   江田島 旧「海軍兵学校」訪問(海上自衛隊第1技術学校)(広島港~小用港)

 

新人の行進      

新人の行進

 

この場所は半沢直樹に出たらしい  

この場所は半沢直樹に出たらしい

 

裏の古鷹山に兵学校生徒は訓練で20分で山頂まで駆け上がるらしい。(とても無理だ)            

裏の古鷹山に兵学校生徒は訓練で20分で山頂まで駆け上がるらしい。(とても無理だ)

 

幹事は名物“海軍カレー”を昼食に準備をしてくれていた。建屋や学校内の雰囲気は当時のまま(当時を知らないが)残っている様だ。96歳の川淵の父親(海軍少佐、巡洋艦“三隈”に乗っていた)に「兵学校を訪問して来たよ」と写真を見せたら、最近弱っていた親父殿が急に大声で兵学校校歌を歌いだしたので驚いた。起きられない親父が立ち上がるのではないかと思った程だ。ちょうど我々が和敬塾で青春を謳歌していた (塾歌を歌っていた) 年齢の時に、親父たちは戦争に駆り立てられていたのだろうか。江田島は以前は人口

2万人であったが、今では9千人に減ったと我々と同じタクシーの運転手が話していた。生まれるよりも死ぬ人の方が多いのだとも。元気で旅行ができる皆さんがうらやましいよ。島には同期が10人だと。

 

江田島の戦の記憶石蕗の花  三井利忠

上は東郷平八郎、山本五十六などを祀った教育参考館(戦災資料講堂)前で整列した隊員。種々の写真や軍服、遺書などは以前靖国神社の資料館で感じたのと同じ思いを持ったのは私だけではないだろう。

勝海舟の書をはじめとして旧海軍の貴重な資料や特攻隊員の遺書などデリケートなものも数多く展示されているため その敬意・慰霊の意味を込めて 脱帽、撮影禁止とされていました。

 

提督の眼のひかり寒牡丹   三井利忠

 

「大講堂」。1917年(大正6年)に造られた

 

大砲(おおずつ)の輝き黒し冬茜    三井利忠

 

英国から購入したレンガを縦横に組み合わせた、幹部候補生学校庁舎の横の長さは140m以上ある。

 幹部候補生学校庁舎

江田島港(小用港)から呉港“大和ミュージアム”へ

 

幹事が配布した案内には 宮島9:00 広島港9:24 小用9:46とあった。三井夫人と川淵夫人が

船中で会話をしているのが聞こえてきた。

(“わざわざ 22分も小用時間をそんなに取らなくてもいいのにね。書くのもねえ!”)というものだった。私も最初はそう思ったが、小用とは「こよう」という港の名前であった。別の意味で確かに小用(しょうよう)という言葉もあるので、そこを間違えたのだった。・・・・こういう話を聞くのも楽しい旅だ。

呉港を降りたらそこがミュージアムだった。

 

”大和“の縮小版。

隣の潜水艦は中にも入れた。(これは1年前まで実際に稼働していたようだ。一見の価値あり。)

■大和ミュージアム見学の後、JR呉駅まで歩き

駅前で解散となった。

今回の西寮旅行は、広島駅集合(アナゴ飯)

平和公園~原爆資料館~宮島~厳島神社

海軍カレー~江田島兵学校―大和ミュージアム

JR~タクシー~高速船~観光船

色々と乗継、夜中まで楽しい会話をし、土産物屋を

覗き、各自帰路に着いた。筆者は広島の牡蠣を食べなかった為に、広島で皆に別れ、牡蠣の土手鍋と

焼牡蠣を食してから家路に着きました。

第15回は四国にするか、九州にするかはまだ不明ですが、ぜひそれまで健康に留意をし次回も沢山の友が振るって参加をされることを祈願して始末記を投了させて戴きます。

11月24日 川淵秀和

 

■三井会長一言

初めて訪れた宮島と江田島。感激しました。陸上交通では長時間かかる移動のはずですが、普段は温和な石井君が地元の友人に強談判(?)してくれたお蔭か、臨時便の船が仕立てられスムーズに時間が節約できました。改めて感謝申し上げます。

原爆資料館は45年振りですが、胸苦しくなる思いは一緒でした。

江田島から若くして戦火に散った若者の背筋を伸ばした遺書には思わずこみ上げるものがありました。

こうして集まれるのも幹事さんのお蔭です。石井・羽原の両幹事さんに参加者を代表して感謝申し上げます。

赤鳥居を寫し静もる冬の潮   三井利忠

■川崎事務局長一言

宮島は島全体が神籬(ひもろぎ)で、その末端に神社が立てられたのが厳島神社のようだ。従って俗世界から神域に入るには海からしかなく海に鳥居が立てられたらしい。11月は神無月と言われ、日本の全ての神様は出雲に集合していて、厳島神社の神も留守だったと思われるが、留守の神前に頼み事をしたご仁もいるかも。ちょっとふざけて一句

二拍手のあとの一礼神の留守   川崎清明

翌日、海軍兵学校跡に行った。当時日本の若者の最も優秀な者が海軍兵学校に行き、落第した者が東大・京大に行ったという。教育参考館には海軍兵学校の校長でもあった井上成美海軍大将の写真があった。徒に兵の供給を迫る中央の要請に井上校長は半端な者を送ることは出来ない。ここを卒業した者は後に必ず役に立つように厳しく鍛えるとして「野火焼いて尽くさず春風吹いてまた生ず」言って拒絶したという。

その一徹さを批判する者も多いが、正に教育者としての至言ではないか。

井上海軍大将と川淵兄のお父上である川淵少尉を最近見た鮟鱇の面構えに重ね合わせて失礼ながら一句

来世も鮟鱇(あんこう)たらむ面構え   川崎清明  

      

  完

平成26年度 同期会代表幹事会議が開催されました

平成26年1月12日(日)12:00~13:30に、「同期会代表幹事会議」が開催されました。

 

  1. 平成24年、25年 塾友会活動報告
  2. 次期運営担当者の選任

 

上記2点が報告、決議されております。

同期会代表幹事会議

 

各幹事から、同期会の様子から、今後の塾友会運営に対する提言等、幅広いご意見を頂戴しております。

 

同期会代表幹事会議

 

 

塾友の皆様におかれましては、引き続き、和敬同期の繋がりを軸に、塾友会の更なる発展にお力添え戴けますと幸いです。

このホームページでも、随時、各同期会の様子を掲載できればと思いますので、是非ともご連絡をお願いします。

塾友会本部幹事

古閑 善丈

和敬ニューイヤーコンサートが開催されました

平成26年1月12日(日)に、和敬ニューイヤーコンサートが開催されました。

簡単ですが、写真にてご紹介します。

 

大変な盛況っぷりです。

奥様や、ご家族そろって大講堂がぎっしりでした。

 

和敬ニューイヤーコンサート

 

素敵なカルテットでした。

和敬ニューイヤーコンサート

 

 

是非とも、次回以降も開催されるといいなぁと思うコンサートでした。

スタッフの皆様、様々なご手配、ありがとうございました。

塾友会本部より

 

 

【第3弾】ワシントンD.C.より (H15北卒 寺田一智)

肥満とアメリカ

 

明けましておめでとうございます。最近、ビール腹を隠せなくなった私ですが、自分の事は棚に上げておきまして、今回は、アメリカの肥満事情について書いてみます。アメリカというと、肥満という、イメージがあると思いますが、それは、まさにイメージ通りで、63.9%のアメリカ人が肥満気味以上-BMI値(Body Mass Index)25以上-というデータも出ていました。ちなみに日本では、30.3%とのこと。街を歩けば、よく、お尻がリンゴのような、黒人女性に時刻を聞かれたり、歩くことがしんどそうな警察官を見たりします(笑) 私は、飛行機に乗るたびに、私の隣の席に、BMI30以下のアメリカ人が配置されるように神様・仏様に心からお祈りします(汗)

 

今週は、体感温度-20度の大寒波がDCを直撃し、脂肪の多いアメリカ人がキラキラと見えたのですが、人種、性別で、ある程度の肥満傾向を感じます。アジア系は、太った人は余り見ず、逆に黒人は、太った人が多いです。また、性別を見ると、男女間の差異は感じられませんが、女性には面白い傾向が有って、留学や駐在しているアジア女性は、来た時より、みんな5キロ程度は太ってしまいます。母国に居る時は、健康的な食習慣、公共交通システムの充実、社会的美のプレッシャーから、痩せていますが、アメリカ滞在時には、それらから遠のいてしまいますから、“アメリカ体型”になってしまうのです。しかし、それでも、アメリカ人女性よりはまだ痩せているので、彼女たちに、痩せてるねと褒められることが複雑な気分なのよと、アジア女性はよく笑います。ここまで散々、肥満について書いていますが、身体的特徴は、不可侵のパーソナルな事ですので、絶対ネタにしてはいけません。こてこての吉本漫才は、アメリカでは通用しないのです。

 

マクドナルド

マクドナルド

食事面において、やはり、ファーストフードの影響を否定できないと思います。代表格は、マクドナルドですが、アメリカにおけるマクドナルドの効用性は、日本のそれ以上に高いのです。日米の食事面の大きな違いは、チップ文化の有無とカロリーの高低と思います。アメリカでは、食事の際に、通常20%前後のチップが求められます。結構、ばかにならない出費なのですが、マクドナルドでは、これが一切掛かりません。一方、日本では、そもそも何処もチップを取りませんので、決定的な金銭的効用性は発生しません。

 

しかし、安いマクドナルドなのですが、高カロリーなので、太ってしまうのです。アメリカでは、可処分所得によって、体重を左右される傾向が有ります。金銭的余裕のある人は、健康的な食事にアクセスし易く、ダイエットキャンプなるものにも参加するのです。私がバックパッカー時代に訪れた貧しい国々では、栄養失調で痩せている人が多く、肥満は富の象徴です。一方、世界の富の半分以上を握るアメリカでは、お金を出して、痩せたがる人々が多いのですから、複雑な思いを感じずにはいられません。

 

それでは、またお会いしましょう。

日本語表記の過去・現在・未来についての考察~その5~ (H16年北卒 谷前 憩介)

日本語表記の過去・現在・未来 その5

 

明治前半期の欧化主義と日本語

 

平成16年北寮卒 谷前 憩介

 

 

国家発展のためなら日本語の廃止もやむなし?

 

 西南戦争を起こし、明治天皇に背いた反逆者として死んでなお、人々の西郷隆盛に対する人気は失われることは無く、死後に名誉は回復され上野公園に銅像も建つまでに至っているが、これは外国人などから見ればかなり奇妙な光景に映るらしい。先日、晴れて日本に帰化した日本文学研究家のドナルド・キーン博士も「西郷は何故日本人に人気なのか私には理解の及ばない部分がある」というような事を述べていたほどである。

昔から日本人は敗北者の肩を持ちたがる判官贔屓の心性が働いている、などいろいろ理由は考えられるが、一つ個人的に思うところは、やはり明治維新以降、急速に社会制度も文化も西洋化していこうとする日本に対する、人々の潜在的な拒否感が西郷人気という形につながっている部分はあるのではないか。

「西洋に植民地にされないためには国を西洋流に近代化するしかない」と頭では分かっていても、それでも自分たちの慣れ親しんだ文化や伝統が急進的に否定されていくのは寂しいものであっただろう。国を近代化する(≒西洋化する)という事は、程度の差はあれ自らの過去を否定する事でもあったのだ。

 

西南戦争から時代はやや遡るが、明治6年、アメリカ留学より帰国した薩摩藩士の(もり)有礼(ありのり)

を中心に、日本初の啓蒙学術団体である明六社が発足した。既に度々見てきた福沢諭吉も主要メンバーの一人であった。

明六社は西洋流の啓蒙思想に基づき、人々の知的水準を向上させ、日本を西洋同等の優れた文明国へと発展させるべく、明六雑誌を発刊。そこでは科学・哲学・社会学・教育学などなど広範な話題が扱われ、活発な誌上論争も行われが、それらのテーマの一つに「日本語をどうするか」というものも含まれていたのである。

 

以前にも紹介した通り明六社のメンバーであった福沢諭吉は将来的に漢字は廃止したほうが良いという漢字制限(廃止)論者であったが、より過激な意見も登場した。

メンバーの一人であった西周(にしあまね)は、漢字制限どころか漢字かな文字全てを廃止し、日本語をアルファベットで表記するようにすべしと主張した。アルファベットの方が漢字やかな文字より字数が圧倒的に少なく学習が容易であり、アルファベットに慣れることにより西洋智識の移入もよりスムーズにできるという考えであり、後のローマ字運動の萌芽であったとも言える。

こうも過激な主張を展開した西周だが、一方ではサイエンスに科学という訳語を用意し、エンサイクロペディアには百学連環という実に美しい漢語を用いているところが何とも皮肉である。

 

だが、更に過激な主張を秘めていたのは発起人の森有礼その人であった。森はアメリカに留学中の明治5年、親交のあったイエール大学の言語学教授ウイリアム・ドワイト・ホイットニーに宛てた書簡の中で、「日本語を廃止し、英語を日本の国語とするべきではないか」という主張を述べている。

確かに、日本人全員が英語をマスターすれば、英米の最先端文明の移入はよりスムーズになるであろう。現在でも、世界で活躍できるようにと子供をアメリカンスクールに通わせるような事例はあるが、それを国単位でやろうという発想である。しかしこれには当のホイットニー教授もさすがに難色を示し、

 

「一国の文化の発達は、必ずその国語に依らなければなりませぬ。さもないと、長年の教育を受けられない多数の者は、ただ外国語を学ぶために年月を費やして、大切な知識を得るまでに進むことが出来ませぬ。」

 

と、やんわり森を諭す有り様であったという。また、森とも関わりがあり日本の教育制度近代化に携わったアメリカ人の教育家モルレーも、日本の伝統を顧みず単純に西洋の制度を移植することには反対し、日本人の伝統的美徳を活かした教育制度の確立を提言した。

日本の近代化にあたっては、西洋文明の摂取に貪欲な日本人の方がより急進的であり、かえって西洋人の助言者たちの方が「まぁまぁそんなに慌てなさんな」と保守的な態度を示すことはそう珍しくはなかったようである。

 

日本を世界に劣らぬ文明国にするという明六社の啓蒙思想家たちの信念の高潔さを疑うものではないが、それでも彼らの主張は時として上述のように極端に急進的で一般大衆の感覚からは乖離した部分があったようで、そのため森有礼は“明六の幽霊(有礼)”と人々から皮肉られもしたが、彼は明治政府のもとで教育行政に携わり、後年日本最初の文部大臣となっている。

 

■進化・普遍の帰結としての西洋文明

 

 それにしても、この人達はどうしてこのような極論に走ったのだろうか。確かに国の将来を考えるなら西洋文明を受け入れることは重要だっただろうし、そのために日本語を時代に応じて変えていかなければならないというのも分かる。しかし漢字に留まらず、かな文字、ひいては日本語そのものを廃止してしまおうという意見には、こんにちの我々からすれば非常に極端な意見に思われるだろう。そうまでしてまで日本は西洋化される必要はあったのか?

 

あった。日本は西洋化されるべきだ。なぜなら、西洋こそは世界の全ての文明国家の目指すべき普遍的目標だからだ。明治初期、西洋に対し無邪気な憧れを抱いていた若き知識人達の中には、そう考えるものは少なくなかった。

 

前回終盤に紹介した徳富蘇峰(本名:徳富猪一郎)。先日最終回を迎えた2013年の大河ドラマ『八重の桜』にも後半の重要人物として登場していたので、ご存知の方もおられることだろう。熊本や同志社で洋学を学んだ後、言論人を志し後に戦前日本を代表する大ジャーナリストとなった人物である。

徳富はジャーナリストらしく時代(現実)に合わせる形でその思想を大きく変えていった人物だが、初期の明治20年代前半頃までは概ね庶民の生活向上を唱える穏健な平民主義、そして強烈な西洋文明の信奉者だった。彼は同志たちと民友社を興し、海外雑誌を参考に出版された雑誌「国民之友」は非常に進歩主義的で、日本は全体的に西洋化されるべきだと説き、当時の志ある若者たちに大きな影響を与えた。

幕末期に盛んに唱えられた言葉に“和魂洋才”という言葉があった。これは東洋日本の道徳(和魂)と西洋の学芸(洋才)を折衷しようという思想で、明治政府の大まかな路線にも通じるものがあった。しかし徳富はこの考え方に異を唱える。西洋の学芸と西洋の思想は深く結びついており、どちらか一方のみを移植することなどは出来ない。もし西洋の学芸を日本に根付かせようとするならば、日本も思想や文化のレベルで全面的に西洋化する以外に他はないのだ…。

 

「我ガ社会ハ既ニ生活的、政治的、学問等一トシテ泰西(西洋)ノ新主義ヲ輸入セザルハナシ。(しこう)シテ今ヤ我ガ社会ハ既ニ泰西的社会ニナラント欲ス。而シテ独リ此社会ヲ支配スル所ノ泰西的ノ道義法ノミ、(これ)ヲ輸入セザルハ(そもそ)モ何ゾヤ。彼ノ体面法コソ智識の進歩ト独立スルヲ得可キモノナリ。」(1885年 「新日本之青年」)

 

 1885年、全面的な日本の西洋化を唱えた徳富の論文の一節だが、社会や進歩といった新漢語が使用されている点も見逃せない。徳富自身は国語国字問題については目立った主張を述べてはいなかったようだが、彼自身英語に流暢で上のように西洋化への意思を表明していた以上、日本語や日本の伝統文化を守れと主張する守旧派に対しては当然に冷淡であった。

 

 

森有礼の事例でも述べたように西洋化にはやる日本に対し、当の西洋人達の側には日本が西洋化して“普通の国”になってしまうことを惜しむものは絶えなかった。実際、当時日本を訪れた西洋人達の中には人情や自然美、そして伝統芸術の巧みさに魅せられるものも多かったのである。しかし徳富ら当時の日本の新世代の知識人達は、日本の伝統文化に誇りを見出すことは出来なかった。日本にはゲーテもシェイクスピアもいなかった。九谷焼の焼き物や狩野派の絵画、日光の東照宮のような伝統美にも何の価値もない。それらは封建的で怠惰な旧時代の支配階級のためのものに過ぎず、平民が主役の新時代にあたっては価値をなさないものだ…。当時日本に滞在中であったイギリス人のバジル・ボール・チェンバレンによれば「教養ある日本人は、自分たちの過去と手を切ってしまっている。」という有り様であった。

 

社会の進歩とは一直線であり、その先には西洋的な社会が待っている。

 

徳富蘇峰ら民友社の人々と思想を同じくした田口卯吉(1855~1905という人は、これらの欧化主義をよりいっそう徹底させた思想を持っていた。当時、イギリスのエコノミスト誌に触発されて日本最初期の経済専門誌「東京経済雑誌」を主宰していた田口は、進歩について更に(今日の目から見れば)極端な見解を表明した。

(余談だが、“経済”は明治以降にエコノミーの訳語として使用されるようになった新漢語だが、その語源は古く古代中国の東晋時代の書物に登場する經世濟民という言葉が元になっている。)

 

日本が西洋化することは何ら恥ずべきことではない。なぜならいかなる日本の文物よりも西洋のそれのほうが優れているからだ。人間は地域性や環境によってこれまでそれぞれに違う文明を発達させてきたが、同じ人間である以上その違いは本質的には存在しない。そして西洋文明こそが、世界中の全人類が目標とすべき、進歩の先の普遍的価値そのものだ。こうして全世界が等しく西洋化されたあかつきには、文化的な差異は消滅し、国境も意味を失い、戦争は時代遅れとなるであろう……。

 

田口卯吉は徳富蘇峰と同じくクリスチャンであったが、聖書に登場する有名なバベルの塔のエピソードも念頭に置かれていたのかもしれない。(全世界が西洋化した時、恐らく世界中の人々は英語などをベースにした共通言語を話すに違いないであろう。)

たしかに21世紀の現在、世界中のほとんどの国々は西洋的な社会機構を備えるに至ったし、西洋由来の科学技術に基づく情報化の進展もあった。英語は世界中の知識人たちにとって必須の教養ともなった。しかし田口があと半世紀長生きし二度の世界大戦を経験したならばどう思ったことだろうか?現在から見れば、悪い意味で地球市民的夢想に満ちた甘すぎる見通しだが、当時とにかく日本人はそれほどまでに西洋に過剰な憧憬を抱いていたらしい。(その点に関しては現代も笑えないところがある。)

 

進歩や進化、これらは共に明治時代に登場した新漢語である。それまで漢字に代表される旧時代の学問がいにしえの古典的世界を理想としたのに対し、明治以降の進歩思想は未来にバラ色の理想を夢見た。そして進歩とはとりもなおさず西洋化と同義であった。

 

教養と志を備える新時代の若者たちの多くがこういった意見に同調していた明治初期であったから、日本語を変えるとか漢字をやめるとか日本語をなくすとか、それら意見が彼らの間においては極論とはみなされなかったのも当たり前であったのかもしれない。進歩思想に従う限り、漢字は古代の象形文字の影響を色濃く残した鈍重で古臭い遺物であり、軽くて進歩的な表音文字がより進んだ文字という事になるからである。果たして漢字の、日本語の運命や如何に?

 

(続きます)